33  -魔素体大禍とその経緯と『最初の人間』-


 先週に『最初の人間』と命名された秘密結社の誕生は、今から十数年前、とある英国貴族の暴言に端を発した。曰く「人道・人権を最重要視する技術発展には限界がある。人類が、人類自身をデザインし直さねばならないのなら、それらはある程度無視されなければならないのではないか」と。現代社会の薄氷のような理知性を否定しかねない唾棄されるべき思想なのだが、それは世界中に潜む同じような思想の人々の琴線に触れた。その一部に、それなりのカネと権力を行使出来る者も一定数おり、世界に秘かに巣食う一大勢力と化してしまったのだ。

 『最初の人間(と後に命名される組織)』が最初に着手した計画が『全人類に魔法の存在を認知させる』というものだった。彼ら曰く、『魔法』はこの世に実在する。何故なら魔法に関する記録が世界中に存在しているからだ。現代社会に於いて魔法の実在が信じられていないのは現代人が魔法の存在を信じていないから。……というのが『最初の人間』の考えだった。旧時代に『魔法』と呼ばれていた行為とその結果に因果関係が見出せないと手当たり次第に証明されたからこそ誰も信じていないのではないのかと言いたくなる所だが、『最初の人間』の最初の目的は飽くまでも『魔法』が実在すると多くの人類に信じさせる事だったので、本当の魔法の実在を確かめる行為はなんと当初は全く重要視されていなかった。モノの真贋などは関係無い、多くの人間が『魔法の実在』を心から信じる社会の構築が目的だった。

 魔法の実在を信じさせるために魔法をでっち上げる。そのためにありとあらゆる事が行われた。動物が絡んだ怪事件を発生させ、品種改良した獣を野に放ち、『本物の』魔法を使い犬の怪物を構築し、情報を拡散させ世界に『魔犬』という謎の怪物の存在を認知させた。要は旧時代における魔術の立ち位置と同じだ。何かしら『魔的』な怪物が世界中に現れ国や組織のレベルでそれに対処せねばならないとなると個人レベルでも魔犬、ひいては魔術の存在を無視出来なくなる。全世界をそんな、シャーマンや祈祷師の呪術が組織の意思決定に関わるようなレベルまで落とし込みたかったのだ。

 結果、それは上手く行き過ぎた。

『魔素』などという『最初の人間』の魔法使い達でさえ知らなかった謎の粒子が世界に拡散した。

 ――魔法をでっち上げて広める手段として『魔犬(犬の様な形状の怪物)』が採用された理由は、組織内に『犬の怪物』を魔法で造り出す事が出来る魔法使いが居たからだ。『愛犬家』の通り名で呼ばれる事になる彼以外にも魔法使いは何人か居たが、『犬の怪物』を造り出すというシンプルさと宣伝向きのインパクトは他の魔法使い達の得意分野では無く、本物の犬に纏わる事件も織り交ぜつつピンポイントで『魔犬』を暴れさせれば、術者『愛犬家』の負担を最小限にして、「世界中で、正体不明の犬の怪物が現れている」と人々に思い込ませる事が出来るのではないかと考えられた。

 『愛犬家』は組織の最古参メンバーの一人で、組織の序列上『広報官』よりも上の立場であり、しかも日本人である。『広報官』はしばしば『愛犬家』のアシスタントの様な仕事を行っていた。

 『広報官』は『愛犬家』にどのように魔法を習得したのかと尋ねた事がある。『愛犬家』は特に考え込む風も無く「過去の知識の蓄積の果てに不意に現れる合致感を見つけ出した」と答えた。

「かつての先人達は、あらゆるモノに働き掛け力を借りる行いを魔術・呪術と定義してきた。それは精霊であったり悪魔であったり自然界の隠れた法則であったり人間の内なる力であったり、それらは全てある意味では正しかったがそのどれもが説明不足ではあった。それらは超常的な『何か』――我々が仮として『魔力』と定義しているモノに自身の思惑を作用させるために理解の及ぶ概念にデフォルメしているに過ぎない。著しく魔法の機能を制限してはいるがそれは旧時代の魔法使い達の経験則の結実であり先人達の思考的足取りを辿る事にもなる」

「その割には幹部の人達が過去の魔術書の通りに魔法を使おうとしないのが素朴な疑問ではあるんですけど。『ソロモンの鍵』や『黒い雌鶏』なんかを最重要課題図書に指定しているのに悪魔召喚とかやろうとしているのを見た事が無いですし……」

 『広報官』の質問に対して『愛犬家』は感情の起伏を見せる風も無く淡々と返した。

「それには大きな理由が二つある。ひとつは、それら魔術書が書かれた時代性の齟齬、もうひとつは術者の適性の有無。……便宜上二つに分けたが、これらはどちらも同じ意味とも言えるか。魔術を行使するのに適した下地が術者の内外に整っていないと魔術は適切に作用しない。古い魔術の内容はそれぞれが著された時代背景に即した内容である事が多い。そういった背景を十分に理解しないと十全な成果は得られない。魔術の行使者が変わるとそれはより顕著だ。魔法陣や生贄、詠唱というのは魔術のイメージを補強する補助的な役割を持つに過ぎない。知識と理解を想起させるツールであるため、そもそも術者自身に適性が無ければ役に立たないのだ」

 ……『科学』と『魔法』の明確な違いについて、『最初の人間』はひとつの基準を提示している。曰く『同じ条件で誰が実践しても同じ結果が常に得られて、再現性があるものを科学とし、同じ条件で誰が実践しても同じ結果が得られるとは限らないものが魔法である』と。人間の身勝手で現実の自然法則を捻じ曲げる程のイメージを組み上げるには、他人の足跡をそのまま間借し再現しようとするだけでは無理があるし発展性も期待出来ない。身も蓋も無く端的に言ってしまえば、個性や感性の差異により、他人が使っていた魔法をそのまま真似しようとしても上手くいかないのだ。

 誰かから借りて来た消化不良な情報をそのまま再現するだけでは辿り着けない。しかしそれと同時に、個人のイメージだけでそれ程の魔術を組み立て制御するのは難しい。過去の魔術・呪術の記録は成功のサンプルケースであり、魔術の在り方を形作る雛型でもある。完全再現は不可能だとしても、別の魔術を組み上げる上での骨組み・肉付けの材料としてなら利用出来る場合がある。

 結果、生まれるのが多重に折り重なり合う情報の構造体だ。『犬の怪物』を造り出すという目的の為に、複数の魔術書・魔術行使の技法から犬に纏わる歴史・風習・都市伝説・物語、そして生物学上の犬の特性まで、魔犬製作の一助に出来そうなセンテンス/断片をそれぞれから摘み上げ組み合わせ、概念と文書のキメラのような三次元的に繋ぎ合わされた非常に複雑な構造体――或いは呪文や魔法陣。『最初の人間』では『術式』とか『構築式』という呼び方がされるものが出来上がる。そこから更に試行錯誤を経る。構造体を成す記述は具体化された思惟を基底現実に刻み付けた石碑だ。それが術者の思惟を正確に反映したものであるかを見直さねばならないし、その思惟自体も、現実世界に精密に像を成すほどに具体的で緻密なものでなければならない。

 以上は、魔素が発見される以前の魔法構築方法である。『最初の人間』でさえも魔素の存在を認知し始めたのは魔素体大禍の半年前、実は世間一般の研究機関とさして変わらない時分なのだ。

 魔術研究の研鑽の果ての必然と言えるかもしれないが、ある時を境に、魔犬を造り出す魔法の発動プロセスが大幅に短縮・簡略化されたのだ。切っ掛けは魔犬を造り出す構築式の構造を再検討している際、別の魔法使い『調律師』からの提案だった。曰く「魔犬の存在意義確立の補強に魔犬を視認した人間の認知を取り入れてみればどうだろうか」と。……『調律師』という人物は魔素体大禍以前から魔法を使う事が出来たメンバーの一人で、「実験・研究における人道の無視」を説いた件の英国貴族本人で、事実上の組織の創設者だ。そもそも「魔法を信じている者が増えれば魔法の成功率が上がる」というのは『最初の人間』に所属する魔法使い達の当時からの共通認識らしく、科学的な観点から魔法の存在を立証させる事が出来なかった原因もこの辺にある。術者と受け手の精神状態が成否に大きく関わる魔術構築に於いて、猜疑と疑念、或いは真贋を見定めようとする念を強く帯びた視点というのは根本的に魔術と相性が良いものでは無い。魔法を信じていない者の前で魔法を成功させる出来るほど強固な魔法を成功させられる者が当時の『最初の人間』には居なかったのだ。

 兎にも角にも、この『調律師』からの提案を受けた『愛犬家』は、数年に及び行ってきた魔犬の存在を広める活動を利用。世界中の人々に広く認知されつつあった、ミームとしての『魔犬』の概念を魔法の補強に利用する術式に組み直した。

 その断片の中には、ユングの無意識の研究に関する文章も加えられた。

 魔犬構築の魔法が劇的に効率化し、精度・強度共に向上したのはそれからだ。ある時から、魔法を行使している『愛犬家』自身が驚く位にあっさりと立て続けに成功し始めて、その時の術式と思考の変遷を纏め、他の構成員達にも実践させた所、次々と魔術儀式の成功が報告されるようになった。

 実験は次の段階に進んだ。世界各地の人口密集地から離れた、しかしそれなりに住人が居る地域を選んで構築された魔犬が放たれた。都市部では無く郊外を狙ったのは、魔犬構築がまだ魔術の練習段階だと考えられていたからで、『最初の人間』が魔術のノウハウを確立させるまで程々に世間を騒がせておきたいという意図が有ったからだ。……この頃になって、ようやく『最初の人間』内でも『魔素』の存在に気付き始めた。それまでの魔犬構築ではそもそも構築される魔犬自体があやふやで不安定な状態で、透明になってふっと消えていくのが常だったので、黒い粒の存在というのが魔法構築中に確認された事は無かったのだ。

「何か、世界のルール自体が変わりつつあるように感じられてしまうな……」

 状況の変化と成果の結実に静かに湧き立つ組織内に於いて、厭に冷静な口調で『愛犬家』が口にしていたその言葉は、皮肉にも今後の展開の予言になってしまった。

 真実を述べると、『魔素体大禍』は『最初の人間』が直接引き起こした事象ではない。魔犬を造ったのは『最初の人間(を名乗る事になる組織)』だが、あんな大量発生を引き起こした覚えはない。そもそも当時の魔法構築効率では数十~数百の魔犬を世界中のあらゆる都市で同時発生させる事は不可能だった(今でもそんなものは無理だ)。そんな能力は有していなかった。魔犬を造り出す魔法が、全自動で発動され続けているシステムが突如として現れたのだ。

 謎の魔犬の大量発生は実の所『最初の人間』にとってそれほど脅威にはならなかった。魔犬には管理者が一括でコントロール出来る機能が備わっており、複数体一纏めにして命令を与える機能があった。この機能をフル活用する事で、浸透域内でも魔犬の存在を恐れず自由に活動出来た。――そして既存の魔犬、『愛犬家』製の魔犬に対するコントロールシステムが謎の大群にも通用する点は、『愛犬家』が造った構築式がそっくりそのままコピーされてしまっているという理解しがたい事実を浮き彫りにした。

 魔素体浸透域内、魔犬とドッペルゲンガーが大量発生した廃墟の都市を『最初の人間』は秘密裏に調査した。……結論としては『何も発見できなかった』。大気中の魔素の濃度や徘徊する魔犬の分布から鑑みて、調査した各都市に於いて魔犬の発生源と思しき『点』の地点は発見された。しかしそこには何も無かったのだ。その地点の周囲数キロメートル圏内で不定期に魔犬が造り出されているのは観測されたが、それは本当に独りでに周囲の魔素が収束して魔犬の姿を成しているのだ。

 都市そのものに指向性の無い大量の魔素が貯蔵されていた。――『最初の人間』内で提示された仮説の中で最も支持されているものがそれだ。魔素には人の思念に反応して振る舞いを変化させる性質が有る。魔術的な手順を踏まずとも魔素に干渉する事は可能だ。しかしそれは思惟を(魔術という形で)明確化させていない漠然とした思考ではないし、魔素に目掛けて意識的に向けている訳でも無い。魔素を飼い慣らし従わせるには至らない非常に微弱な思惟、ヒトの思念が存在するなら検知出来ない程微かではあるかも知れないが、魔素が反応していた可能性は高い。都市という、大量の人間が非常に長い年月滞在し続ける場所に於いて、無数にひしめく思念や願いを受けて、魔素は都市に少しずつ堆積していった。ヒトの思念が澱となって堆積したような魔素はしかし、何かを形作る程の剛く体系化された思惟に干渉される事無く、不活性のまま蓄積され続けていった。

 それに触れてしまったのが『愛犬家』の魔法である。

 恐らく術式のパーツにユングの集合的無意識の研究を含めてしまったのが良くなかった。人類の無意識下での普遍的領域・共有領域が都市に虚ろな思念を帯びて堆積していた魔素の塊――『最初の人間』はそれに『ヒュージ・ブレイン』と名付けた――に紐付けされてしまい、大量の魔素を蓄積していた都市そのものが魔犬の存在を保証する役目を担い、更に不活性な魔素の塊に綿密に組み上げられた魔犬製作の構築式が流入。ヒュージ・ブレインはそのまま、魔犬を精製し続ける独立した装置と化してしまったのだ。

 魔素体大禍を受け、『最初の人間』内はやはり混乱した。しかしその混乱は自分達の魔法が最悪の災害を引き起こしてしまった事に対する動揺や良心の呵責では無く、単純に予想外の事態が起こってしまった事に対する混乱だ。……世界中に魔法の存在を伝播するというのは至上命題だった。魔素体大禍がもし無かったとしても、最初から魔素体大禍に類する規模の災悪を世界規模で引き起こし、魔法の存在を嫌でも認識させるというのは『最初の人間』が組織の体を成す最初期の段階から予定されていた。事態のコントロール権が完全に『最初の人間』の手から離れてしまったのは大きな問題ではあるが、人員や設備、魔素の制御能力キャパシティなど、乗り越えられるかどうかの目途すら立てられていなかったリソース面での課題が瞬く間に独りでに解決してしまったという点はいっそ都合が良過ぎて不気味ではある。

「……世界の確変にこんなにも性急に加担するとは思いもしなかった」

 魔素体大禍直後、『広報官』は『愛犬家』が個人的な本音の様なもの漏らしていたのを耳にした。

「しかし小恥ずかしいものだな、決して洗練されているとは言えないつぎはぎの術式が全世界にコピーされ流布しているというのは。幼い頃の読書感想文が目の前で回し読みされているような気分だよ」

 『広報官』にとっては耳を疑いたくなる言葉だった。自分の造ったモノで何十万・何百万という人間が命を落としたというのにそんな事を恥ずかしがっている場合なのかと、思った。勿論『思った』だけで憤慨はしなかった。自分も同罪なのだ。そしてそれを聞いた時も「まぁ、『愛犬家』さんなら言いそうなことだな」とどこか納得したの事実で、『愛犬家』の、いや、『最初の人間』幹部達のを疑った事の無い『広報官』にとっては予期出来た反応である(――そしてその、目的のためなら手段を厭わない強靭な意志性と実行力こそが、『広報官』が『最初の人間』に籍を置き続けている一番の理由である)。

 ――付け加えると、都市そのものに魔素が貯蔵されていたとする『ヒュージ・ブレイン仮説』を提唱したのが他ならぬ『調律師』だ。術式に集合的無意識の記述を加える切っ掛けになった人物であり、最初から世界がこうなってしまう事を予想した上で提案したのではないかと『広報官』は訝しんでいる。その仮説について『愛犬家』は「……そういう可能性もあるかもしれないな」と、酷くあやふやに同意するだけだった。古参の魔法使い達の間で既に口裏合わせが済んでいたのかもしれない。魔法使い特有の秘密主義にうすら寒さを感じざるを得ない。


「……あっ、はーい、了解しましたどうもですー」

 内通者からの連絡を携帯電話から受けた『広報官』は適当に謝辞を述べ、電話を切った。

 助手席に座る『拾い読み』が仮面越しにそんな『広報官』の様子を窺っている。もっとも、彼女の仮面の下には様子を窺う様な器官は確認出来ないのだが。

「結良ちゃんが動いたよ」

 言葉を待つ『拾い読み』に『広報官』は端的に告げる。

「多那橋駅の近くに突然『怪物フリークス』サイズの魔素体が現れて、自衛隊の防衛ラインを内側から突破していったらしい」

「……『頭目』は間に合うんですか?」

「いや、起動にまだ時間が掛かるよ。まぁ、普通の魔犬で充分時間は稼げる。結良ちゃんがあの数の魔犬を無視するはずは無いし。

 こっちは『頭目』が現場に到着するタイミングに併せて動くから」

「わかりました」

 『拾い読み』は情感が読み取れない美しい声で同意した。

 ……どうしてこんな事になってしまったのだろうという思いは未だに無くは無い。

 魔素体大禍直後は良心の呵責に苛まれて食事が喉を通らなくなったりその食事を食べた傍から嘔吐していたなんて事は何の言い訳にもならない。未だに自分はこの場に留まり、『魔法少女捕獲計画』なんて物を遂行しているのだから。生まれて初めて『本物の』魔法を見た時の世界が拡張していく感覚、「世界が変わるかもしれない」という期待と好奇心に魅せられたままなのだ。

 ……そしてもう一つ補足しておく。我々『最初の人間』は『ドッペルゲンガー』が何なのか、何も知らない。まだ何もわかっていない。


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