23 -女の笑顔を信じるな!-
「シェイプ・シフト」
魔犬に殺到する弾丸の射線と『広報官』の間に、流れ弾から『広報官』を守る様に立っていた『拾い読み(或いは『喰い散らかし』)』の身体が、その言葉と共に紅い炎に包まれた。
燃え盛る炎は瞬く間に消え、そこに立っていた女性には(案の定)焦げ跡は見られなかったが、服装はカーディガンとワンピースでは無く、紅い、煌びやかな物に変わっていた。
その姿は、明悟の『第二段階』のコスチュームに非常によく似ていた。バレエのチュチュのようなドレスに両腕・両脚・胸部に金属のような質感の甲冑。その全てが明悟の瑠璃色と対になる様な深い深紅に染められている。頭部にはやはり明悟のそれに似た、深紅と銀と黒で構成された羽根飾りを模したアクセントの付いたカチューシャを身に付けているが、仮面だけは変身前と変わらず白いフルフェイスの既製品のモノそのままだった。
右手に先程から持っている薙刀、そして胸元に添えられた左手には、見覚えのあるコンパクトが握られており、変身の終了と共に掌の内側へ溶ける様に吸い込まれていった。
今、やはりハッキリと『シェイプ・シフト』と口にした! しかもこの紅いドレスの様なコスチュームは、噂の中で独り歩きした『紅の魔法少女』そのものではないのか!?
驚きで我を忘れる明悟を尻目に深紅のドレスに変身した『拾い読み(以後『喰い散らかし』は省略)』は、服装と肉体の換装が完全に終わらぬうちに先程までコンパクトを手にしていた左手を前面に持ち上げ、矢継ぎ早に口にする。
「
その途端、『拾い読み』の掲げた掌を中心黒い魔素が何処からともなく湧き上がり、掌を中心に魔素が収束し、一瞬で巨大な板の形を成していく。
そこに現れたのは、カーボンを思わせる質感の暗い灰色の板状の物体。警察などで使われる人の背丈ほどの長方形の盾、所謂ライオットシールドと思われる物で、黒い粒子が完全に盾の一部になった時には、『拾い読み』の深紅のドレス姿を完全に覆い隠していた。
「……っな!?」
言葉を失うIKセキュリティの面々。余りの出来事にフリーズする中で更に状況は動く。
深紅のドレスの女性の構えるライオットシールドの左右に宙に浮いた貝殻が整列する。そしてそれらが一斉に縦長に巨大化を始め、餅の様に縦長に広がり、中心のライオットシールドと同じくらいの長さになった。
「まさか……、壁?」
呟く北森。しかし明悟は、隣に立つ北森の向こう側に、ライオットシールドと貝殻の障壁とは別種の『気配』を感じ取って、そちらに目線を向けていた。
そして目にしてしまった。崖の下から黒く蠢く巨体が、怪物形態(モード・フリークス)の魔犬が今まさによじ登ってきた瞬間を。
2体目が居た。
全員が目の前の盾と貝殻の障壁に視線を向けていた。結良も同じだった。
そもそも距離が近過ぎる。我々のほぼ真横だ。あと一秒も経たない内に他の全員も気付くだろうが、もう遅い。逃げる暇すら無い。
明悟の拳銃は前方に構えたままだ。その場で倒れ込んだ最初の魔犬に向けた銃口を横に振り今現れた魔犬に照準を合わせ直す? 生身の自分ではまず不可能なテクニックだが、シフト・ファイターのスペックに頼って試すか? いや駄目だそこまで自分の身体を信用できない銃の扱いにも慣れていない
明悟は側面に跳ね飛んだ。本能的に反射的に、銃を向けるよりも全身で体当たりする方が正確かつ確実に身体が動かせるような気がしたのだ。
立射の姿勢でアサルトライフルを構えるスタッフ達の銃口より低い位置まで身を低くしながら、矢の様に駆け、ガードレールをまるで梯子の様に握り潰しながらよじ登って来た魔犬に突入していった。
その速度はさながら砲弾。
右肩・二の腕を盾にしてタックルの姿勢で、道路によじ登る魔犬の上半身に躊躇無く身体をぶつけた。……『
形振り構わず全力で体当たりをしたので、魔犬にタックルした後も勢いは止まらず、弾き飛ばされた魔犬共々、空中へ投げ出され、二者揃って道路から宙に舞った。
明悟は、身体を庇いながら背中から雑木林の地面に着地し、しばし転がり、木にぶつかり、止まった。
明悟自身驚いた事だが、魔犬を崖に突き落としてから地面に転がるまでの間、異様に辺りの様子が見えていた。魔犬に突撃した際の勢い、宙に舞っていた時の断片的な風景、転がる自分がどんな態勢でどこを転がっているのか、現状必要な情報を脳が正確かつ冷静に集めていた。シフト・ファイターの第二段階の肉体なので、数メートル下に胴体着陸した所で大した怪我は負わない。とは言え、非常に淡々と自分の状況分析を行う、行う事の出来る能力を平然と明悟に提供するシフト・ファイターの肉体の性能には毎度の事驚かされるが、今はそれどころではない、自身の肉体同様、魔犬の状態も手に取るように理解出来た。
明悟は素早く立ち上がり、雑木林の険しい傾斜の下方に向かって素早く拳銃を構えた。そこには想像通り、漆黒の巨躯が既に上体を起こし、何時でも動き出せる状態にある様に見えた。距離は約10メートルという所か。
明悟の肉体は異常を来たし始めていた。
第二段階に変身してから10秒は経っているか?
第二段階への変身可能時間がそろそろ終わる。戦闘による魔素体への負荷や特殊能力を使用し続けている事を考えると、もう制限時間かもしれない。現に、瑠璃色のドレスの端々が黒く変色し、塵状になって崩れ落ちつつあった。
明悟のシフト・ファイターへの変身は、明悟から『薙乃』に換装した『第一段階』にシフト・ファイターのコスチュームを纏いつつ肉体が強化された『第二段階』を上乗せするイメージを明悟は持っている。魔素の収束が難しいので、より大量の魔素を使っているのではないか、という感覚。が、実際は、『第一段階』で使用している魔素そのものを、『第二段階』でより高出力かつ高性能の構成物に変化させているという理解の方が正しい。つまり、身体を構成している魔素が拡散し剥がれ落ちるという事は、第二段階から第一段階に戻るというのではなく、そのまま本来の老人の身体に戻ってしまう危険性が高い。そんな事になればあらゆる意味で話にならない。
魔犬がこちらに振り向く。赤い瞳と目が合う。
第二段階の身体が刻一刻と拡散しつつある。しかし、第一段階で使う『
明悟は眼を見開く。
肉体の全てに神経を注ぐ。拡散と収束を意識的に制御するのだ。身体が崩れゆく順位に手を加える。粒子が崩れ落ちるのをあるがままに魔素の拡散に任せるのではなく、腕と、特殊能力によって強化された拳銃が最後に解ける様に意識を集中させる。そのまま拳銃を魔犬に向け、構え、『蒼の魔法少女』とかつて呼ばれた少女の小手と巨大化した拳銃の輪郭をなぞる様に意識を研ぎ澄まし、実在を補強する。
魔犬が、その長い腕を軽快に大地に添え、軽く前進しながら、跳ね飛び、明悟を自身の正面に捉える。
腕と拳銃以外の魔素の拡散は止めない。ただし、鶴城明悟に戻るのではなく『鶴城薙乃』に戻らなければならない。『蒼の魔法少女』のコスチュームが剥がれた後の姿を強く想像する。第一段階に第二段階を上乗せしているという(間違った)イメージを魔素に強要する。明悟は、鏡で幾度も見て来た制服姿の『鶴城薙乃』の姿を強く想像し、自分に言い聞かせた。私は鶴城薙乃。高校生で、十五歳の女の子である、と。
……ボロボロになりつつあった魔素をイメージ通りに扱えている感覚が、不意に訪れた。歯車と歯車がかちりと噛み合う感覚。一瞬だが、腕と拳銃の変身が強固に維持される感覚と、自身の少女の肉体が明悟自身の物としてハッキリと制御出来る感覚が、同期し、無理なく調和する瞬間が手に取る様にわかった。
この感覚は一瞬。
明悟は、拳銃の引き金を引いた。
全身に掛かる衝撃が、先程倒した一匹目の魔犬に放った三発よりも遥かに大きく感じたが、両腕以外が第一段階に戻りつつある状態なので、特殊能力で強化された拳銃の反動に身体が仰け反りそうになった。
目の前の魔犬は、軽いが異様に腹の底に響く破裂音と共に、上半身が爆裂した。
明悟の両腕の甲冑と拳銃から黒い魔素が噴き出し、拡散する。
明悟は改めて、魔素が噴き出す自分の掌を確認する。
皺の無い、しなやかな、少女の手だ。
黒髪の重みと、身体の重心を感じ取る。大丈夫、間違い無い、自分はまだ鶴城薙乃だ。
視線を持ち上げ、魔犬の様子を確認する。そして明悟は息を飲んだ。
着弾位置が、予想より少し左にずれている……?
着弾した位置は恐らく魔犬の右脇の辺りだ。頭部を破壊するために喉の辺りを狙ったはずだが、肉体の魔素が不安定な状態での射撃だったからか、反動を御し切れず狙いが少し逸れている。
魔犬の右腕と右肩、そして顔面の右半分は消し飛んでいる。傷口から大量の魔素が湧き出ている。だが、残った左腕は地面に手を添え器用に上半身を支え、半分欠けた口元は低く唸る様に顎を僅かに開き牙を煌めかせ、紅い瞳は今なお明悟を捉えている。
殺意が、喪失されていない。これでまだ動けるというのか!?
拳銃には……、残弾が有る。しかし、今『
「手榴弾を使う! 伏せろ!!」
不意に頭上から男の、北森の声が響いた。反射的に明悟は魔犬の反対側に飛び退き、身を屈めた。
その直後、後方から火薬の爆発音と魔素の構築体が破裂する軽い音が同時に響き、巨体が倒れる音が林の中に響く。道路の上から放り込まれた北森の手榴弾は、明悟の銃撃によって創り出された傷口の中に沈み込み、そのまま爆発したのだ。
明悟は起き上がりながら即座に振り向く。目の前には激しく魔素を噴き出す黒い塊が横たわっていた。 魔犬の上半身は今の爆発で、残っていた左腕と顔の半分を完全に消失させた。首が無い状態で活動していた魔犬は確認されていない。頭部が右半分無くなった状態で立ち上がってきたのは驚かされたが。
明悟はその場にうずくまる、振りをする。頭上から北森の視線を感じた。
「大丈夫っ!? 怪我は無いか!?」
頭上の道路から北森の呼ぶ声が響く。明悟は背中を向けながら振り向き様に見上げ「大丈夫です。問題有りません!」と返事する。
明悟は胸元に手を触れ、身体の内側からコンパクトを引き出す。開いて光の強さを確認する。コンパクトから発せられる蒼い光は、最早非常に弱々しい光量で、辛うじて発光が見て取れる程度だった。……過去のデータでは、この光量で変身が続けられる時間はあと一時間程度だっただろうか。
次に明悟は、ブレザーの内ポケットから赤いボタンの付いた白いケースを取り出し、素早く連続で三回ボタンを押した。これは緊急時の呼び出しアラートで、市街地で変身が維持出来なくなりそうな時の緊急の連絡手段で、ボタンを押せば新哉の資材倉庫から回収スタッフ(研究チームの誰かか松尾夫か秘書)が明悟を迎えに来る。見越さねばならない所要時間は1~2時間。しかし今回は結良が自転車で移動を始めた時点で連絡が入っている筈なのでもっと早くに迎えが来る可能性が高い。
明悟は素手で崖を登り道路に戻る。……迎えが来るまで、変身が解除されない様に細心の注意を払わねばならない。今行っているボルダリング紛いの行為も魔素の身体に負担が掛かるという点で変身解除の危険と隣り合わせである。
目の回る様な出来事の連続である。精査しなければならない言葉が無数に飛び交い、『魔犬の侵攻』などという不穏な言葉も耳にした。しかし、それらに対して今、考えを巡らせるのは少し慎重にならなければならない。肉体と思考の乖離は鶴城薙乃の肉体の収束を解く切っ掛けになりかねない。
私は鶴城薙乃だ。今この瞬間に於いて、鶴城薙乃としてどう思考すべきかを見定めねばならない。薙乃として思考し、それに伴う行動をせねばならない。
ガードレール越しに北森が手を伸ばしており、明悟はその腕を掴み崖の縁で立ち上がらせてもらう。
「怪我は無いかい?」
ガードレールを跨ぐ薙乃に北森は先程と同じ事を尋ねる。仮面の内に秘めた諸々を噛み殺した様な口調に感じる。北森にすれば忸怩たる思いだろう。結良の、そしてそれ以上に薙乃の安全を最優先すると言っておきながら、結果保護対象達を魔犬の眼前に立たせて、薙乃にその対処を任せてしまう形になったのだから。ただそれで北森を責めるのもお門違いだ、突然手品の様に軽トラックの荷台から魔犬が現れるなどと誰が予想出来よう? そもそもあの時の魔犬の出現のさせ方は彼らが逃げるための時間稼ぎで、薙乃を足止めする事だけが目的だった節が……、駄目だ止めよう。明悟の思考回路でモノを考えるのは後だ。
「問題ありません。助けて頂き、ありがとうございました」
北森の心持ちに対して、(薙乃として)感謝の気持ちを伝えたかったが、例によって仮面のせいで笑顔を出力出来ない。もどかしいものだ。
視界の端に結良を捉える。彼女は道の一方向、『広報官』と『拾い読み』が立っていた方向を凝視しながら、放心したように目を見開いていた。まるで、自分が先程視た物が信じられないとでも言う様に。結良の視線の先に明悟も目を向ける。その方向には最早誰も立っていなかった。消え去る間際の魔犬の黒い塊の傍に、軽トラックがそのまま乗り捨てられていた。
「壁を作って目隠しをした後、シフト・ファイターになった方が男を抱えて走り去ったらしい」
北森が、明悟が崖に落ちた後の事を説明した。
「盾と貝殻が消え去った時には、もう逃げられた後だったよ」
虚脱した表情のままの結良が、明悟の方を向いた。明悟は結良の傍まで歩み寄り、自らの仮面を外した。
「……怪我は無い?」
北森の受け売りになってしまった。明悟の言葉で結良の眼に光が点り、唇を結んで力強く頷いた。
「あ、いや、ごめん。訂正」
「……訂正?」
「つい反射的に頷いちゃった。一回転んで全身を強く打ち付けてる」
「病院で見てもらおう。会社の人に連れて行ってもらうよ」
「……うん」
結良が曖昧に頷くと、二人の間に一瞬沈黙が横たわった。
「結良さんに謝らないといけないな」
意を決して明悟は口にする。
「私がシフト・ファイターだという事を隠していた」
「……それは、わたしもおあいこ。わたしも、昔シフト・ファイターだったの」
昔? シフト・ファイター、だった?
何か、異様に引っ掛かる言い方である。それについて言及しようとした時
「てか、ホントに死ぬかと思った。助けてくれてありがとうね、薙乃さん」
と言われてしまった。笑顔で。
正体を隠していた明悟に、ともすれば今回魔犬に襲われた原因かもしれない明悟にそんな笑顔で感謝の言葉を送るのか、君は?
鮮烈な驚きと共に明悟の脳裏には、同時に数十年前酒の席で耳にした小岩井の言葉が不意に浮かび上がっていた。薙乃としての思考を自身に強要していたつもりなのに、それは否応無く老人の過去から呼び起こされた。
「いいか、男にとって都合の良い女の笑顔は信用するなよ、八割方演技だからな」
……当時明悟も小岩井も既に結婚しており、一体どういう経緯で小岩井がそんな台詞を宣ったのかは今となっては思い出せない。その言葉とその時の小岩井の得意げなしたり顔だけは今も異様にハッキリと覚えているのだが。
「そこは十割じゃないんだな」
当時の明悟はそんな言葉を返した。
「馬鹿野郎、女の笑顔が十割嘘だったら夢も希望も無いだろうが」
「……違いない」
ハッキリと覚えていたやり取りだが、その時の言葉がこんなにもハッキリと実感できる日が来るだなんて、明悟は思いもしなかった。だが、その笑顔の裏に何が隠されているのかは、明悟にはサッパリ見当が付かなかった。
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