27  -少女と老人の境界-


 地下通路の簡易更衣室。服を脱ぎつつ変身しつつ着替えに手を掛ける。そこにあったのは淡い水色のシフォンブラウスと黒のロングスカート、ちょっと待ってくれ、いつの間にか私服に差し替えられている。いつだ、一体どのタイミングで秘書は着替えを入れ替えたんだ? 当然制服は片付けられている。確かに、順当に考えるなら明悟と結良が会談している間に『薙乃』が私服に着替えているという筋書きは正しい。ただ、秘書がここまできめ細かい準備をしている事を想定しておらず、明悟は驚かされた。……秘書の挙動に大いなる謎を抱きつつ、他に着る物も無いので下着を身に付け、用意されていた着替えを無私の心でテキパキと着る。

 カーテンから出てすぐそこに備え付けてある姿見に目を遣る。やや大人びた組み合わせの上品な装いは早熟な容姿の薙乃には良く似合っているが、顔立ちに残った年相応のあどけなさが背伸びをしている様なアンバランスな印象を与える。

 明悟は鏡に映る怜悧な眼差しを細めながら黒髪を手櫛で整える。これもまた、少々気取り過ぎではないのか? 女性の衣服を見事に着こなしてしまっている自分自身の有様については極力深く考え無い様に努めてきたが、私服姿で学友の前に立つという経験はまだかぞえる程しかない。羞恥心が沸々と湧き上がる。

 ……しかし結良を余り待たせ過ぎるのも良くない。明悟は羞恥心を押し殺し、そそくさと応接室へ向かう。

 薙乃だよ、入るよ。襖を開ける際一応断りを入れた。あっ、はい。すぐさま返事が返ってきた。明悟は意を決して襖を開ける。

 結良と目が合う。明悟は努めて、大袈裟になり過ぎない程度に温和な表情を作る。反面結良は目を丸くした表情で明悟を迎える。

「すまない、義父が緊急で資材倉庫の方に出向かなければならなくなったから、私が代わりに来させてもらった」

「ええ……、事故か何かなの?」

「どうもそうみたいだね、幸い怪我をした人は居ないみたいだけれど」

 結良は「うん……」と曖昧に頷いてから明悟の姿をまじまじと見詰める。どう見ても気がそぞろだ。

「……この服装、変かな?」

 結良が完全に明悟の姿に気を取られてしまっているので、明悟から話題を振ってしまった。

「いやいやいやいや、変じゃない! てか完璧! 綺麗、大人っぽい……!」

 非常に力強く褒める。しかも座布団からすくと立ち上がり、また改めて明悟の佇まいを観察する。

「はぁぁぁ……、いや凄い、お嬢様みたい。……あっ、そっか、薙乃さんは本物のお嬢様なのかぁ」

「……そんなにまじまじ見詰められると照れてしまうよ」

 明悟は困った様な表情を浮かべながら、結良から目を逸らしてしまった。……上辺こそ照れたようにもじもじとして見せているが、現状明悟は、身悶えするような羞恥に襲われている最中だった。普段見せない私服姿を学友につぶさに観察され非常に力の籠った評論をされるという状況が、初めて女子中学生の格好をして登校した際に感じた羞恥をフラッシュバックさせていた。

「あ、ごめん。いや、でもホントに変じゃないから。絶対どこに出しても恥ずかしくないルックス」

 褒めてくれるのは有り難いが、今まさにとんでもなく恥ずかしい。

 心の準備が出来ていたならまた少し話が違っていたと思う。しかし同年代の女の子が友人の私服姿に触れない筈が無い。明悟自身でさえ似合っていると感じる程ならば尚更だ、スルーなどするものか。応接室に入る前にある程度結良のリアクションを想定しておくべきだったのだ。

「あー、でも薙乃さんのこういう落ち着いたスカート姿ってちょっと意外かも」

「……そうなのかい?」

「勿論良く似合ってるんだけど、薙乃さん、普段着ではジーンズとか穿いてるイメージが有ったから」

「ああ……、でも私はスカートしか持っていないんだ」

「えっ……、それどういう事?」

 途端、結良は表情を凍り付かせた。

「薙乃さん、普段ズボンとか穿かないの?」

 結良の表情が、今日一番の驚きを露わにしている。……しまった、余計な事を口にしてしまった。

「ああ、その、義父が古い人でね、ズボンの類を年頃の女の子が穿くと良い顔をしないんだ……」

「はぁぁ、ウチの人、厳しいんだぁ……」

「特別厳しいという訳では無いんだけどね、まぁ何となく慣例さ……」

 薙乃の立場を借りて、非常にたどたどしく自分自身を弁護する。

 ……実際、『薙乃』の私服にジーンズ等のズボンの類が無いのは本当だ。しかしその理由は女性の服装に対する不寛容な考えに因るものでは無く、『少女性の追求』の一環で、日常生活でも少女としての所作や身なりを意識するように、『薙乃』の姿の際は常時スカートを穿いて生活するようにされているのだ。自身の服装の話題から話を逸らせたい一心で開示しなくていい事実を、いや、この状況で一番開示すべきでない事実を明かしてしまったのだ。

「ふぇ~、プライベートの薙乃さんってそんな感じなんだ。想像していた以上にご令嬢って感じでちょっと吃驚してる」

「うむぅ……」

「あああ、ごめん、変な意味じゃなくて、わたしの勝手なイメージと現実に大きな乖離が有って……。でも、現実の薙乃さんの方がぐっとくる、うん」

「恥ずかしいよ……。恥ずかしがっているのをわかっていてワザと言っているだろ、君」

 遂に明悟は弱音を吐いてしまった。しかも、『拗ねた様に咎める』演技が思いの外完璧に棘の無い愛らしさを出力出来てしまったので、更に羞恥の上塗りをする形になってしまった。しかし明悟がそれをどれほど恥ずかしく思おうとも、お嬢様然としたスカート姿で愛らしく結良を咎める所作をこなすしかないのだ。肉体と精神が軋みを上げる音が聴こえてきそうだ。

 申し訳無さそうに笑う結良の脇を通り抜け、先程まで明悟が座っていた上座まで移動する。少し思案し、明悟は座布団を両手で持ち上げ、結良の傍、湯呑と菓子皿が乗せられたお盆の脇に置いた。羊羹と緑茶が綺麗に無くなっている事については、指摘する必要は皆無だろう。

 その座布団の上に正座。座った瞬間、思わず溜め息が漏れてしまった。何気無い仕草で顔に掌を添えると、顔面が異様に熱い。どうも火照ってしまっているらしい。

「薙乃さん、顔真っ赤」

 明悟に併せて座りながら明悟の顔を覗き込み、楽し気に結良が茶化すので、「君のせいだろ、まったく……」と極力棘が無い様に呆れ声で言うと、結良は嬉しそうにくつくつと笑った。

 一応、それなりに深刻な話の続きを覚悟して応接室に入ったつもりだったのだがなんだこれは。完全に出鼻を挫かれてしまった。

「……服装ひとつでこんな事になるとは思いもしなかったよ」

「いやー、でも薙乃さんの私服とか衝撃的だし」

「衝撃か……。まぁ、褒めてもらえるのは悪い気はしないが……」

 ダメだ、堂々巡りになりそうだ。無理にでも話題を変える事にしようか。

「その……、大丈夫だったかい? 義父との会話は」

「うん、全然大丈夫。困った事があれば何でも助けるって言ってくれたし」

 『薙乃』の服装に神経を向けられるのなら確かに大丈夫だろう、と喉の奥から出掛かったが、寸前で押し留めた。

「話を始める前に、結良さんに伝えておかねばならない事があるんだ」

「ん? 何?」

「さっきの義父との会話なんだけどね、実は私も聴いていたんだ」

「……え?」

「録画しながら中継していたからね」

 そう言うと結良は視線を泳がせながら「えぇ……、あー、うーん……」と過去の会話を脳内で振り返りながら非常にバツの悪そうな表情を浮かべた。意図せず意趣返しのような形になってしまい、若干申し訳無い気持ちにもなったが、明悟は困ったような笑みを浮かべておく程度に留めた。

「……うん! 大丈夫! 訊かれて恥ずかしいような話はしてない! いける!」

 記憶を遡り終えたらしい結良は、拳を握りしめながら力強くひとり頷く。自分は間違った事を一切口にしていないという確信、そして『薙乃』からの言葉を受け止めてやるという覚悟が滲み出る。気を引き締めねばならないのは自分の方らしい、と明悟は改めて思う。

「私の事を心配してくれて、ありがとう」

 穏やかな笑顔を微かに浮かべる。そんな表情を意識しながら明悟は口にした。結良ははにかんだような笑顔で、しかし話がそれで終わりの筈が無いという確信も滲ませつつ「うん」と小さく返す。

「……正直な気持ちを話すよ」

「うん」

「勿論義父が戦うなと言うのなら私は戦わないよ。私の変身能力が不完全だという事も自覚している。物分かりの良い子供の振りをするつもりは無いが、研究対象でもある私を戦いに出すより安全な場所に置いておく方が価値が有るだろうと義父も考えているだろうね」

「……」

「でもね、戦いに行くという選択肢を完全に排除するつもりにもなれないんだ。それは、義父や会社に求められれば戦うだろうという以前の感情の話で、もし私の力で少しでも事態を好転させられるなら、誰かを救えるのなら、戦いに行く事を選ぶ可能性は十分にある」    

明悟は、薙乃の立場で『明悟』自身の考えを伝えるべきだと感じていた。前提として致命的な欺瞞を孕んだ関係ではあるが、それゆえに結良の前では『薙乃』として誠意ある態度を取らなければならない。気の緩みを見せれば、少女としての化けの皮が瓦解してしまうのではないかという緊張感もあった。

 明悟の言葉に結良は、困った様に眉間に皺を寄せて明悟を真っ直ぐ見詰め返した。無言で相手を咎めるような表情ではあるが、明悟は話を続けなければならない。

「……孫娘を亡くした義父の無念をずっと傍で感じて来た」

 嘘を吐きながら真実を口にする事が、ただ嘘を垂れ流すよりも罪悪感が薄まる気がする。反吐が出る感覚だが。

「自分や、栄美さんの両親が抱えた無念や悲しみをもう誰にも味あわせたくないという一心で活動していた義父の姿に感化されている部分もあるんだ。感化されているというのは、実は反面教師的な意味合いもあるんだけどね」

「反面教師……?」

「義父の在り様から、時々どうしようもない憎悪と敵愾心が感じられる。私や周りの人達には気丈に振る舞っているけれど、その原動力にとても暗くて痛々しい感情がどうしても見え隠れするんだ。

 義父の行いは意義があるし多分正しい。でもその土台にある物は耐え難いような憎悪と怒りで、時々酷く危うく感じる。でもせめて出来るだけ真っ直ぐ、誰かの力になれる様に……、その……、誰かの力になれる様にする手伝いが、義父の手伝いが出来たら良いと考えている……」

 今一瞬自分が『薙乃』なのか『明悟』なのかわからなくなって言葉の主語が混乱したが、何とか『明悟の心情を推し量った薙乃の言葉』という形に軌道修正してみせた。

「……薙乃さんが気にする必要なんて無いのに」

「なんだって?」

 結良の言葉が上手く聞き取れず、明悟は思わず訊き返した。無視出来ない程に暗い感情が込められた言葉の棘が突き刺さる感覚だけはひり付く様に感じ取れた。 

「育ての親だからって、その人の憎しみにまで付き合う事は無いよ。薙乃さんは、薙乃さんの人生を生きるべきなんだよ……」

 ……心を抉る事を言うじゃないか、結良くん。

「大丈夫、自分の意志で選んだ事だよ。義父の憎悪と心中するつもりは無いさ」

 実際どうなのだろうな、明悟は自問する。実際自分は、自分の憎悪と心中するつもりなのだろうか? 孫娘を亡くした/殺された無念でここまでやって来たが、果たして、その先に終わりは有るのだろうか?

「悲しい気持ちの終わりが何処なのかわからないのと同じで、憎いと思う気持ちも何処で終わればいいのかわからない」

 明悟の胸中に飛来した疑問に寄り添う様に、結良が言葉を続ける。明悟は思わず息を飲んだ。

「憎いと思う相手をこれ以上ないくらい徹底的に懲らしめてそれでも憎い気持ちが無くならなかったら、どうすればいいんだろう? そしてもし、復讐とかする前に憎む気持ちを自分で無くそうとしたら、それはやっぱり『裏切り』っていう事になってしまうのかな?」

「……」

 それは出来れば、本気で取り組む機会が一生訪れない事が好ましい命題なのだがな。

「結良さんは、やっぱりまだ憎いのかい? 君や栄美さんを襲った相手が」

「うん、何もできないから、考えない振りをしてるけどね」

 結良は、萎れかけた花の様な笑顔でそう言う。その口調はいっそ穏やかですらあった。

「本当は、わたし薙乃さんを止める権利全然無いかもしれないね」

「そうなのかい?」

「今のわたしに、シフト・ファイターの能力が残っていたら多分薙乃さんと同じ事考えるよ。ちょっと無理をして誰かが助かるなら、きっと戦うと思う」

「そして私が何とか君を引き留めようとする訳だね」

 姪御が軽口を叩くと結良はくすくすと小さく笑い「そうだね、きっとそんな感じ」と愉し気だが微かな憂いを帯びさせた口調で言う。

「薙乃さん」

 不意に背筋を伸ばし明悟を見据える結良。

「薙乃さんは、絶対生き残らないと駄目だよ。もう止めないけど、それだけは絶対だよ」

 そう言いながら結良は明悟の手を取り、両手で強く握り締める。その手は明悟には異様に冷たく感じたが、手汗でじっとりと湿っていた。

「……肝に銘じるよ」

 明悟は、結良の熱い真摯な眼差しをなんとか真っ正面から受け止めた。

「……あの『最初の人間』が攻めてくるという発言が嘘ならば、都合が良いのだけどな」

「いやー、有り得ないと思う」

 結良の視線が居た堪れなくなり、ついそんな事を口にしたが、結良はやんわりと否定した。

「薙乃さんもホントはそんな事全然思って無いでしょ?」

「…………ぅむ」

 完全に図星であるが。

 薙乃に掌を握り締められたまま、明悟は動けなくなってしまっていた。手を放してもらえるタイミングがわからない。結良の言葉と表情と体温が近い。このまま口実を見つけられないといつまでも間近で見詰め合ったままになりそうだ。それは何か、非常に拙いのではないかと、明悟は内心焦り始めていた。

「そう言えば、『最初の人間』についての事なんだが……」

 ひとつ、訊くべき事を思い出し、手を握ったまま結良に

「よ~、邪魔するぜぇ!」

『ひひゃあ!?』

不意に勢いよく開け放たれた襖の音と男性の声に、結良は悲鳴を上げて飛び上がった。明悟は、突然悲鳴を上げた結良に驚き、同じように素っ頓狂な悲鳴を上げてしまった。

 明悟と結良は襖の方に視線を向ける。

 そこに立っていたのは一人の男、白にストライプの入ったジャケットにスラックスという伊達男の様な出で立ちの老人、(元)探偵の小岩井勝巳である。無遠慮に襖を開けた瞬間返ってきた少女の悲鳴に一瞬驚いたようだが、今は目の前の状況、少女二人が鶴城明悟宅で何やら憩っているという光景に戸惑っているようだ。

「…………えと?」

「…………な!?」

 結良もこの状況に困惑していた。急に見ず知らずの老人が入ってきたのだ、無理も無い。そして、一番混乱していたのが明悟だ。想定外の人物の出現に、自分が今『どちら』を演じれば良いのかわからなくなって、頭が真っ白になっていた。

「……」

「……」

「……」

 三者三様に何をどうすれば良いのか瞬時に判断できず硬直してしまい、張り詰めたような沈黙が応接室を満たしている。

「よ……、よー、薙乃嬢ちゃん久しぶり」

 最初に沈黙を破ったのは小岩井だった。如何にも『意外な人物が現れて驚いた』という風なニュアンスを加味しつつ、何気無く挨拶をした。

「こ、こんにちは。小岩井さん……」

 機転を利かし明悟をその姿の通り『薙乃』として扱おうとする小岩井に併せる。しかし薙乃として小岩井に挨拶を返した瞬間明悟は、とんでもない羞恥心に襲われた。そう、これから暫く、結良に正体がバレない様に二人に前で『薙乃』を演じなければならない。五十年以上付き合いがある男に対して女子高生として接しなければならないのだ!

「襖開けた瞬間急に悲鳴を上げられたから吃驚したぜ」

「そ……、それはこちらの台詞です。断りも無く襖を開けるなんて非常識じゃないですか?」

「いやー、それはね、確かに迂闊だった」

 申し訳無さそうにそう言う小岩井の表情は非常にうきうきとしている。悪戯を進行中の子供のようですら有った。……コイツは明らかにこの状況を面白がっている。目の前で必死に女子高生を演じる老人の姿を楽しんでいるのだ。……悪趣味過ぎる。先程結良に私服姿を見せた時とは違う、理不尽に対する憤りを伴った羞恥を感じさせられる。

「えと……、お知り合い?」

 結良がおずおずと小声で明悟に尋ねた。明悟は、自分の中に芽生えた憎悪を必死で押し殺した。

「……こちらは、義父の友人の小岩井さん」

 明悟は素っ気無く、そして刺々しくならない様に注意しながら小岩井を結良に紹介する。

「どーもこんにちは。探偵業をさせて貰っている、小岩井勝巳だ。君が原田結良ちゃんだよね?」

「えっ、あっ、はい。原田結良です!」

 不意に名前を呼ばれた結良は、少し戸惑いながら応えた。待て小岩井、『それ』は明かしてしまっていいのか?

「えと、探偵って、あの『探偵』、ですか? 本物の?」

「はは、そうだよ、珍しいかい?」

「はい、初めて見ました!」

 小岩井は嬉し気に笑みを浮かべながら懐から名刺を取り出して結良に渡した。結良は両手で受け取り「ほ~~」と感嘆しながらそれを眺める。……まぁ、探偵など一般の人間からすれば作劇の中の存在と考える者が大部分だろう。明悟も、友人が探偵でなければ接点があったかどうか怪しい職種である。それにしても結良は、余りにも無邪気に感動して見せる。いっそ危うい程に。

「てか親父さんに用が有って来たんだけど、今家に居ないの?」

 小岩井は何喰わぬ顔をして薙乃の姿をした『親父さん』本人に尋ねる。小岩井なりの気を利かせた演技なのだろうけど、異様に白々しく見えてしまう。

「……義父は急用で、今は資材倉庫の方に出ています」

「へぇ、そうなのかい?」

 明悟の言葉を訊く小岩井の表情は、女子高生の演技をして敬語で話す旧友の姿を愉しむもの、意外の何かが含まれていた。僅かな情報から裏に隠された何かを察したような、鋭さが含まれている。相変わらず、変に勘が鋭い。

「今日小岩井さんがいらっしゃるという話は耳にしていなかったのですが……。義父をお呼びしましょうか?」

 アポイントも無く突然来るんじゃないよ、迷惑ではないか!? という思いを暗に込めつつ明悟は口にしたが、小岩井は「いやいや、それには及ばねぇよ」と馬耳東風といった具合に手を振る。

「明悟の奴にコレ、渡しといてくんない?」

 と言いながら小岩井は鞄から封筒を取り出し明悟本人に差し出した。明悟は立ち上がり受け取ったものの、この封筒の中身に何が入っているのか本当に検討が付かない。小岩井に依頼していた用件はもう終了している。

「……これは?」

 ただ薙乃の姿で問い詰める事も出来ず、遠慮がちに尋ねるのが限界だった。

「まぁ、ちょっとした追加報告だよ。明悟が中身を確認すれば意味が解るよ。出来るだけ早く……、出来れば今日中に見るように言っといてくんない?」

「……わかりました」

 明悟は、小岩井の言葉に非常に大きな違和感を覚えた。調査書類を「今日中に見ろ」などと念を押す事などこれまで一度も無かった。一体どういうつもりだ? お前の仕事はもう終わっているだろ……? 明悟は問い詰めるような表情を小岩井に向けてみるが、あろうことか小岩井は女性を丁寧にエスコートする時の様な温和な甘い笑みを返してきた。冗談でもそんなものを向けてくるな、気色悪い。

「おー……、本当に探偵さんっぽい」

 そんな小岩井の所作を眺めて感嘆を漏らす結良、明悟と小岩井は結良に視線を向ける。注目を集めてしまった結良は何かを言い掛けるが、途端ハッとしたような顔を作り、表情に緊張を走らせる。

「追加報告ってもしかして、わたしの事ですか?」

「ああ、君の察している通りだぜ。ここに来てるって事は、つまりそういう事なんだろ?」

 なんとあっさり明かした。

 不安げな表情を浮かべる結良に、小岩井は慌てて付け加える。

「あー、これは断言しておくけど、この件でオレが見聞きした事は絶対に他には漏らさないから、安心して欲しい。守秘義務って奴だね。ウチの会社でも君の『別の顔』について知っている人間はオレ以外居ないよ。てか、オレサイドの情報漏洩で明悟の娘と娘の友人に危害が及ぶなんて事があったら、明悟からどんな仕打ちを受けるか考えたくもねぇよ」

 仕事とは言え、悪い事をしたな。そこまで小岩井が言うと、結良は少しだけ表情を和らげた。

「探偵が調べている事件ってどんなだろうって思ったら、わたしの事だったんですね……」

「まぁ、事件というよりただの身辺調査だったんだがね。……もし明悟に何か酷い事をされそうならオレに相談してくれよ。関わった手前けじめは付けなきゃいけないからな、どんな事をしてでも君を助けるよ」

 まぁ、万に一つもそんな事は無いだろうけどな、と笑いながら小岩井は明悟を一瞥する。『明悟の仕打ちが怖いから情報漏洩などしない』とついさっき口にした直後に『どんな事をしてでも助ける』と明らかに矛盾する事を言い放った。心配するな、わざわざ釘を刺さなくても良い。

「そうか……、本物の探偵って殺人事件を解決したりするのが仕事って訳じゃないんですね」

 結良は、そのようなある種無邪気な質問を思案しながら投げ掛ける。

「殺人事件の解決は警察の仕事だからな、探偵が関わるのはもっと個人的な要件さ、平和な頃には身辺調査とか浮気調査が中心だったぜ」

「おお、浮気調査……」

 結良は掌を口元に添え目を丸くする。

「ただ魔素体大禍以後はそういうのより行方不明者の捜索の方が多いな。未だに調査中の依頼が何件かあるよ」

「……そういう人って、見つかるんですか?」

「まずやるのが、自衛隊が回収した遺留品の調査だな。遺体や所持品の損壊が酷くて身元不明で保存されている物を依頼主の証言と照らし合わせてひとつずつ調べていくんだ。

 あと、浸透域内のスラム街で生き延びてるっていう可能性もある。スラム街の住人については行政も手が回ってないから住人の身元を把握出来てない場合が多い」

「えっ、そういう場合ってどうやって……」

「ま、どこにでも同業者の情報網っていうのがあるんだよ。場合に因っちゃあ、オレ達の方からスラム街に出向く」

「はぁ~……」

 その後も小岩井は、実際に見つけ出した行方不明者のエピソードを語り始める。女子高生二名に構われて、この男は完全に舞い上がっていた。結良が割と本気で話に喰い付いていたので、小岩井はさらに調子に乗っている。

 二人の会話を何となく一歩引いた所で訊いていた明悟はふと庭に目を遣った。外が思いの外暗くなっていたので明悟は少し驚いた。

「結良さん」

 明悟は結良に声を掛けた。

「うん?」

「そろそろ帰った方がいいんじゃないのかい? 外もだいぶ暗いし」

「おおぅ、ホントだ!」

 結良もまだの外を見て、外の意外な暗さに驚いていた。

「いやでも大丈夫かな? お義父さん待たなくても?」

「私の方から電話するよ。それから、車の準備もさせる、暫く待っていて」

「おお、何から何までありがとう!」

「いや、そもそもウチの義父の我儘だしね」

「……しゃーねぇ、親父さんも戻って来ねぇみたいだし、オレもお暇するわ」

 いつの間にか自分の座布団を用意して座っていた小岩井もすくと立ち上がった。……さっきまで明悟と結良のやり取りをニヤニヤ笑いを押し殺したような表情で眺めていた様が明悟の視界の端に焼き付いていた。

「ああ、その封筒、親父さんに渡しといてな」

「……はい、必ず」

 しつこい程に小岩井は再び念を押す。一体、この中に何が入っているというのだ?


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