25 -初対面-
多那橋市から新哉市に入る辺りで、車を運転する秘書が後部座席の二人に仮面を被るように促した。それを受け明悟と結良はそそくさと仮面を被った。秘書も赤信号で停車した際に手早く仮面を被る。その辺りで何となく魔素体やらシフト・ファイターに関する会話は中断となった。仮面越しでは込み入った会話がし辛いというのが近年の全世代の共通認識になりつつある気がする。これも『時代が変わった』とする具体例のひとつなのだろうか?
結良は窓の外に広がる田畑と山林まばらな住居という要するに田舎の風景を楽しんでいた。明悟も同じ窓に視線を向け、窓の外の風景について他愛の無いお喋りに興じた。ハッキリ言って、普通にドライブを楽しんでいた。
そして新哉駅近辺、幹線道路を外れ左右に田畑が広がる緩やかな登り坂に入った。
「え……、もしかして……」
結良はフロントガラスの向こう側の坂の上に鎮座する屋敷を指差しながら恐る恐る尋ねる。
「ああ、私の家だよ」
「ふへ~、すっごいお屋敷だぁ……」
予想通りに、中々良い驚き方をしてくれたので、明悟は内心微笑ましく思ってしまった。
「えっ、あの後ろに倉庫みたいなのがあるけどあれも……」
「ああ、あれは会社の倉庫。オフィスも兼ねている」
「ふへ~~」
結良が感心したように感嘆を漏らす。……地下の実験施設に関しては言及する必要は無いだろう、取り敢えず。
車は屋敷の裏手のガレージに入り停車。ガレージと直結した勝手口から靴を脱いで屋敷の中に入る。屋敷に入った時に明悟と秘書は仮面を外し、結良もそれに倣う。結良は、目を丸くして遠慮がちに屋敷の内装を見渡していた。
板間を進み、応接室へと結良を通す。そこは広々とした和室で、上座と下座に座布団がひとつずつ敷かれている。庭側の障子は開け放たれ、縁側の向こうの庭の全体を見て取る事が出来る。
「会長を呼んで参ります」
そう言って秘書は結良に一礼し(結良も慌てて反射的に一礼を返す)、屋敷の奥へ入っていった。
「……悪い、私も席を外さねばならない」
明悟がそう打ち明けると、「えっ……?」と結良は不安げに明悟を見て、呟いた。
「義父は結良さんと二人きりで話をしたいと言っていたんだ」
「……なるほど」
結良は割と素直に首肯した。
「まぁ、話をするだけだよ。取って喰う様な事はしないさ」
明悟が軽口を叩くと、「うん、わかった」と微かに心細げに頷いた。
じゃあ、行くから。そう言いながら明悟は結良を残して応接室を離れた。不安げな表情の結良を残していくのは忍びなかったが、『鶴城明悟』と会話する結良を間近で見守るという行為は原理的に不可能である。それこそ矛盾だ。
明悟がやって来たのは地下通路へのエレベーター。そこからエレベーターに乗って地下通路まで降り真っ直ぐ狭い通路を進む。
地下ドームの入り口の手前辺りに人間より二回りほど大きい円柱状に組んだ骨組みにカーテンが巻かれた、簡易の脱衣所が設置してあった。……気を利かせて着替えと一緒に用意したのだろうがそもそもこの通路を利用する者は非常に限られているしその該当者達も今このタイミングで利用する見込みは無い。まぁ、念のためか。カーテンの中に入る。
脱衣所の中に置かれた籠の中には補聴器を模したインカム(会談に赴く明悟に対して研究チームがバックアップや指示を行う)と、そして『鶴城明悟』の服が用意されている。
女子高生の制服からすぐさま着替えるという訳だ。舞台役者の早着替えではあるまいに、と自嘲したい気分だったがそんな余裕も無い、かなり急いている。
下着まで脱いでから小さく呟く、シェイプ・リストア。全身から魔素を迸らせながら老人の姿に戻る。……地下通路内で着替えているのはシフト・ファイターの魔素感知能力を想定しての事だ。土とコンクリートで遮蔽された地下ならば、魔素の拡散を結良に悟られないだろうという判断だ。しかし、シフト・ファイターの魔素感知能力というものの性質は未だにハッキリとしない。先日の半田崎での魔犬捕縛の時も、不意にペットショップから出て来た魔犬二匹に反応出来たのは良いが、そもそもそんな場所に魔犬が隠れていたなどと、それらが動き出すまで全く気付きもしなかった。昨日も、数キロ先のシフト・ファイター能力の発動を感知出来たが、その後は全く何も感じ取れなくなり、結良の自転車に取り付けられた発信機に頼らねばならなかった。まだ何か、自分が知らない法則でもあるのだろうか? コンクリートと土の障壁というのも、結局どれほど効果があるのか分かったものでは無いのだ。まぁ、結良本人が自身がシフト・ファイターである事を否定しているので過剰な措置である事は否めないが、事実を隠している線も捨てられない(最悪、明悟の変身が感知されたとしても「薙乃がシフト・ファイター能力を使っていた」と言い訳で逃げ切るつもりだが)。
籠の中の着替えを改めて確認し、明悟は面喰らった。焦げ茶色の色無地の着物と羽織である。……明悟には、普段着で着物を着る習慣など無い。
こんな大仰な衣装を着ろと言うのか? 服を用意した秘書文句を言ってやりたかったが、そんな事をしている余裕も無い。
帯を結び、浴衣を羽織り、インカムを耳に嵌める。カーテンの中から出て来た明悟は傍に設置されていた姿見で着崩れが無いか確認する。和服の老人がそこに居た。ご隠居とかそういった呼び名が良く似合う出で立ちだなと我ながら自嘲する。こんな着物は滅多と着ない、何らかの式典の際にもほぼスーツである。つい先程まで女子高生の姿をしていた落差に頭がくらくらする。なるほど、この如何にも『作劇に出てきそうなご老体』然とした着物の選択は明悟自身に変身前後のメリハリを持たせるためかもしれない。
地下通路を戻りエレベーターに乗り地上に戻る。
エレベーターの扉が開いた先には秘書が待ち構えており素早く明悟の全身に視線を走らせた。最終確認、という事だろう。
「……これは少し、気取り過ぎではないのか?」
明悟は自らの着物を示しつつ批評のひとつは口にしてみる。
「そうですか? 素晴らしいギャップ萌、もとい、とても良く似合ってらっしゃると思います」
一瞬、秘書が何やら耳馴染の無い単語を口にした気がしたが、よく聞き取れなかった。
「それから駒木先生と曳山博士からの伝言なのですが」
「ん、なんだ?」
謎の単語に気を取られていた明悟に秘書は矢継ぎ早に話を続ける。
「お二人は忙しいので結良さんとの会話に立ち会えないそうです。後で録音を聴く、という事です」
「……なに?」
予想外の秘書の言葉に、明悟は一瞬絶句してしまった。……どういう事だ? 本物の(元)シフト・ファイターが来ているのだぞ? 今このタイミングで他に忙しい事などどこにあると言うのだ?
「どういう事だ……?」
「何でも、『魔犬研究の画期的なブレイクスルーを思い付いたかもしれない』という事で、今朝から方々で資料を集めて、昼過ぎから何か新しい実験を始めようとしているようです」
「……ブレイクスルーは歓迎だが、それは日を改める事は出来なかったのか?」
「研究者気質、という事では無いでしょうか?」
秘書は少し困った様な笑みを浮かべる。
「サポートに関しては
「まぁ……、そうか」
そうか、と言うしかなかった。来られない、と言うのなら仕方あるまい。今から説得するという選択肢も無くは無いが、結良を待たせている手前余り時間を掛けるのも拙い。瀬名博士は研究チームのナンバー2(元・量子力学の研究者、曳山よりやや若い女性)で信頼できる人物である。インカムで結良と会談する明悟をサポートするという仕事に関しては何の問題も無いだろう。ただ、こんなタイミングで逸る探求心を抑えられないというのはどうなのだ? と呆れざるを得ない。或いは、それ程に重大な発見をしたとでも言うのか……?
ともあれ結良との会談だ。
ハッキリ言って、女子学生の姿で初めて中学校に登校した時並みに緊張していた。いやまぁ、『鶴城明悟』を演じれば良いだけなので難易度はずっと低いが。頭の中で明悟は自分の『立場』を再確認する。結良とは初対面で、身辺は探偵によって調査済みで、娘の薙乃から人となりを訊かされた程度の知識、それを前提に彼女と接する。
応接室の前まで行き、自分の平静を確認し、引き戸を開ける。
結良が座布団に正座していた。座布団に正座して、松尾夫人が用意したらしい羊羹と緑茶を目の前にし、期待に満ちた爛々とした眼差しと共に菓子用フォークで羊羹を切り分けようとしていた。
「う、え……、あ!」
次の瞬間、結良は入ってきた明悟の存在に気付き、慌ててフォークを皿に乗せ姿勢を正した。驚きと羞恥心と緊張が瞬く間に入れ替わる忙しない表情の変化と共に。
「あ、いや、いいよ、気にしないで。良かったら食べなさい」
明悟がそう促すと、結良は一瞬だけ嬉し気に表情を輝かせてからから恐縮するような態度を作り、「いただきます」と小さく口にした。そして迷い無い動作で羊羹にフォークを通し、一切れ口にした。努めて表情を変えない様に注意深く味わっているのが何となくわかった。……非常に無邪気だ、とんでもない。
フォークを皿に置き緑茶を一口だけ啜る。そして結良は視線を明悟に向け「有難うございます、美味しいです」と柔らかな笑顔で言った。
「それは良かった。しかしこんな片田舎まで遠路はるばる来てくれて有難う。ここまでの道は大変ではなかったかな?」
結良の向かいに置いてある座布団に腰を降ろしながら、孫娘の友人に話し掛ける際に適切と思しき言葉遣いや態度を注意深く意識しながらそれとなく会話を試みた。それは奇しくも、普段高校のクラスメイト達の前で女子高生を演じている決死の綱渡りの様な感覚と非常に似通っていた。
「いえそんな、薙乃さんとずっと一緒でしたし、秘書さんの車にも乗せてもらえたので全く大変なんて事はありませんでした」
裏表の無さそうな口調で結良が言う。
「……薙乃と仲良くしてくれてありがとう」
明悟は、如何にもそれらしい言葉を返す。
「いえそんな! わたしの方こそ薙乃さんのお世話になっています。本当に……」
……これは若干、結良に言わせてしまっているのかも知れない。それ以上に、この件で話を進めると良心の呵責に苦しむ事になりそうだな、と明悟は思った。
「改めて自己紹介をさせてもらおうか」
明悟がそう言うと結良は改めて居住いを正す。
「私は鶴城明悟。藍慧重工とIKセキュリティの会長職に就かせてもらっている。最近は専らIKセキュリティの方に掛かり切りだがね。……原田君は、IKセキュリティという会社の名前を聞いた事があるかね?」
「はい、あの、自衛隊の後方支援?を行っている会社なんですよね……? あと、モニタリングポストの魔素体のセンサー部分を作っている会社……」
「そうだ。所謂民間軍事会社というもので、自衛隊の軍事行動のバックアップを行うのが仕事だ。偵察任務の請負や浸透域内でのモニタリングポストの設置などだ。それから魔素体感知のセンサーの開発、これに関しては厳密には研究開発のためのデータ収集を行っただけでね、最前線で集めた情報を親会社である藍慧重工、そして国や他企業に提供しているという訳だ」
……この時点では意図的に『鶴城薙乃』に関する話題は避け、飽くまで対外的かつ表面的な会社説明だけでお茶を濁した。薙乃の話を持ち出すと、話がどう転ぶか予想が出来ない。いや、ある程度予想が付く故に最低限必要な情報を交換した上で結良の出方を見たい、と明悟は考えていた。
「……魔素体の情報というのは今現在地上で最も価値のある情報と言っても過言ではない。無論、金銭的価値というのも無視は出来ないが、それ以上に一般市民そして国の安全に大きく関わる。私はイチ企業人として人々の平和と安全の一助となる事が社会的義務だと考えている。魔犬やシフト・ファイターに関する情報は何に於いても手に入れたい」
「いや、あの、でもわたしもそんなにシフト・ファイターに関する事に詳し訳ではなくて……。偶然成れちゃっただけなので期待に添えられるかどうかわからないですよ……?」
結良はやや気圧され気味に恐縮して口にする。……それとなく金銭的要求をし易いような話の流れを用意してスムーズに情報を引き出せれば、という意図もあったのだが結良は全く気付かなかったようだった。良く考えれば結良がそんな空気感を敏感に察する筈が無いとわかるはずだろうに。大人の擦れた性質を明悟は不意に再認識させられた。
「いや、それが僅かな情報だとしてもぜひ訊かせて欲しい。シフト・ファイターの証言とはそれ程に重要なのだよ。……ただ、一方的に話を訊くだけでは公平とは言えない。君にぜひ訊いて貰いたい話があるんだ」
庭に出よう、そう言いながら明悟は立ち上がる。
「栄美のドッペルゲンガーが現れた場所に案内しよう」
明悟と結良は縁側からサンダルを履いて庭に降りる。明悟を先頭に屋敷の外周を囲う塀の出入り口である門までやって来た。門の引き戸はしっかりと閉じられている。かつては日が昇っている間は(田舎故に)開け放たれていた門だったが、魔素体大禍以後は屋敷の人間が出入りする時以外はしっかりと閉じられている。
「栄美のドッペルゲンガーが現れたのは魔素体大禍の四日目か。夜中にインターホンを鳴らして門の前に現れた」
二人とも仮面を持っていなかったので門は開かなかったが。
「両親とはぐれ行方不明になっていた栄美が何とかこの家に辿り着いた、そんな風に考えて私も妻も最初、大喜びしたんだがどうもそうでは無かったらしい」
明悟は結良の表情を窺う。先程明悟が栄美のドッペルゲンガーの件を切り出した際は彼女の表情から一瞬微かな驚きが浮かんだが、今は静かな、そして真剣な表情を作って閉ざされた門の向こうへと視線を遣っていた。当時の情景を頭の中で思い浮かべているのかもしれないが、表情から思考は読み取れなかった。
「……栄美のドッペルゲンガーは不意に私にあの変身用のコンパクトを渡してすぐさま黒い魔素になって消えてしまったよ」
「栄美ちゃんは、何か言っていましたか……?」
結良は、努めて冷静だが、微かに強張った声で明悟に尋ねた。
「『偽物でごめんなさい』と言われたよ」
「……」
「当時はまだドッペルゲンガーの存在というものは世間に広く伝わってはいなかった。後のドッペルゲンガーの研究によってようやく合点が行ったが、その前から、栄美が幽霊のようなものになってお別れの挨拶をしに来たのだなと不合理な事だが何となく察する事が出来ていた」
「……わたしは魔素体大禍の時、栄美ちゃんがどうなったのかわからなかったんです」
結良が消え入りそうな声でそう口にする。
「半田崎の辺りで他のシフト・ファイターの人達と行動していて。その、親に電話をしようとしたんだけど電話も全然繋がらなくて。でも逃げ遅れた人とかも沢山居て、栄美ちゃんと、出来るだけ沢山の人を助けながら連絡方法を探そうって決めて……」
結良の声色がどことなく虚ろで、まるで言い訳をしているように聴こえた。
「他のシフト・ファイターの人達とはぐれた時に有角魔犬に襲われて、仮面が外れしまった時にドッペルゲンガーの顔を思いっ切り見てしまった後、わたしは気を失ってしまって。気が付いた時には周りに魔犬もドッペルゲンガーも栄美ちゃんも居なくなっていて、何故かシフト・ファイターに変身出来なくなっていました」
「……その辺の事情は先程薙乃から訊かせてもらったよ」
「魔犬に見つからない様に隠れながら蒲香の方まで移動していて、何とか栄美ちゃんに生きていて欲しいって思っていたんですけど、でもあの状況で逃げ切れる筈が無いとも心のどこかで思っていて……」
不意に明悟は気付く、結良が胸元に添えた掌が異様に震えている事に。
「どうして栄美ちゃんが死んだのにわたしが生きているのか、全然わからないんです。全く同じように危険に飛び込んだのにわたしだけが助かった」
「……いや、君だけでも助かって良かったと考えるべきだよ」
明悟は、思わず結良の背中を擦った。一瞬拙い事をしているかと考えてしまったが、結良は特に嫌がる素振りを見せなかった。
「今でも思うんです。あの時わたしが嫌がって半田崎に行かなければ、半田崎に行くのを止めていれば、もっと違う結果になっていたのかなって」
「確かに子供ゆえの考え方の浅はかさは有ったかもしれない」
明悟は、結良の消え入りそうな痛々しい声色に胸が締め付けられていた。
「でも我々当時の大人は君達を責められないんだ。いや、誰にも君達を責めるなんて事はさせはしない。君と栄美は、本来大人がやらねばならなかった事を代わりにやってくれたんだ。詫びねばならないのは不甲斐無い我々大人の方だ」
結良は、明悟に視線を合わさず、閉ざされた門の方を見詰めていた。未だに明悟はそこに、絶望に塗り潰された顔で黒い粒子になって消えていく栄美の姿を思い起こしてしまう。
「……君には寧ろ感謝しなくてはいけないよ。最期の時に栄美の傍にいてくれて。君が傍にいてくれた事がせめてもの慰めだよ」
「……有難うございます。でも」
結良は感情を押し殺したような声で言う。
「でもそんな良いものじゃありませんよ……」
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