第3話

「実に、其の奴隷で苦しんで居るのです」

少年は重ねて、グレイと大島に言った


「ふン、そうか。」

グレイは少年の言葉に頷くと、自らの顎に軽く手を添えた

「可哀想なものだな、苦しいかね」

「苦しいの何のと、とても御話に為りません」

問いに、少年は俯きがちとなり瞳を伏せ、哀れな声色で答える

か弱く、歳相応の無邪気さ等も見えぬ其の姿は彼の現状を語るには充分過ぎる様に思え、グレイは眉根を寄せて再び頷いた

「そうだろうな、では何故逃げてしまわないのだね」

「……とっても」

少年は力を入れて頭を掉った

「逃げられないか、如何しても」

「逃げられる位ならば逃げます。何処へ行ったって是程の苦しみは有りません。一生飼い殺しならまだ良い物です」

「何だって?其れはまた随分な、如何云う事だい」


飼い殺しさえましである。実に穏やかではない少年の言葉に大島が怪訝と声を上げると、少年は長い睫毛を瞬かせて答えた

「駱駝同様にこき使われ、其れに又私が英語をやるものですから……外国人が御出でになられた時、通弁させるのに便利だと」


大島は口を噤んだ


-見目、何ともか細く稚く愛らしい少年が、駱駝同様に働かされているとは。

言葉の意味する事を察するに、面持ちは只重く暗くなるばかりである


「成程、其れでは手放す事等なかろうな」

少年の言葉に苦く、声を失っている大島の傍ら

グレイが考え深く相槌を打った


少年も頷く

頷き其うしてグレイを見上げた


「貴方は英国の方でしょう。私も、行きたいです-英国へ」

「-」

グレイはじっと、少年を見下ろした

静かな炎を秘めた湖の色の瞳と、澄んだ黒色の瞳が見詰め合う


其の黒の瞳は、露の雫を湛えて居た

救ってと頼むが如く


其の姿にぢりぢりと、大島の中の義侠心、そして江戸児根性に火が点き膨らむ

ちらとグレイを見れば、グレイもまた大島を横目に見ている


多分、恐らくはグレイも、亦


「なあ」

「君」

大島とグレイが殆ど同じくして少年に声を掛けた其の時であった


「また遊んで居くさる」

声に振り向けば、気高い風采の老人が急ぎ足で此方へと駆け寄って来る


老人はつかつかと少年奴隷の所へ差し寄って来て、くわっと眼をいからせ

少年の肩をぐっと引っ掴んだ

「何とぞ言うと遊ぶ事ばっかり。さっ、来ないか、帰らないか早く、畜生めっ。」

枯れた大きな手が少年の肩を揺さ振り、細腕を捕えて強く引っ張る


一場の小言ではあったが、其の平素の待遇の如何ばかり酷であるかが知れる言葉、そして所作であった。


大島は歯を噛み、老人へと声を向けようとするが

船長-グレイが黙り、少年を引く姿を見ている故に、自身も口を閉ざし黙り込んで居た


グレイの虫を殺し黙る姿

今は謂われ無く、まだ何も口を出すべきでは無いと云う事であろう


憐れむべき少年はグレイに向かって何かを言いたい様な様子、面持ちで

黒い瞳に少しばかりの涙を含み、老人に引かれながら見返り、振り返り

去って行った


老人と少年を見送り、グレイは嗟嘆した

其うして、呟く様に言葉を零す

「可哀想なものだな、実に奴隷とはあの様なものかな。」

「其う云うものでしょうに-奴隷、とは。……奴隷を求めて此処に来たのですから、御存知では」

大島の答えに、グレイは相槌を打ち、湖の蒼の瞳を遠くへと向けた

「其う、確かにそうだ-だが、ああも華奢な子供を見ると、どうもね」


暫し考える素振りを見せ、グレイは大島を見遣った

「君-大島」

「はい」


勿体付ける様拍を置き、グレイは不敵に笑んで言った


「あの子供を、手に入れるとしようか」

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