22 -秘密結社の相克-
結良達の下に現れた車は2台。白のセダンと同じく白のワンボックスカー。
セダンを先頭に、結良と仮面の女性の10数メートル手前に停車する。
仮面を被った明悟と北森はセダンから降りる。ワンボックスカーのバックドアも同調して開き、灰色交じりの水色の制服に仮面を被り、アサルトライフルを構えた3人の男達、IKセキュリティのスタッフ達が現れた。スタッフ達は明悟達の左右に広がりアサルトライフルを構えるが、北森が左手で制するような仕草で銃口を下げるように指示、スタッフ達は銃口を目の前の二者から外す。貝殻を周囲に浮かべた男性の方から、何故か「ははっ」という乾いた笑い声が響く。
明悟達と相対するのは薙刀を持った黒髪の女性と、地べたにへたり込んだ仮面を被っていない原田結良。周囲に貝殻を浮かべた男は、女性と結良を盾にする様に、少し離れた場所に立っていた。
……結良と一瞬眼が合った。驚きと困惑で虚脱したような表情をしていたが気はしっかり持っているように明悟には思えた。結良にとっては、武装した男達の中に一人、自分と同じ高校の制服を着た少女が混じっているのは酷く奇妙な事の様に思えるだろう(そもそもこんな武装した男達が急に現れた事に困惑しているだろうけれど)。
「その少女を解放してもらう」
口火を切ったのは北森だ。
「少女を解放してもらえれば君らには手を出さないと約束する。お互い怪我をするのは嫌だろ?」
小火器を見せつけながら北森はそう宣言すると、仮面の男は一瞬きょとんとしたように静止し、それから何かを打ち明ける様に両腕をやおら広げて呟く。
「いや~、シュールだ」
「何?」
「ああ、いえ、気にしないで。
ええ、そうですね。はら、いや彼女を解放するのは間違いありませんよ。それは安心して下さい。……ただ、その前に我々の方から自己紹介をさせていただきたい」
「……何?」
今度は北森の方がきょとんとさせられた。そんな北森を尻目に、貝殻を浮かべた男はワザとらしく咳払いをして見せる。
「お初にお目にかかります。僕は、新興魔法振興結社『最初の人間』に所属する『広報官』と申す者です」
そう言って男は軽く会釈する。
……これには北森だけでなく他のスタッフ達も戸惑った。明悟も同じ気持ちだ。突然自己紹介されるなど想定外だったし言っている事もまるで要領を得ない。
「シンコウ魔法、シンコウ……、えっ?」
「ええと、最初の方の『シンコウ』は新しく興す方の『新興』で、二つ目のは広めて盛り上げるみたいな意味の方の『振興』です。ああ、あとこの名前をネットで検索しても何も出てきませんよ。あなた方に組織紹介するために上の者が一週間前に適当に考えた名前らしいですから。今までなんで組織名を決めなかったのかって私自身ツッ込みたかった所なんですがそれはまぁ置いといて。ああ、あと『最初の人間』っていうタイトルの昔の文豪の自叙伝みたいなものが有るらしいですけどそれも全く関係無いです。参考にしなくても大丈夫です」
北森の困惑に『広報官』を称する男は注釈を試みたが、更に泥沼に嵌り込む様などうでもいい説明で、IKセキュリティサイドは困惑の度合いを深めるだけだった。この男、ただの馬鹿かふざけているだけなのではないか、と明悟は思い始めていた。少なくとも広報担当に据えておくべき人材では無い。
「あと、『広報官』というのは組織内のコードネームみたいなもので役職ではないんです。まぁ今、偶然広報みたいな事を今現在やってはいますが。偶然です」
明悟の思考に釘を刺す様に『広報官』はそんな事を宣う。
「そして彼女が」
『広報官』は結良の傍で薙刀を手にしている女性を掌で示す。
「『拾い読み』或いは『喰い散らかし』と呼ばれています。呼び名ですね、何故か呼び名が二つあるんです」
そう紹介されて女性の方はそのまま北森の方に向かって小さく会釈した。……二つある呼び名をわざわざ二つとも紹介する必要があるのか、わかり難いだけではないか? と明悟は仮面の下で疑問に思ったが、疑問に思うべきはそんなどうでもいい事では無いだろう、と自分で自分に呆れた。
「活動内容は先程申し上げた通り『魔法技術の振興』。即ち魔法の再発見、研究発展、拡散伝播にあります」
「魔法と言うのは……」
北森は、半ばヤケクソ気味に『広報官』の話に付き合う事にしたらしい。
「そのシフト・ファイターの特殊能力の事か?」
北森は、『広報官』の周囲に浮かぶ貝殻を顎で指し示しながら尋ねた。
「ええとこれは、ああ……」
その質問に『広報官』は何故か一瞬慌てふためき、
「え、ええ。その通りですね。シフト・ファイターの特殊能力も広義には魔法として分類しています」
「『広義には』?」
「我々の組織内でもシフト・ファイターのシフト・エフェクト、特殊能力を魔法に分類するかどうか意見が分かれているんですよ。
ていうかそもそもアレですよ? 『魔法の定義』とか僕の組織の中で勝手に言い争っているだけですからね。今まさに、世界中でそしてこの場所で、誰が『魔法』のフォーマットを決めるのか争っている最中ですよ。新世界覇権の争奪戦と言い換えても差し支えありませんね」
「……わからないな。シフト・ファイターの能力以外に魔法なんて物が存在するのか?」
「ええ、それがあるんですよ。例えばこれ」
そう言いながら『広報官』は自身の周りに浮かぶ貝殻を指し示した。
「これ実はシフト・ファイター能力ではなく僕が魔法で造ったものなんです。僕自身はシフト・ファイターに変身は出来ないんですけどね、魔素体に向ける思惟を徹底的に先鋭化して魔素を自分で操る感覚を掴む事が出来れば、このようにシフト・ファイターの特殊能力の真似事の様な事が出来るようになる。これを我々『最初の人間』は『魔法』と定義しています。恐らく古い時代において『魔法使い』と呼ばれていた人種は呪文や儀式を用いて経験則的に魔素を操っていたものと思われます。そして現代、魔素体の大量発生により魔素が地上に拡散し、僕ごときの無学のペーペーにもこのような事が出来るようになっている、という訳なのですよ」
「……案山子の頭」
明悟は北森にだけ聴こえる様に意識しつつ呟いた。
IKセキュリティで行えた事を他の誰かが出来ない道理は無い。魔素を任意の状態に収束させる技術を、彼ら『最初の人間』も『魔法』と呼びたがっているらしいが、あの浮かぶ貝殻が本当に魔素だけで造られている物だとしたら、現状世間一般に公表されている、いや、IKセキュリティで行われた魔素収束の技術を大きく上回っているのではないか(そもそもあの貝殻が何なのかまだハッキリしないのだが)?
「そしてその『魔法』で何が出来るのかって話ですよね」
勿体ぶった言い方をする『広報官』の声色は心なしか震えているようだった。
「我々が開発した魔法で最も社会生活に影響を与えたものそれが、『魔犬』の自動発生システムの構築です」
「えっ……?」
どこかから、恐らくアサルトライフルを構えるスタッフの誰かから戸惑いの声が漏れた。ただ何処から漏れた声なのか明悟にもハッキリ判別出来なかった。
振り向いて『広報官』の話を訊いていた結良も、その言葉に身体を強張らせたように見える。
明悟はと言うと、先程の『広報官』の言葉を瞬時に咀嚼出来ていなかった。魔犬の、自動発生の構築? 何を言っているんだこの男は? ……それは、余りにも強力過ぎる毒物を取り込んだ際に、毒が身体に回る前に身体が拒絶反応を起こし嘔吐する感覚を思わせるものだった。
「自動発生システム……。魔犬を人為的に造る事が出来るって言うのか……?」
そう口にする北森の口調には、困惑を理性で必死に押し殺そうとしている気配が有った。
「はい、というか、そもそも魔犬を最初に造り出したのが我々ですから」
「え……?」
今度は北森の口から洩れた。明悟の口からも漏れたかもしれない。
「魔素体大禍を引き起こしたのが、我々『最初の人間』だと言っているんですよ?」
まぁ、その当時は『最初の人間』なんて組織名は有りませんでしたけどね、と恐ろしくどうでもいい一言を『広報官』は付け加えた。
仮面を付けた者達の表情を読み取る事は出来ない。しかしその仕草や立ち振る舞いから直立したままでありながら、IKセキュリティ側の全員が相当に困惑している事が見て取れた。『広報官』の言っている事が信じられない、という空気だ。
明悟にしても、突拍子の無い話で全くピンと来ていなかった。途方も無い罪の告白を何故この男はこんなにも朗らかに口にできるのか? 楽し気ですらある。
「どうして、そんな事を……」
明悟は口を開いた。
「どうして魔素体大禍のようなモノを引き起こそうと思った……、思ったのですか?」
一瞬、敬語を使うべきか否かを悩んだのだが、無難に敬語を選んだ。そもそも、こんな状況でどんな風に女子高生を演じるかなど、全く想定していない。
「それは、先程もお教えした通り、魔法の振興と伝播のためですよ、鶴城薙乃嬢」
変に芝居がかった、恭しい口調で『広報官』は応える。そして、こちらの名前はしっかり知られていた。
結良が弾かれたように明悟の方を見る。瞳を見開いた彼女の表情には驚きの色は無く、事の真偽を再確認しようという冷静さが有った。既に目星が付いていた可能性が高い。明悟は、そんな彼女の顔を黙って見返すしかなかった。本当に、仮面のお蔭で表情を作る必要が無くて本当に良かった。どんな顔をすればいいのかさっぱりわからない。
「結局、人命や国体を脅かす程の災悪が技術発展を促す最大の原動力になります。戦争というのは最大の広告塔なんですよ。全人類に余す事無く魔法の脅威を知れ渡らせるには最も効果的だったのです」
「……魔法の宣伝の為に、世界中で何十万人も人間を殺したというのか、魔素体を使って」
「はい、その通りです」
「そんなもの、許される筈が無いだろう……!」
「仰る通りです」
矢継ぎ早に『広報官』が平然と返す。
「仰る通り、我々は許されないでしょう。ただ、許されようが許されまいが、そして誰が死のうが何人死のうが自分が死のうがどうでもいいんですよ。人類の明日に、魔法が有るのなら我々はそれで」
「な、に……!?」
明悟は思わず絶句した。
「それが我々、新興魔法振興結社『最初の人間』です。以後お見知りおきを」
……IKセキュリティ側の『広報官』達に対する心象は暗く重いものに変化しつつあった。彼らの言葉の真偽はともかくとして、彼の口にする言葉は、もはや無視出来るモノでは無かった。
「では、我々の自己紹介も済んだ事ですし、そろそろ本題の方に入らせていただきましょうか」
そんな場の空気の変化を敢えて無視するように、『広報官』は朗々と話を続ける。
「私共が原田結良さんとIKセキュリティの皆さんを意図的に誘い出したのは察していただいているとは思いますが、それは我々の紹介をさせて頂くため、そして我々の今後の予定をお伝えするためなのです。まぁ、後者は『宣戦布告』と言い換えても構わないですね」
話の合間、『拾い読み』(或いは『喰い散らかし』)と紹介された女性が、IKセキュリティの面々から視線を外さず、ゆっくりと後退して『広報官』の傍まで移動した。北森は『広報官』達から視線を外さずに結良に手を差し伸べる。結良は北森に駆け寄りその腕を掴む。北森はそのまま結良を自身の背後に移動させセダンの後方に隠れる様に指で指示したが、結良は数歩後ろに下がるだけで、『広報官』と『拾い読み』(或いは『喰い散らかし』)から眼を逸らそうとしなかった。
「宣戦布告をさせて頂く理由は先程も申し上げた通り、『魔法の振興と伝播』のためです。数日中に魔犬により蒲香以東の中京地方への侵攻を予定しています。ああ、この『シンコウ』は侵して攻める方の『侵攻』ですね。……人の心の真に迫るモノのひとつは命を脅かされる程の恐怖です。皆様にはシフト・ファイターでの対抗を切望します。魔素体大禍以来の魔犬とシフト・ファイターの闘争により、広く世に魔法の実在と魔素の時代の開闢を知らしめさせて頂きます」
「……キミの言ってる事はさっぱりわからない」
北森は感情を押し殺すような口調で言う。
「何なら投降して我々に付いて来てはどうだ? キミの話を大喜びで聞いてくれそうな学者先生の所に連れて行ってやるよ」
「いえいえ、我々は今日はお暇させて頂きます。その学者先生方と、あと鶴城明悟会長に宜しくお伝えください。ただまぁ、このまま帰るとこっそり追跡されそうな気配もありますし……」
不意に、場を満たす空気の質感がびりりと鋭い物に変質したような感触を明悟は感じた。
「
『広報官』が口走る。先程までの慇懃無礼な態度とは違い、低く鋭い、命令するような口調で。
直後、樹木を捩じ切る様な音が一瞬だけ響き、自動車のサスペンションが深く沈みこむ様なバネの軋みがそれに続いた。
明悟が音の発生源に目を遣ると、『広報官』達が乗ってきたと思しき軽トラックの荷台の幌がはち切れんばかりに膨れ上がり、その下で何かが蠢いていた。明悟は、その場に居た全員は、『広報官』の口走った言葉の意味とその幌の下にある物の正体を直感的に理解した。そして、先程の『広報官』の話を根拠の無い戯言と断ずる未来が断たれた瞬間である。
「……!?」
爪で引き裂かれ、剛腕で払い除けられた幌の下から現れたのは一体の『怪物形態(モード・フリークス)』の魔犬。軽トラックの荷台の容積より巨大化したそれは、仰向けで運転席側に巨躯を預けたまま、両腕をばたつかせて起き上がろうとしていた。
普段の訓練と想定の賜物か、或いは薙乃の肉体の反射神経の高さ故か、明悟の身体は弾かれる様に動き出した。腰を低く屈め、プリーツスカートの中に隠された右太腿のレッグホルスターに手を伸ばした。躊躇いは無かった。シフト・ファイターの反射神経に身を任せなければこの場の全員が死にかねない。
「……っ!! 撃てぇ!!」
北森から号令が飛ぶ。スタッフ3名の銃口は魔犬に向けられ、射撃が開始された。
魔素を湧き立たせる黒い巨体は軽トラックの荷台から転がり落ち、地面に四つん這いに着地する。弾丸が着弾し雲散した魔素の煙を湧き立たせるが、マッチの火が消え去る瞬間程の微かなもの、魔素体の形状構成を崩れさせる程の威力は無い。
明悟はレッグホルスターから掌ほどのサイズの小型の拳銃(奇しくも、先程、結良が使用した魔素構築物に近い形状。ただし、明悟のそれは本物)を引き抜き、構えながら念じる、記憶野の果ての湖畔に佇む青いドレスの少女。凛とした、超然とした美しさに秘めたはち切れんばかりの蒼い輝き、その、輝く星に、手を
「
高校の制服が甲冑のようなドレスに反転していくのを、全身の魔素が爆熱する様に活性化していくのを感じ取りながら、明悟は特殊能力を起動する。拳銃も制服同様に瑠璃色の炎を噴き出し、燃え上がる前の小型のそれよりも何倍も口径の大きいサイズの仰々しい程に巨大な白銀の拳銃に姿を変えた。
魔犬の赤く輝く瞳がIKセキュリティの面々に向けられる。アサルトライフルの銃撃に意を介する様子は無し、身体のバネを使って飛び掛かろうとしていた。
明悟は躊躇い無く引き金を引く。
最早この拳銃に従来の機能は無い。拳銃の銃身も弾丸もシフト・ファイターの特殊能力の依代である。魔素の構築物に置き換わった発射装置から魔素でコーティングされた弾丸を魔素の爆発による推進力で打ち出す。魔素をたなびかせる瑠璃色の弾丸は光線の様に輝く筋を描き
破裂音と共に魔犬の右肩を消し飛ばす。
魔犬は体躯を仰け反らせよろめくが、紅い瞳は今なお敵対者達、蒼いドレスのシフト・ファイターに向けられている。
魔犬が魔法によって造られた怪物? 先程『広報官』が口にしていた犬小屋がどうのという言葉は魔犬を構成する魔素を収束させるために必要なものだったのだろう(駒木ならばそれを『呪文』と呼んだかもしれない)。魔素体が人為的に造られたという仮説が実証されてしまった事は驚くべき問題だが、今はそれに対して考えを巡らせている場合ではない。怪物が向けて来る殺意は今なお健在である。
明悟は魔素により造り変えられた拳銃から、瑠璃色の弾丸を続けざまに二発発射した。
体勢を立て直そうとしていた魔犬の腰の右側と首の根元に削り取る様に吹き飛ばす。無力化は果たせた、か? 魔犬の無力化を確認するその視線の端、紅い輝きを捉え、その言葉を耳にした。
「シェイプ・シフト」
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