第3話 特別賞を引き当てろ! 前編

 箕六みろく課長のミラクルぶりを目の当たりしてから早数ヶ月。

 さすがにそうそう我が顧客管理課にしょうもない危機が訪れることもなく、平和な日々を過ごしていた。


 新しいテレビでいつもの情報番組を見ながら、大御所演歌歌手の3男坊がまた薬で捕まっただとか、人気アイドルの裏アカウントが流出しただとか、そんな話題で盛り上がっていた時のことだった。

 罪深い香りを狭い休憩室内に充満させながらカツカレー弁当を食べていた上原うえはらさんが、「そういえば」と呟いて、財布を取り出したのである。


「どうしたんですか、上原さん」

「何だ、貸した金でも返してくれんのか」

会田あいだ君にお金なんて借りませんよ。むしろ逆でしょ。まだ返してもらってませんよ、こないだの200円」

「藪蛇だったな。いや、あれは俺への募金だとばかり」

「君に募金してどうするんですか」

「俺が豊かになります」

「なりませんよ」

「じゃあ、課金」

「だから、課金しても――」

「俺がグレードアップします」

「しませんから」


 この2人は、一応上原さんの方が先輩なんだけど、中途入社の会田さんとは同い年らしく、いつもこうやってじゃれあっているのだ。


「まぁまぁ2人とも。それで、どうしたの、上原君」


 あっという間に天むす弁当を食べ終えた課長が、砂糖を3本入れたインスタントコーヒーを啜りながら尋ねた。


「そうそう、そうなんですよ、課長。これは危機ですよ。我が顧客管理課の危機です」


 顧客管理課の危機、という言葉に課長の眉がぴくりと――も動かなかった。「どうしたの?」と言いながら、のほほんと首を傾げている。


「さっき、総務課からメールが回ってきまして、今年の慰安旅行の予算が大幅に削られることになったのです」

「うぉい! マジかよ!!」

「それも、恐らく、ウチだけではないか、と。いえ、これはあくまでも僕の推測ですが」

「どういうことだ、上原」

「先ほど、3階の共有備品庫に向かう途中で他課の女性社員が旅行のパンフレットを抱えているのを見ました。国内の人気温泉宿と……それから、海外」

「何だと!」

「ちなみに我々はせいぜい近場の温泉が関の山といったところかと」

「畜生! 年々扱いが酷くなるな! 顧客情報をネットにばらまくぞコラ!」

「まぁまぁ会田君。落ち着いて。そんな過激な事を言うものではないよ」


 課長がいつもの恵比寿スマイルで場をなだめようとする。


「僕は近くの温泉でも良いと思うよ。ほら、犬山の方に良いところがあってねぇ」

「もう、課長! 無欲すぎますよ! 年に一度ですよ!?」

「ううん、僕は大きなお風呂にゆっくり入れればそれで良いんだけどなぁ。その犬山の宿、お料理も美味しいらしくて、景色もなかなか――」

「何言ってんすか、課長! しっかりしてください! 課長がしっかりしてくれないと!」

「ええ? 僕が?」


 わかる。

 会田さんが言いたいことは。


 課長がしっかり危機ととらえてくれないと『奇跡』は起こらないんですよ。


 たぶん、そう言いたいのだ。


 だけど、当の課長はもうすっかりその犬山の宿に気持ちが行ってしまっているらしい。


 そうこうしているうちにお昼休みは残り5分になってしまった。会田さんと課長はトイレに行くといって休憩室を出ていった。僕は、テーブルの上に出した財布を再びポケットにしまっている上原さんに声をかける。


「あの、さっきの話なんですけど」

「何だい?」

「いや、わざわざ財布を出していたので、何かそれに関係があると思ったんですが」

「ああ、そうなんですよ。結局そこまで話を進められずに終わっちゃいましたが――」


 上原さんはちらりと掛け時計を見て、まだ2分あるな、と呟き財布を開いた。



 まぁ正直なところ、さすが窓際族と揶揄されるだけあって、僕らの仕事はまぁまぁ暇だ。それでも月末月初は支払いの滞っている顧客への督促に忙しかったりするんだけど。だけど今日はそれらの仕事もひと段落し、僕らの仕事はもっぱら顧客ファイルの整理である。


 ずらりとファイルが並んだ書棚で『さ行』のファイルを抜き取っていた時だった。


「あぁ? 抽選補助券?」


 会田さんのちょっとイラついたような声が聞こえてきた。


「そんなん俺が持ってるわけねぇだろ――……っと、あったわ、1枚。奇跡」


 どうやらあったらしい。あの感じからして、きちんと取っておいたというよりはレシートの間にたまたま挟まっていたとか、そんなところだろう。


 そう、上原さんがあの時財布から取り出そうとしていたものは、近くのショッピングモールで開催中の抽選会の補助券だったのだ。6枚集めると1回抽選出来るというその券を、上原さんは4枚持っていたのである。


「あんなことを言ってはいますが、この状況であればきっと、課長は特賞を引き当てるはずです」


 と、上原さんは力強く言った。

 抽選は今日の18時まで。

 僕の財布の中にも1枚だけ運よく入っていて、会田さんのを合わせれば6枚。

 仕事が終わったら飲みに行きましょうと声をかけてモール方面に行き、そこで抽選の話題を出すのだ。あくまでもさりげなく。


 実はこれまでも会田さんと上原さんは課長に抽選やら福引やら宝くじやらを買わせたことがあったらしいのだが、勧める方の邪念が影響するのか、かすりもしなかったのだという。だから、さりげなくさりげなく、「あっ、何かやってますね。ちょうど1回分引けるみたいですよ」という風に誘導するのがベストなのだとか。


 とにかくこれで役者補助券はそろった。

 僕達の仕事に残業なんてものはもちろんないし、課長は独り身なので予定もないだろう。

 ちなみに僕も彼女はいない。会田さんと上原さんはどうかわからないけど。

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