31 -戦線構築-
半田崎市以東の中京地域の入り口である多那橋市への陸路でのアクセスルートは主に2つ。ひとつは太平洋沿いの海岸線を進み現在陸上自衛隊の前線基地になっている蒲香市を通り過ぎるルート。かつて多那橋から名古屋へ続く線路の通過点になっていたルートだ。もうひとつは少し北上した内陸、木曽山脈の尾根の谷間を縫うように進み、新哉市方面へと広がる盆地に出るルート(魔犬を捕獲に出向いた際にIKセキュリティが利用した道)だ。双方に自衛隊の駐屯地が設けられ、魔素体浸透域から人々の生活圏へ魔犬やドッペルゲンガーが侵入しないように監視が、時として迎撃が行われている。
通常、浸透域から生活圏・駐屯地に魔素体が近付いてきた場合、駐屯地から部隊が出動し対処する形になるが、今回は規模が違う。半田崎市内に設置されているモニタリングポストの
撤退した駐屯地の部隊の代わりに足止めを受け持つのは浸透域から生活圏までの『グレーゾーン』に無数に埋没されたスマート地雷である。ひとつひとつの稼働状態がネットワーク上で監視されているそれらは自衛隊撤収と共に休眠状態からアクティブに移行、魔犬の通過をセンサーで感知すると起爆する。遠隔で爆破する事も可能だ。
『グレーゾーン』にびっしりと敷き詰められたスマート地雷の先、人類の生活圏の目前、最終防衛ラインで自衛隊は展開している。地雷原により侵攻の鈍った魔犬達目掛けて遠距離から攻撃を仕掛ける。誘導弾や戦車の砲撃など、魔犬の耐久力に対抗出来る兵器で距離を詰められる前に撃退していく形を取る。この手法で、魔犬の侵攻を止めきれるならばそれで十全、地雷と砲撃による牽制で捌き切れないという結論が出れば別の手段に移行する。
「ただこれは、敵が考え無く猪突猛進する魔犬だから成立する、という危うさが有る」
『広報官』は、隣に座る『拾い読み』にしみじみとした口調で説明する。
その場所は蒲香市の市街地に停められた車の中。その場所は(もう自衛隊が撤収した)駐屯地よりも半田崎市に近い場所、即ち魔素体浸透域の内部に設定されている地点である。
「魔犬が地雷原を避けない前提の戦術で、山間部に入り込んで迂回するなり廃墟を屋根伝いに進むなんて手もある」
細かいメモが書き込まれた多那橋市近辺の地図を膝の上に広げた『広報官』は魔犬が侵攻する二つのルートを地図上でなぞりながら口にする。
「そういう指示を出すのは、魔犬が負けそうな時?」
抑揚の無い口調で『拾い読み』が確認する。
「より正確に言うと『誰も出て来なかった時』だね。防衛ラインの内側に数体忍び込ませて背後から接近戦を仕掛ければ自衛隊じゃもう勝ち筋が無くなるよ」
「シフト・ファイターにしか対処出来ない状況を無理矢理作る訳ですね」
「そう。そうなると政府的には……、東京在住のシフト・ファイター3人を呼んでくるしかないよね。ただ連絡を取るだけでも数時間以上掛かるだろうし来てくれるかどうかも不明。こちらの目的としてはあの3人でもアリと言えばアリなんだけどね、まぁ……、あんまり都合は良くないね」
「……そんなに凄い人達なんですか?」
「んー……、強いシフト・ファイターと言うよりは、手際が良いと言い換えるべきだね、何せ6年間政府や『ウチ』とかくれんぼしながら魔犬を倒し続けていた人達だからね。隙なんて見せてくれないよ。あの子達の方が絶対都合が良い」
「弱いから?」
「総合力は絶対に低い。ただまぁ、出て来てくれなかったら意味が無いからギリギリ何とか出来そうなレベルまでこの街を(そう言いながら地図上の多那橋市を示す)追い詰めなければならない」
「……『コレ』で本当に来てくれるのでしょうか?」
『拾い読み』は両手に握りしめたスマートフォンを軽く掲げた。
「自分達の町が戦場になるのを見過ごせるはずは無いよ。彼女達はシフト・ファイターなんだからね」
「はい、
ノートパソコンのディスプレイに映された磯垣司令官がいつも以上に張り詰めた声色で明悟に説明する。仮面を被っているが、緊張感のある様子が雰囲気で察せられた。
明悟を乗せた自動車は現在、秘書の運転で碧川高校より東の方向、静岡へと向かっていた。砥賀町(新哉市西部の地名)の基地(魔犬捕獲時に装甲車群が明悟達と別れて帰投した場所)は自衛隊の防衛ラインの内側、つまり新哉市側にあるがすぐ傍で、安全の為に一斉避難を始めていた。
「……それと、スタッフ15名が装甲車3台と共に自衛隊の防衛ラインに合流し、あちらの指揮下に入りました」
淡々とした口調を変えずかなり重大な報告をさらりとして来た。口調に澱みは無いが磯垣の態度には、どこか挑む様な、験す様な意味合いが込められている様な気がした。文句が有るなら言ってみろと言わんばかりではないか。心配するな、そんなものは言うつもりは無い。
「有志か?」
「はい。陸自との共同作戦の訓練も経験しているメンバーです。問題は無いでしょう」
その『問題無いでしょう』は無論、『卒無く仕事が出来るでしょう』という意味で『怪我する事は無いでしょう』という意味では無い。そんな事は注釈しないし確認も行われない。
……IKセキュリティの基本的業務に、有事の際の防衛に直接参加するサービスは存在しない。本当に敵が攻め込んできた場合はハッキリ言って民間人と変わりが無いので寧ろ戦闘の邪魔にならない様に早々に避難すべきだ。しかしスタッフが参加を志願し、自衛隊側がそれを了承したなら話は別だ。IKセキュリティで働いているスタッフは、大部分の者が多かれ少なかれ魔素体に人々が脅かされる現状に思う所がある。義憤に駆られての行動というのは十分理解出来る。実は平時にもそういう事態を想定し自衛隊側と合同訓練を行ってきており、契約面でも対応できるよう社内外で準備はされてきている。所謂『義勇軍』というヤツだろう。
ただ、スタッフの命に関わる判断を磯垣は独断で行った。彼にはそういう権限を与えているので問題は無いのだが、それを明悟に報告する磯垣の態度は、非難など一切訊き入れないという頑なさが有る。いや、それは多分気のせいだろう。磯垣もわかっている筈だ、魔素体の恐怖に対して銃を手に立ち向かわねば正気を保てなかった人間達の中心人物が他ならぬ鶴城明悟その人だという事を。
「そうかわかった……。有志のスタッフのアフターケアは君に任せる」
「わかりました」
画面の中の磯垣は、重々しい所作で深々と頭を下げる。
「……それから、浜松の本社に行く前にこちらは多那橋駅に寄ります。『特別チーム』以外のスタッフはそちらで降ろします」
「ああ……」
下車したスタッフ達はそれぞれ家族の元に向かうのだろう。無事に合流出来れば良いが。
「本社の方では管制室の稼働を始めています。半田崎のカサジゾウとの接続は良好です」
……カサジゾウや無人哨戒機の操作や現場で活動するスタッフのオペレーションを行う管制室は基本的に砥賀町の前線基地で行われているが、有事の際には同じシステム・設備を浜松の本社にも用意している。因みに先程話題に挙げられた『特別チーム』というのは、薙乃=シフト・ファイターだという事を知っているスタッフ達の事である(薙乃=明悟だという事は知らない)。
「ふむ、半田崎の様子はどうか? 映像で確認は出来ているのか?」
「その件ですが、中々興味深いと言いますか、現状の侵攻とは別の意味で異常な状態ではあります」
「ん? どういう事だ?」
「カサジゾウを一台、半田崎中央駅のバスターミナルに待機させているのですが、何故かその周囲に何体か魔犬が徘徊しているのが確認されていまして」
そう言いながら画面上の磯垣は自分のパソコンを忙しなく操作する。画面内の磯垣の顔の下辺りに別の画面が小さく表示された。車もヒトの気配も無い広々とした道路、バスターミナルの中で
「……これはリアルタイムの映像なのか?」
明悟は確認を取る。
「はい、元々この駅の周辺にも魔犬が数頭いる事は確認されていましたが」
「妙じゃないか、半田崎の魔犬は全て今こちらに攻めて来ているのではないか? どうしてこの3頭は動かない」
「……この他にも3台、計4台のカサジゾウを半田崎中央駅近辺に配置していますがその全てが1頭ないし2頭の魔犬を確認しています」
「そんなに……? 何故?」
「それが謎なんです。
モニタリングポストの反応分布を分析しますとどうやら半田崎の周辺の都市から魔犬が集まって、東部に侵攻している様なのですが、半田崎の中心地に居た魔犬達は移動せず、寧ろ駅周辺に集まってきている」
「……それは完全に守りの動きではないか。そこに誰かが来られては困る理由があるのか?」
「或いは、ここに誰かが攻めてくるという確証が『最初の人間』側にあるのではないでしょうか? 我々が魔犬をモニターしている事もわかっているでしょうから、意味あり気に魔犬を配置して我々、いや、シフト・ファイターを誘き出そうと考えているのかもしれない」
「ふーむ……。半田崎市内のカサジゾウの数はどうなっている?」
「駅周辺に4台、これらはすぐ近くに魔犬が居ますので現状移動させる事が出来ません。あと11台が駅の北東部にある太陽光発電施設で充電中ないし待機中」
……IKセキュリティのカサジゾウを数十台、常時浸透域内に待機させており、打ち捨てられた民間の太陽光発電所を改造した施設で充電しつつ、自衛隊やIKセキュリティの作戦に併せて浸透域内部から哨戒、魔犬の撃退を行っている。
昨日の小岩井の資料、ドッペルゲンガー被害者の不気味な共通点を受けて、明悟と磯垣の判断により、放課後の侵攻開始前に蒲香やその他近隣に広く配備されていたカサジゾウが、前以て半田崎に集められていた。
果たして、小岩井の推理は実を結んでしまった。ただ小隊程度の数の戦闘ロボットで何が出来るのかという疑問はあるが、少なくとも、数百体の魔犬の群れを相手にする以上には有用な運用が出来るかもしれないという感触はあった。
「……半田崎で何かが起こる可能性は捨て切れない、引き続き監視を頼む」
「わかりました。無人哨戒機も飛ばせるよう準備させています。まぁ、陸自も半田崎上空に哨戒機を飛ばしている筈なので、そちらの映像データを共有出来るよう現在打診中です」
「……?」
磯垣のその言葉に明悟は不意に妙な違和感を覚えた。
「……待ってくれ、有事の際は哨戒機を自衛隊側に貸与する規定になっていなかったか? 自衛隊から打診は無いのか?」
「ありましたが、整備中を理由に留め置いています」
「そうなの……か?」
思惑があるのか、随分思い切った事をやる物だなと驚いていたら、磯垣がこう続ける。
「クイーン1をバックアップしなければならない可能性があると思いまして」
明悟は思わず眼を見開いてしまった。磯垣は、自分がこの姿(女子高生の姿)で戦場に出るなどと本気で思っているのか? しかし画面の向こうの司令官は冗談で口にしているという気配を一切滲ませてはいない。
「……そんな可能性を考慮しているのか、君は?」
「想定に値するケースだとは思っていますよ」
今度は少しだけ磯垣の声に楽し気な調子が込められていた。そこで明悟は改めて自分を顧みる。……今は全くそのつもりは無いが、状況の推移によってはゼロとは言えない。認めるしかない。
「わかった、留め置いてくれ」
「わかりました。実際、整備中なのは事実です。急ピッチで動かせる状態にさせていますが、事態の収束までに間に合うかは微妙ですね」
「ふ、む……」
自分の反応を見るために鎌を掛けたのか? 本心を見透かされたようで居心地が悪かったが、磯垣の状況判断とそれに伴う行動選択の妙だと賞賛すべきなのだろう。
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