第五話:王よ/少女よ、憤怒せよ
30 -沸き立つ者-
……次の日。思案を重ねた末、明悟は遅刻せず登校する事にした。
大事に備えて自宅待機しようかとも考えたが、結局いつ『広報官』の言う『侵攻』が始まるのかハッキリしないので、ルーチンを維持する事を優先した。
『平和を守る』というのは詰まる所、人々に日々の営み、日常を維持する事に他ならない。それが正体不明の男一人の言葉で侵害されてよいはずが無いと憤る敵愾心が働いてしまった。無論、IKセキュリティのスタッフ達は引き続き最大限の警戒を行っているが、それは日頃の業務の延長線上の事。そして明悟が日常業務を最大限行うとなると、女子高生の姿で高校に向かい、少年少女と机を並べて勉学に励まなければならない。……寧ろ、屋敷や会社に居た所で明悟にやるべき事が特に無い。(そして、明悟にとって女子高校生としての生活を『日常』と呼んでしまって良いものか? という疑問は脇に除けておく)。
変身可能時間を残すために学校を休むという発想も無くは無かったが、昨日昼過ぎに登校した事で既にかなりの変身時間が溜まっているし、もし本当に魔素体大禍に匹敵する『侵攻』が行われるなら、今の『シフト・ファイター:鶴城薙乃』の戦闘能力では中途半端過ぎて役に立たない。戦いが大規模なものになるならそれは自衛隊の出番だ。命懸けで大立ち回りをしてようやく2・3体魔犬を倒せるレベルでは話にならない。
原田結良が登校していないと知ったのは二時間目の授業後の休憩の時だ。
結良の様子を確認するべく一年六組に出向き、教室内の生徒に取り次ぎを昨日と同じ男子生徒に頼んだ(どうも彼は入り口で友人と屯するのが習慣になっているらしい)のだが、今日は学校に来ていないと返された。病気なのかと明悟は尋ねたが、多分そうだと思う、と自信無さ気な返事をされた。……その場は取り敢えず退散するしかなかった。
……言い知れぬ不安を感じたが、同時にそれは考え過ぎなのではないかという気持ちもあった。昨日の結良は元気そのもので風邪などひいているようには見えなかったし、二日前の件でも怪我など負ってはいなかったはずだ。昨晩の結良は電車とバスを乗り継いで帰宅した後、家から出ていない事を監視班が確認している(監視というより護衛という意味合いに移り変わってはいるが)。不安を感じた、しかし不安に思う要素などそもそもないはずだ。自分の鋭敏に過ぎる直感を自分自身で持て余してしまう。
明悟の胸中に広がる理不尽な不安感が解消されたのは昼休みが終わりに差し掛かった辺りだ。――しかしそれは、新たな不安の始まりになってしまったのだが。
昼休みの終わりが近付いて来た頃、明悟が教室に入ろうとしていた時に、廊下から結良が歩いてくる姿が視界に入った。思わず、弾かれる様にそちらを振り向く。明悟が気付いたのを確認し、結良が嬉しそうに笑顔を返した。……笑顔を返してきたのだが、表情が何か変だ。覇気がない、と言うより酷い疲弊が滲み出ている。
「おはよ~」
今はもう昼だろう? とかそういうツッ込み待ちなのだろうが、無理矢理取り繕おうとする笑顔が気になってそれどころではない。
「おはよう、もう昼だけどね……」
それでも一応ツッ込みは入れる。結良は嬉しげな表情を作るがやはり辛そうなのだ。
「大丈夫なのかい? 随分顔色が悪いけど……?」
「あ、うん……、風邪ひいちゃったみたい」
結良の笑顔から、心配を掛けまいとする意図が見て取れる。
「……もしかして、私のうちに来た時すでに体調が悪かったのかい?」
「ううん、薙乃さんの家に居る時は何ともなかったんだけど、家に帰ったら急に具合が悪くなっちゃって。昼休みに登校しちゃった」
今日はわたしが重役出勤だ、と結良はお道化て言う。『重役出勤』という言葉が結良の口から出てきた事が少し以外で、明悟もつられてくすりと笑う。
「……でも、体調が悪いなら無理に登校せずに安静にしておいた方が良かったんじゃないのかい? 万が一の場合も考えて」
万が一、という言葉を明悟が口にしたとき、結良は唇を結んで真面目な表情を作る。
「それも考えたんだけどね……」
何故かそこで結良はバツの悪そうな表情を作る。
「何か、負けん気? みたいなものが働いちゃうの。こんな事で負けてたまるかー、ていう」
『負けん気』という単語が出て来た事に明悟は内心少なからず驚きを覚えた。意地でも平和を維持しようという気概、自分と同じ事を考えているのか、君は? だがここで明悟は「……かと言って、いざという時に身体がまともに働かなければ元も子もないよ」という非常に順当な応答を返した。
「う~ん、ほんとそれ」
それに対して結良は何の変哲も無い力無い笑顔を見せた。
「登校した時もね、わたしの顔を視た瞬間、みんな凄く心配そうに話し掛けて来るの、顔色悪いけど大丈夫? みたいな」
「君の今の様子を見たら皆心配するのは当然だよ」
心配かけてゴメン~、と結良は壁に片手をついて申し訳なさそうに言う。
「……そうそう、午前中にさ、六組の教室に来てくれたんでしょ? 何か用事だったの?」
誰かに明悟が教室を尋ねた事を訊いたらしい。
「いや……、大したことじゃないよ。昨日の今日だったしね、結良さんの様子を見に行ったんだ」
「そうだったんだ。ご心配かけました、ご覧の通り生きてま~す」
そう言うと結良はより疲弊した風なよろよろとした挙動で、だらしのない敬礼を作って見せた。明悟は思わず小さく微笑んでしまう。
「ここまで来させてしまってごめんね」
「ううん、いいよ、わたしも薙乃さんに会っておきたかったし」
じゃあそろそろ五時間目だか帰るね~、と言いつつ、結良はよたよたとクラスへ戻っていった。
昨日の今日で妙に勘繰ってしまいたくなったが、様子からしてどうも本当に体調不良らしい。ただ、本当に体調不良らしかった様子のせいで、明悟は今朝結良の教室に出向いた時に確認したかったある事柄を訊きそびれてしまった。それは一昨日の『最初の人間』との対面の時の事だ。明悟と北森が結良の元に辿り着く前に現場近くに居たスタッフが耳にしたという『銃声』だ。昨日の結良との会談でその事に付いて質問するタイミングを逸してしまっていた。結良からもあの銃声が聴こえたはずなのだが、結良の体調が本当に悪そうだったのでヒヤリングを遠慮してしまったのだった。
昨日の夜、魔犬の実験結果とそこから導き出された仮説を駒木と曳山から訊かされた後、明悟は小岩井から渡された封筒と、結良とドッペルゲンガー『拾い読み』との関係性について話をした。赤いコスチュームのシフト・ファイターに変身した女がかつて魔素体大禍の最中に原田結良をコピーしたドッペルゲンガーである点、そのドッペルゲンガーと結良には未だに何らかのつながりが有り、ドッペルゲンガーの『力』が日増しに強くなっていたという結良の話、そして力が増している事と半田崎市に接点を持つ被害者達は無関係ではないのではないかという明悟の考えを示した。
「『拾い読み』と呼ばれていた『人物』と半田崎の女性達を襲ったドッペルゲンガーが同一かどうかは断定し辛いようにも思えますが……」
曳山は思案しつつ口にする。
「ですが完全に関係が無いと切り離せないように思えるのもまた事実です」
明悟と結良の会話については曳山と駒木は魔犬の実験中にもある程度モニターしていたらしい。それに加えて、会話を文字にして出力した書類に目を落としながら明悟と話をしていた。
「そうか……、『喰い散らかし』とか『拾い読み』っていうのはそういう意味なのかもね……」
不意に何かに納得したように駒木が呟く。明悟と曳山が視線を向ける。
「……いやねぇ、ドッペルゲンガーの女性の呼び名がどうして『喰い散らかし』とか『拾い読み』って言うのかなぁ、ってずっと疑問でね。小岩井君の推理通り十七人もの女性を殺さずにコピーしているならその呼び名も理解出来るなぁ、と思って」
「……そうか、殺し切れていないという意味合いがある、という事か?」
「読み込み切れていないから『拾い読み』、食べ尽くし切れていないから『喰い散らかし』という具合にね」
「だとすると、その呼び名には、そのドッペルゲンガーのコピー能力に不備があるという意味合いも有るのかもしれませんね、殺し切れないという意味意外に」
ドッペルゲンガーの通称で女性被害者の犯人説が強化されてしまった節が有りますね、と曳山は沈痛な表情を作った。
「……となると、女性をコピーする行為、『拾い読』む行為が恣意的なものだとすれば、やはりそれはドッペルゲンガーの力の増大と関連が有ると考えるべきだろうか?」
明悟がそう尋ねると、曳山はプリントアウトされた明悟と結良の会話に素早く視線を走らせ話題の項目を探す。
「そうですね……、気になったのはやはり『一日に一回しか使えないはずのシフト・ファイター能力を二回使っていた』という点でしょうか?」
「コピーした人間の数に比例してシフト・ファイターとしての能力が増す、と言うのか?」
「無論、可能性の域は出ないのですが。……そうなると、17人もの人間、原田結良さんを除くと16人もの人間をコピーする事で、一体どれほどシフト・ファイターの能力が強化されるのかを考えねばなりません。一日に一度しか使用できない能力が二回になるのはどれほど重大な事なのか?」
「単純に、一人一回しか使えないと考えたら17回使えるようになっているとか?」
あっけらかんと恐ろしい事をいう駒木に対して、曳山は「……その可能性も十分考えられます」と暗い声で応じた。
……結局ドッペルゲンガーの被害者の件で確信が持てる話は何ひとつ無く、シフト・ファイターとしての力の増大と被害者の数に関係があるのではないかという明悟の仮説が同意・補強されただけだった。被害に遭う人間が何故『半田崎市と関係のある』『女性』に限られるのかも謎のままだ。そもそも曳山・駒木を始めとする魔素研究チームは昨日は殆ど魔犬の実験に注力していたので明悟と結良の会談の内容が十分に頭に入っているとは言えない状態だった(魔犬のサンプルがあとどれだけ形状を保てるかわからない状態だったとは言え、ちょっとはタイミングを考えられなかったのかと憤らざるを得なかった)。日を跨げば研究チームからももう少し踏み込んだ分析や今後の方針についての話が出てくるだろうが、只それらは、『ずっと先の事』のように今の明悟には思えてしまう。近日行われるという魔犬の侵攻を凌ぐ手立てはそこにあるのだろうか? そんな詮無い焦燥感に駆られていた。
女子高生の姿のまま、昨日の濃厚過ぎる新情報の坩堝に思いを巡らせている内に、一日の授業が終え、放課後が訪れた。屈託無い様子で教室を出て行くクラスメイト達。何人かの女子生徒と別れの挨拶を交わした。
事前に秘書から連絡が入っており、彼女が車で学校まで迎えに来るまであと十五分ほど掛かるとの事。魔犬の侵攻を想定して暫くの間、下校時には秘書が『薙乃』を迎えに来る事になっていた。教室で宿題にでも目を通し時間を潰そうかとも思ったが、身が入りそうにないので、校内を回って時間を潰す。
ホームルーム終了直後の狂騒は今は静まり、廊下はまばらに遠くから人の声や物音が響いてくるのみになっていた。大方の生徒は下校や部活や補習の為に行くべき場所に移動し終えたようだ。明悟は、廊下を歩きながらちらりと、運動場の方を一瞥した。未だに廊下のカーテンは全て閉められていた。閉められている筈なのだが、今週に入ってから所々で開け放たれたままになっているカーテンを目にする機会が増えてきている気がする。今運動場を見下ろしているのも、偶然カーテンの開いた窓の傍を通り掛かったからだ。生徒達のドッペルゲンガーへの危機感はほぼ消えかけているのだ。皮肉なものだが、鶴城薙乃の立場では殊更強く注意喚起するのも無理がある。
明悟の視線は窓から陸上部が練習している近辺に注がれた。体操服姿で練習している部員達の隅の方に結良の姿を見掛けた。結良は体操服では無く制服姿だった。学生鞄を肩に掛け、ジャージ姿の女子生徒二人と笑顔で何やら会話をしているようだった。……部活動を休むと断りを入れに行ったら、思いがけず部員達との会話に花が咲いてしまったといった所か。……部活動の再開を心待ちにしていた結良が二日連続で部活動を休まねばならなくなった彼女の不運に明悟は密かに心を痛めていた。実際、内一日は自身の屋敷に放課後呼び出してしまった事が原因なのだ。今日の体調不良も、昨日新哉市まで遠出をさせてしまった事と関係が有るのかもしれない。そうだとしても、まぁ不可抗力なのでどうしようもないのだが。自分が罪悪感を持つのは不合理である。
明悟は丁寧にカーテンを閉める。そろそろ秘書が高校の傍までやって来る時間だろう。
……シフト・ファイターが魔素体の存在・位置を察知する能力、その原理の一端について、明悟が半ば本能的に理解出来た点がひとつある。それは先日の磯垣司令官の言葉が切っ掛けになった。どうも『殺気』を感知しているのではないかと思われる。だが感じ取っているものは、「人を殺す」ための所作から滲み出るシグナルの様な間接的なものでは無く、人を殺そうとする『意志』そのものであるように思われる。
半田崎市で魔犬を捕獲した際、仏壇・仏具店の斜向かいの建物の二階に居た二体の魔犬の存在を感知した。しかしそもそも疑問が有る。シフト・ファイターに魔犬の居所を感知する能力が有るのならどうして仏壇・仏具店に入る前にその2体の存在に気付かなかったのか?
どうやらシフト・ファイターは、魔素体の魔素の変質・膨張の際に共に膨れ上がる思惟の
……これらの、憶測と直感が幅を利かせた仮説を明悟が不意に思い付いたのは、何故なのか?
答えは、今まさに殺気に満ちた魔素の気配を強く強く感じているからに他ならない。
「―――!! 止め、止めてくれ! 車を止めてくれ!!」
後部座席から明悟は、慌てた口調で運転をする秘書に指示を出した。驚いた表情を作りつつも秘書は丁寧に淀み無く路肩に停車する。停車と共に明悟は自動車を降り、プリーツスカートを翻しつつ辺りを見渡す。
高校まで自動車で迎えに来た秘書の運転で、高校から少し離れた幹線道路の途中まで移動していた。そこは視界が拓けた場所で、幹線道路沿いに駐車所の面積が無闇に広い商店がまばらに並ぶだけで、その周囲には農地が広がっている。遠くに近くに、建設途中の公団住宅の姿が散見されるが、広漠な土地の印象を覆せる程の密度で立っている訳では無い。
明悟は風景の中から一方向に意識を向け、神経を研ぎ澄ませる。
この方向はほぼ西。蒲香とその先の半田崎の方角だ。
唐突に湧き上がったというべきいくつもの『気配』。非常に遠くだが数が凄まじい。芯に熱を帯びたような圧迫感が鋭く、その害意を振るう相手を探し求めるように蠢く。
それが即ち『殺意』である。
魔犬一体一体が意志の発露としてヒトを殺そうとしている訳では無いと思う。魔犬は見た目こそ犬だが、機械的に動く融通の利かない部分が有る。恐らく魔犬が魔素によって形造られる際、魔犬を
「……どうなさったんですか?」
同じく車から外に出た秘書が神妙な面持ちで明悟に尋ねた。尋ねつつ、明悟が何を感じたのかはほぼ察せられているようだった。
「名古屋の……、半田崎の方だ。魔犬が一斉に変身している……」
……数十キロ先の魔犬の変身が感知出来るとは思ってもみなかった。恐らく変身した魔犬の数が余りにも大量だった事が起因している。
数秒前までハッキリと感じられた不気味な圧迫感は、秘書が明悟に話し掛けてきた辺りで殆ど感じ取れなくなっていた。魔犬の指向性が人類への攻撃に転化するその一瞬だけ『殺意』がありありと感じられる、というものなのかもしれない。それ以降は魔素が安定し、大きな思惟の発露は感じられなくなるようだ。
車の中から、一瞬だけずれたタイミングで二つのアラーム音が響き渡る。
明悟と秘書はそれぞれ車内にある自分の携帯電話を手に取った。二人の携帯電話は同じ内容のメールを受信していた。災害や武力攻撃事態等の緊急性の高い危機事態が発生した際に瞬時に警告・情報を国民に伝達する瞬時警告システムによるメールだ。大量の魔犬の活動の活発化を知らせる内容、半田崎市近辺を徘徊していた魔犬が不意に移動を開始したというもの。浸透域内である半田崎市に(魔犬の目を盗んで)設置されてきたモニタリングポストが、今一斉に反応をしているのだろう。
……本気か。
明悟は、『最初の人間』の『広報官』という人物のあのふざけた言動の真意を測りかねいている部分が有った。それはハッキリ言って希望的観測で、別の意図が有ってあんな恐ろしい戯言を口にしたのではないという事を少なからず期待していた。しかしどうも彼らは、宣言した事は丁寧に実行する性格の組織らしい。そんな誠実さは望んではいなかった。
斯くして、否応無く火蓋は切られた。
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