第4話
「あの子を、手に。ですか」
グレイの言葉を復唱し、大島は目を瞬かせる
「奴隷として買い上げる、と」
「まあ、其の様な感じであるかな-さて、まずはあの少年を囲う老人が何処のどの様な人物であるのかを調べて貰わねばなるまいな-一旦、ホテルに戻るかね」
事を起こすには何事も情報が必要であろうと
言うやグレイは踵を返し、大島もまた其れに付き従い
二人は共にホテルへと戻った
ホテルに着くやグレイはフロントの人間に声を掛け
何やらと長く話を致し
そうしてから待たせて居た大島の元へと歩み寄る
「老人の居所は分かりましたか」
「アア、容易く分かったよ-どうやら英人相手に商売等を致している人物であるらしいね」
「そうですか、処で船長」
「君、『グレイ』と呼んでくれと。それで、何だね」
「よく、亜剌比亜語が分かりますね」
グレイは小さく首を振って笑った
「亜剌比亜語じゃあないさ、西班牙(スペイン)語だよ。此処では西班牙語もなかなか通じるものだ-サテ、所在も分かった事だし早速行くかね。『鉄は熱い内に打て』だ……君の国では何と言ったかね」
「『善は急げ』ですよ、船-グレイ」
ホテルで一息入れる間も持たず、二人は直ぐにグレイが話に聞いた場所へ
老人の居所へと向かった
其の屋敷の前には亜剌比亜人が居り-
グレイの姿を見て英人と云う事なのであろう、通弁として取次に先の少年が呼ばれ、出て来た
少年はグレイと大島の姿を認めるやハッとした面持ちとなる
「御主人に会いたいとどうぞ取り次いでくれ」
グレイがそう、西班牙語で言うと
少年は急ぎ二人を屋敷奥へと通した
其処は広さ四十敷きばかりの亜剌比亜特有の広々とした方形の座敷で、真中をば土間にし
対向の一側に一段高く席を敷いて三人の亜剌比亜人が脚を横投げにして坐って、骨牌をやりながら、長烟管(ながきせる)でゆっくりと煙草を吹かして居た。
其の中に昼間見覚えの有る、主人たる人物の姿も在った
老人は外人に熟(な)れて居ると見えて、二人を喜んで出迎え
外国語としては西班牙語より他使えないのであろう、まず西班牙語を以てグレイへと来意を尋ねた。
通弁は必要無い。グレイは西班牙語を堪能に話せる、併し通弁の役たる少年奴隷は彼等の傍を離れず佇んで居た
其の澄んだ黒い瞳に、希望、切望を孕んで
対してグレイは至って落ち着き払い、少年と顔を合わせる事など初めてであるかの様にさらりと一瞥するのみで、老人へ彼から向けられた問いに答えた
「一寸閑暇(ひま)が有りましたので、遊びに来ただけです。就ては此方によく外国人が上がってはいろいろ御咄しや何か承るという事をよく聞きましたので、それでは真似をさせて頂くか、とお邪魔に上がった次第です」
老人は好好爺然の笑みを以て頷いた
「左様ですか、それは好くこそ。ま、御ゆっくりなさいまし。此の時間は家中のもの皆散歩に出ておりましてな、退屈まぎれに二三人で遊んで居りましたところで、丁度よろしゅうございます」
ゆっくりして行けとばかり老人はグレイと大島に腰を落ち着けさせ
少年奴隷に言い付けて珈琲を煮て(たて)て、持って来させた
名物なのであろうが、其の芳醇な薫りはいっそ咽る程の芳ばしさであった
グレイと大島の前に少年が丁寧な所作で珈琲の入った碗を置いて行く
近く見るその滑らかな頬には薄らと赤い痕が窺えた
大島は微か眉を寄せる
グレイは唯、物静かに何も知らぬ風、老人と言葉を交わし合った
「まだ御逗留ですか」
「さよう、もう数日ばかり」
「御退屈なさいませんか、別に見る所も有りませんので」
「実は奴隷の市を見たいと思いますのでな」
グレイはそう言うとふっと、今初めて気になったかの様に少年の方を見遣り老人へ問うた
「御子さんですかな」
其の問いに老人は首を横に振る
「イエ、やはりその奴隷です」
「御買いなさったのですか」
「英国の方などにはあまり公然とも言えませんが、打ち明けたところそんな物です」
老人が遠慮がちに笑う
グレイもふふ、と静かに笑い相槌を打った
「それで、お幾らで御買いなさったのです」
「そうですな-英国の相場で比較すれば、凡そ二磅(ポンド)ばかりでしょうか」
「二磅?そればかりで」
グレイが驚いた様に言うと、老人はまた笑い、小さく手を振る
「けれども子供で手が掛かりますからね。もっとも通弁は一寸器用にやります、まず其辺が長所(とりえ)ですな」
「アア、成程。其れで此の子が戸口へ出て来た訳で」
深く頷き、暫し考え深げに自身の顎を擦り擦り
そうして思い立った様にグレイは老人に真っ直ぐ蒼の眼を向けた
「どういう物ですかな。その辺の値でよろしいのならば、私が彼を御譲り受けたいのですが」
老人は驚きの面持ちを浮かべ、そうして冷ややかに笑った
「そりゃ無理です」
「どうして無理ですかな。廉い、と言われるのですか」
老人は言う
「買うて、それから以来一年ばかり此のとおり育てて有る、その入費だって相応に御座います」
「ですが、通弁なり何なりの役に立って『それだけ』の事は為て居るのでしょうに」
老人の否の言葉にグレイはゆったりとした動作で、言葉もゆっくりと
意味深げにちらと少年奴隷を見て、老人を見た
老人は溜息混じり、首を横に振る
「イエ、ですが手が掛かってね」
「はあ、ではもう少しばかりの御金を御支払いしましたらば」
「イイエ、幾ら詰まれましても、此の子供は譲れませんね」
「-そう、ですか」
老人の頑なな反応にグレイは相分かったと一度、二度と頷き
そして老人に小さく頭を下げると傍らに鎮座している大島へと声を掛けた
「君、帰るかね」
「はあ……」
大島は気の無い返事をしつつ、促されるままにグレイと共に立ち上がった
「では、是にて-また、遊びに来ても宜しいですかな」
「エエ、無論……『遊びに』でしたらな」
老人は気の良い様相で
併し或る種の『念押し』の言葉を向けてグレイと大島を快い風で見送った
帰り際
屋敷の戸口まで、件の少年奴隷が二人を見送りに着いて来る
先程、外で見た服装とは違い身形の良き気品のある服装
少年の端正な容姿と肢体には至極似合っている其の姿
「旦那様……」
ぽつり、と少年が英語で二人へと声を掛ける
少年の大きな黒い瞳は潤みを帯びていた
大島は表情を曇らせ、少年へ何事か言おうとするが
其の肩をグレイがポンと叩き、言葉を止めさせた
「君、今日はホテルに帰ろうか-もう、ディナーの刻が近いだろうに」
兄弟の契り交わしたとは云え、船長と船乗りの間柄
大島はグレイの言葉に頷き、さっさっと歩き去る彼の後を着いて行った
時折、じっと此方を見たまま立って居る少年奴隷を振り返りながら。
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