37 -最新の魔法少女-
そう、目の前に鶴城栄美が居た。夜の闇の下に仄かな光を放つ水面。光と闇が逆転したその場所に立ち、明悟と相対している少女は間違い無く鶴城栄美だと理解出来た。しかしその姿は明悟が最期に見た十歳の頃の姿ではなく何故か成長していた姿を、十代半ばまで成長した姿で明悟の前に立っていた。『薙乃』と同じ位の年齢なのだ。栄美の方は明悟のライダースーツ姿とは違い第二段階の瑠璃色のドレスを身に付けており、しかし顔を隠すフェイスガード状のバイザーは頭部から外されて栄美の顔が剥き出しにされており、その鮮烈な表情が晒されていた。
その姿が自分では無く栄美のものだと直感したのは正にその表情のせい。その怒りは瑞々しく繊細で、端正で有りながら内から溢れ出す様な攻撃的な熱を帯びていた。こんな若々しい表情は出来ない、同じ顔なのにこうも表情が異なるのかと、明悟は酷く驚かされる。
だがその表情の中に有るのは怒りだけでは無かった。怒りよりももっと切実な、譲れぬ願いを懇願するように瞳が震えている。この表情には見覚えがある気がする。場違いな想起、孫娘におねだりをされている感覚を思い出させる。そして、明悟はその事に歓喜している事に気付かされた。明悟にとって福音とすら言えるかも知れない。また再び、栄美に頼られる日が来るとは思ってもいなかった。しかしこれは栄美の願いというだけでは無く、自分の願いでもあるのだ。この魔素によりもたらされた水面の果てに残された栄美の意志と明悟の願いが接続した。
栄美の怒り、何に変えても叶えたい願いを突き通そうとする子供染みた熱量に明悟は感化された。だがどうするのか? 明悟の疑問に栄美は応える。わたしの力をすべて使えばいい、そして鶴城薙乃としてするべき事をするのだ、と。
ありがとう、使わせてもらうよ。
いいよ。そもそも最初からおじいちゃんに押し付けた物だし。
栄美、すまない。私達はお前に何も
それもいいよ自分から進んで魔法少女になったんだし。それよりお願い、必ず、絶対に結良ちゃんを助けて。
明悟はその輝く星に手を、手折られた花に、叶えられなかった祈りに、どうしようもなく総てを踏み越え烈日に焼かれる未来に、手を、伸ばす。
途端、蒼い炎で全身を射抜かれる衝撃が走った。
その熱と炎は身体の内と外全てに浸透し燃え広がり、焼かれた森が瞬く間に新たな命を抱く豊かな土壌となる様に己の肉体に力が蓄えられていく感覚が溢れてくる。
そして炎がコスチュームを形作りながら消え去る。
デザインに変化は無い。見知った瑠璃色のドレス。バレエのチュチュと甲冑を組み合わせた様なタイトなデザイン。フェイスガード状のバイザーで上半分を隠した顔には微かな戸惑いが浮かんでいた。異常な程、身体が安定している。いつもならば荒れ狂う高波を無理矢理御しながら慎重に身体を駆動させねばならない危うさを伴うはずの第二段階の変身なのだが、今は身体も気持ちも、異様な程穏やかだ。このまま野を駆けだして無邪気に寝転がっても全く問題が無いだろう。そう、普通なのだ。きっと普段と変わらない感覚で行動出来る。そもそも第二段階に変身してそろそろ二秒は経つ。目算ならもう既に魔素の収束限界が過ぎて老人の姿に戻っている筈が、そんな気配は無い。今もなお鶴城薙乃のままである。
鶴城明悟は今この時、少女性の追求及びシフト・ファイターを受け継ぐために必要な素養を全て獲得した。今ここに居る『鶴城薙乃』は少女としてシフト・ファイターとして、世界と精神と肉体とが完全なる調和を得たのだ。
最新の魔法少女の生誕が、ここに為された。
「『
世界を震わすような囁き声で明悟は呟いた。
右手でグリップを握り水平に構えられたアサルトライフルは瑠璃色の炎を噴き上げ、再び先程の大仰なデザインの純白の大砲の様な形状に姿を変えた。しかしやはり安定感が違う、第一段階で出力の低い『
傍で結良が動きを止め、無数の目でこちらを見守る。
有角魔犬の方も異変に気付いたのか、右腕で頭部をガードしたまま左腕を威嚇するように持ち上げた。
牽制の姿勢、しかしその選択で勝敗は決していると言っても過言では無かった。
明悟はそのまま、有角魔犬の脚を狙って撃った。
蒼い残像を光線の様に残しながら飛ぶ弾丸は、轟音と共に有角魔犬の右足にめり込み、引き裂き、消し飛ばした。
コマ送りの様にゆっくりと倒れる有角魔犬に、更なる無数の弾丸が有角魔犬の全身に殺到する。
先程の狙いは融合途中の頭部が中心だったが、最早的は体躯全てだった。硬い物同士が激しくぶつかるような音にやがてミンチを捏ねるような音が加わり始め、有角魔犬の体躯の強度を無視して魔素体を弾丸で削り取り続けた。
既に弾倉に装填した弾を撃ち尽くし、空になっている筈なのにアサルトライフルからは弾丸が発射され続けていた。魔素を籠める弾丸が装填されていない時は魔素で弾丸そのものを造り出して発射する、この派手にコーティングされたアサルトライフルにはそんな機能が備えられていた。無から有を造り出さねばならない分本物の銃弾を依代にするよりもより多くの魔素を収束しなければならないので燃費が悪いはずなのだが、そんなものを気にする必要が無い程に明悟の肉体の魔素は充実し、安定していた。
有角魔犬の上半身の形状がわからなくなってきた辺りで、射撃を止めた。舞い上がった黒い魔素の煙が霧消した頃には最早、有角魔犬の上半身はそのまま消し飛んだように消えてなくなっており、傷口に普通の魔犬が潜り込んだ所で、元に戻る様なものでは無い様に思えた。
明悟はアサルトライフルに掛けたシフト・ファイター能力を解除し、結良に向き直った。結良の巨体は、驚いたように硬直しているようだった。
『栄美』も、明悟のシフト・ファイター能力の威力に純真に驚いているようだった。
しかし『明悟』の方は逆に不安に揺れていた。確かに難関はひとつ乗り越えた。しかし現実は何も変わっていない。これから結良はどうなってしまうのか、どうすればいいのか?
それに対して『栄美』は何故か楽観視、というか深く絶望をしていないようだった。もしかしたら、手立てが有るかもしれない、と。
『鶴城薙乃』は6年前からシフト・ファイターの能力を有していたが、それは酷く不安定で弱々しいものだった。今日この時、正式な変身者としてシフト・ファイターの力を解放したのだが、これは今まで少しずつ変身可能時間を伸ばしてきた延長線上の成長と言うよりは、必要条件を満たした事で新しい形態に移行したと言えなくない状態である。
新しいシフト・ファイターに生まれ直したのだ。
だから今ならば無理が通るかもしれない、と『栄美』は言う。
明悟は結良の魔素で固められた黒い体躯に手を伸ばし、触れた。温かくも冷たくも無い、コンクリートの壁を触っている様な感触だった。
薙乃……さん? 身動ぎしそうになる結良に待って欲しい、と明悟は声で押し留めた。
動かないで、わたしに任せて。そう口にし、黒い巨体を見上げながら制止する。
鶴城薙乃の身体の魔素の収束にはまだあやふやな部分が有る。おじいちゃんのシフト・ファイター能力が使えていたけどその能力の内容はまだ完全に決まり切っている訳じゃない。
わたしの能力もまだ少しだけ残っているかもしれない。
……どうすればいいんだ?
結良ちゃんを『
な、に? そんな事が可能なのか?
結良ちゃんを『武器』として定義するの。そして白紙の状態、まだシフト・ファイターに変身する前の状態に戻すの。使い古しの銃とか剣を新品に戻して箱の中に詰め直す、みたいな感覚で。
……結良を、武器と考えろ、と言うのかい?
うん、そう。
……それは中々。
抵抗がある、とか?
……あ、……そうだね。
少なくともわたしは、魔犬と戦う時、そういう風に考えていた事もあったよ。
……!
そう考えざるを得なかった感じ。
……そうか。……わかった、やろう。気持ちの整理が着いたよ。
うん、おっけー。
明悟は、結良に触れた手に少し力を込めた。
この魔素の装甲の中に包まれた原田結良の存在をイメージする。しかし明悟一人のイメージでは人間一人を丸々再現する事は不可能だろう。だからこれはイメージではなく捜索に近い。現在の結良の姿からそれをもたらした思惟を読み取りを因果関係から過去へと辿り、精神と肉体の相関関係から変身する直前の状態の結良の肉体の状態へと辿り着く。シフト・ファイターに変身する前の、『武器として』未使用の状態。
酷くご都合主義な懇願である。しかしその不安は頭の中から拭い去る事にする。イメージの強靭さが問われるなら、この余計な不安はマイナスにしかならない。それに明悟は、その懸念を不思議と感じなかった。結良の人間の身体と魔素体に、そして明悟が解き放とうとする思惟を帯びた魔素に脈打つように浸透しているのだ、栄美の、思惟とシフト・ファイター能力が。
明悟が自身のシフト・ファイター能力を組み上げるイメージに併走して栄美のシフト・ファイター能力『
『
明悟と結良、そして栄美の思惟の奔流の中で、明悟は泣き崩れそうになった。
さあ、おじいちゃん。
そして栄美は鮮烈な程に迷い無く促す。
魔法を、信じて。
結良に触れる掌に、その形も魔素も、思惟も全て収めている様な感覚を得た。
明悟は魔法を唱える、
唱えた途端明悟の目の前で、結良の魔素の肉体は瑠璃色の火柱になって崩れ落ち始めた。明悟が触れていた結良の魔素の身体は渇いた土塊の様にボロボロになり、舞い上がった黒い粒子は瑠璃色の炎に巻かれて消えていった。
黒い魔素が形を失い宙に舞い飛ぶと共に瑠璃色の炎も火種を無くしたように消え去った。
揺らめく魔素の煙の中に立っていた人影がひとつ。多那碧川高校の制服を着たショートカットの少女。原田結良だった。
結良は棒立ちになったまま、呆けた様子で舞い飛ぶ粒子を見渡していたが、明悟の存在に気付き、二つの瞳を明悟の方に向けた。
「栄美……ちゃん?」
未だ思考が定まっていないような曖昧で力無げな表情でその名を呟く結良。
明悟は、結良の元に歩み寄っていた。
見た目では無事らしいが脳に障害が出ているかどうか確かめねばならないし、まずこの場を一刻も早く移動しなければ危険だろう。そもそも明悟には結良を糾弾したい気持ちも少なからずあった。周りの心配を顧みず結良独りで危険に飛び込むという行為は決して褒められたものでは無い。
言うべき事や口にしたい事は山の様にあったはずなのに、結良に相対した明悟は、何も言わず彼女の華奢な躰を抱き締めていた。
「ぉう……」
抱き締められた瞬間、結良は一瞬驚いた様な呻き声の様な妙な声を上げた。衝動的な抱擁だったが、シフト・ファイター『第二段階』の身体で生身の人間を抱き締める力加減には気を付ける程度の理性は働いていた。恐らく結良は、抱き締められた事自体に驚いたのだと思われる。いやそもそも、衝動的に結良を抱き締めてしまった自分自身に驚愕していた。『鶴城明悟』のメンタリティーに於いてこういう状況で相手を抱き締めるという行動は普通取らない。有り得ないリアクションだ。昂ぶる感情が行動に反映されてしまっていた。
「その……、薙乃さん?」
結良が戸惑った様に明悟の名を呼ぶ。
「無事で……、良かったよ」
照れ隠しも兼ねて明悟は呟く。羞恥心を押し殺して結良を引き離すなら今だろうと意を決する直前に結良の方から明悟の背中に両腕を回し抱き寄せて来た。……抜け出すタイミングを逸してしまった。
「うん、無事」
耳元よりも少し後ろの方から結良の声が聴こえる。頬と鼻先を結良の髪に埋めながらそんな柔らかい声を聴くのは、何か酷くちぐはぐな事の様に思えた。
「目は、大丈夫なのかい? 違和感があるとか」
「ううん、全然問題無いよ。大丈夫。
……もしかして、栄美ちゃんが助けてくれたの?」
明悟は別に驚きはしなかった。あれだけ『存在感』が露わにされていたなら恐らく結良も気付いているだろうな、と明悟も思っていた。
「ああ、栄美の力も借りたよ」
「薙乃さんが魔法を使う時、多分栄美ちゃんと少し話が出来たと思う」
抱き合ったまま会話をする事にお互い億劫さを感じ、どちらともなくお互いの身体を引き剥がした。明悟は内心ほっとしたがそれを表情に出す事は無かった。代わりに自分でも制御出来ない程優しい表情をしてしまっている事に自分でも気付けずにいた。
「その時わたしは栄美ちゃんにお礼かお別れかその両方か……、とにかくずっと言えなかった大切な事を言えた気がするの」
つい先程まで明悟には、まるで栄美と同化した様な、自分と栄美の思考が同期している様な奇妙な感覚があった。しかし今は目覚めて思い出す夢の様に、その感覚は遠い忘却の彼方に消え失せようとしていた。今この場所に鶴城栄美は居ない。それだけが二人にはハッキリとわかった。
「栄美は、何か言っていたかい?」
「……すごく嬉しそうに笑っていたのだけはハッキリ覚えてる」
そして結良は真っ直ぐと明悟の顔を見詰めた。その表情は晴れやかで、それでいて無尽の明日に立ち向かう様な、決意に満ちた表情だった。
「薙乃さん、本当にありがとう。栄美ちゃんとまた会えるなんて思ってもみなかった」
そこで明悟が涙を流さなかったのは奇跡だと思った。
いや、泣き崩れなかった理由は本当に奇跡の様な事が起こってしまったからなのだが。
無論、悪い意味で。
不意に、遠くからスポットライトで照らす様な光が二人に降り注いだ。
二人はその光源に視線を向け、予想など出来ようはずの無い異常な光景に絶句した。
時刻は夜の帳が落ち始めている夕方。夕闇の空の下に途方も無い横幅の空色に輝く壁が地面から空に向かって迫上がっていた。方向は西側、壁は周囲の建物の高さを大きく超えていて、山さえも呑み込みかねない大きさにまで伸びて行きそうな程。空色の発行する壁の眩さは夜明けが訪れたのではないかと錯覚させる程だ。
「なん、だ、これ……」
「う、うえぇぇぇ~~~……!?」
言葉を失う明悟と素っ頓狂な悲鳴を上げる結良の頭の中から、自分達の身に起きた奇跡が消し飛ばされたのは無理からぬ事と言うより他は無いだろう。
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