第三話:顔無き者の相克

18  -歪みのある日常-




 週明けの月曜日。


 先週の金曜日から、土曜日、日曜日を経てメディアでの多那橋の意識不明女性に関する報道は徐々にトーンダウンしているように思えた。報道出来る追加情報が無い。自衛隊の警戒網やモニタリングポストの不具合ではないかという説もあったが、その可能性はどうも低そうだという事が週末の間に入念に検証された。結局、意識不明の女性が一人見つかったという事実だけが残り、病気やケガ、突発的な事故でドッペルゲンガーなど関係無く意識を失ったのではないかとする説が無視出来なくなりつつあった。


 追加情報がもたらされていないのは明悟に対して、そしてIKセキュリティに対しても同様である。そもそも浸透域内のモニタリングポストの補修管理はIKセキュリティのサービスの一部で、寧ろ情報を発信する側なのだ。――浸透域内で稼働しているモニタリングポストに現在故障は見られない。自衛隊が管理する浸透域外の、安全地帯側のモニタリングポストについても同様であるという報告を受けている。仮にどこかで誤作動があったとしても、ドッペルゲンガーが通り抜けられるような抜け穴が偶然開くなどやはり考え辛いというのが両者の結論だ。……正常な稼働の確認が取れているというのは、あくまでもデータの送受信が正常に出来ているという範囲の話であり、どちらにしても近い内に現物を検査する必要性が出てくるだろう。ひとたび設備に不備が見つかれば、原因はどうあれ関連項目の再チェックが求められる。どこかからそういう要請が上がって来るのは容易に想像が出来る。


「仮面被ってる人、減ってるよね」

「……そうだね」


 多那橋駅の改札を出て橋上駅舎を行き交う人々を見渡しながら、小野佳奈恵が明悟に秘密を明かす様に囁き掛ける。


 新哉市は魔素体警戒レベル2の地域なので新哉駅ではいつも通り仮面を被った乗客しかいなかったが、多那橋駅に下車すると、仮面を被っている者の割合は平時よりほんの少し多い程度まで減っているように思えた。明悟と小野が乗ってきた電車の他の乗客も、多那橋駅に着いてから仮面をおもむろに外す者、そんな様子を見てつられて外す者などがちらほらいた。


「……外しちゃっても大丈夫かな?」

 小野が仮面の顎に手を掛けながら明悟に尋ねる。口ぶりから、小野が仮面を外したがっている事が何となくわかった。それに、仮面を被った登下校を疎ましく思っている学生が圧倒的多数を占めている事を明悟は現場でのヒヤリング(同級生達との世間話)で把握していた。


「……外そうか?」

「うん」


 二人揃って仮面を外した。小野はそのまま仮面を鞄の金具に引っ掛け、迷いの無い素早い動作で鞄から眼鏡ケースを取り出し、眼鏡を取り出しすぐさま掛ける。


「やっぱり眼鏡が無いと不便?」

 明悟はその、小野の無言のネタ振りに乗ってやる事にする。


「外を歩くだけなら裸眼でも大丈夫なんだけど、やっぱり眼鏡掛けた方が安全だね」

「安全性の問題なのかい?」

「実は階段とかちょっと緊張する」

「……ドッペルゲンガーに殺されるか裸眼に殺されるか、中々切実じゃないのか」

 明悟が真面目腐ってそう言ってやると、小野は上品に爆笑してくれた。


 女子高生としての登校時に見た『世間』の様子、そして学校内での生徒・教師達の様子からも先週の事件に対する興味が失われつつある事が明悟には感じられた。喉元過ぎれば熱さ忘れる、と言うか、安全保障の担い手達の眼から見ても異常が発見出来ない状況、日常の維持に人々がシフトチェンジしていくは無理からぬ事であろう。


 ……昼休みのクラスメイトとの会話も事件についてと言うよりも、それに対する学校の対応についての話題が中心だった。


「帰りのバスの順番待ちってどうにかならないのかなぁ~」

 茅原舞子がうんざりしたように呻いていた。昼食を囲む小野と明悟もしみじみと頷

いた。


「こう、もっと上手く出来ないのかなぁ。バス会社にバスの本数を増やしてもらうとか」

「……制約は多いだろうな。運転手やバスの数にも限りはあるだろうし」

 明悟が夢の無い意見を言うと「うう、実に大人な意見だ……」と茅原はしゅんとした。


「あ、でも中間テストの一週間前も部活動はお休みでしょ? その時もバス停、あんなに混んじゃうのかなぁ?」

 小野が他の二人に疑問を口にする。


「ああ、それねぇ、カラクリが有るらしいよ」

「カラクリ?」

 意味深かつ訳知り顔で口にする茅原に小野は訊き返す。

「テスト一週間前で部活動は休みになるんだけど、その代り放課後に特別講習っていう追加の授業をするみたい。事前に申し込みが必要らしい」

「あっ、先輩から訊いた事ある。真野(まの)先生の講習がボーナスステージだとか」

「……そうか、それで生徒が下校するタイミングをズラす訳だね。定時に帰る生徒と特別講習を受ける生徒に分けるのか」

「そういう事。まぁ、塾に行く人も多いみたいだからどっちにしてもバス停は混むらしいけど。てか小野さん、真野先生の講習がボーナスステージって話の詳細を詳しく……!」


 因みに真野先生というのは一年生の地学を担当している教師で、特別講習で触れた内容がほぼそのままテストで出題される事で二・三年生の間では非常に有名らしい。


 しかし『塾』か……。明悟は少女達の会話(小野曰く、テスト期間前にコンビニのコピー機で碧川高校の生徒が集まっていたら、高確率で真野先生の特別講習のノートを量産しているのだそうな)の最中、密かに感慨深く思った。魔素体大禍の直前など、義務教育のシステムすら完全に機能停止に陥っていたのに、確実に機能を取り戻している、と言えるのだろうか? 


 ……学生達の話題はそんな風に、静かに二週間後に近付きつつあった中間テストの話題に興味を移行させつつあるようだった。入学して一カ月半ほど経過し、高校生活に慣れ始めたクラスメイト達が、高校生活最初の定期テストを迎えるに当たり、高校入学直前に見せていた不安の好奇心が入り混じった表情をまたちらちらと浮かべていた。


 高校生活を新たに始める少年少女達の姿を、明悟は(文字通り)間近で見て来た。彼ら彼女らの表情は活き活きと輝いていた。必ずしも善い事ばかりではないだろう。しかし高校生生活という新たな場を謳歌するその様子、喜怒哀楽の新鮮な迸りが眩しい程に見て取れた。明悟にとってそれはしばしば、共感を拒む様な強い熱量を持つ。無論、明悟にとっても多那碧川高校での生活、それも女子高校生としての生活など初めての経験だ。しかし、老人と呼べる年齢まで生きてきた彼には、高校生達の目の前に待ち受けているもの、これから起こるであろう事の程度の『度合い』が透けて見えてしまう。長い人生に於いてどの程度の意味合いがあるだろうかと、客観的に判断出来てしまうのだ。今まで歩んできた人生の『濃度』が今目の前に居る二人の少女と圧倒的に違う。それが圧倒的な隔たりとなって彼女達との根本的な共感を拒む。いやそもそも、明悟にとって『鶴城薙乃』の人生は偽物でしかない。それが、限界を作り出している最大の原因であるのならば、突破は非常に困難なのではないだろうか。


 明悟の『少女性の追求』の限界に対する焦燥感はこの数カ月の明悟に圧し掛かる問題のひとつであるが、この時の明悟は、もう一つ心を砕かねばならない懸念を抱えていた。

 小岩井勝巳からの追加情報だ。週末の日中、原田結良は自転車で多那橋市を駆け回り、ずっと何かを探していたようだというのだ。




「あっ」

「あっ」


 昼休みの終わりが近付いてきた時分、屋上の入り口手前でのメールチェックを終え、4階まで降りて来た後、原田結良とばったりと顔を合わせた。


「お~、先週振り~」


 結良は寛いだ笑顔を作り両手を広げて前方に掲げた。スキンシップを、求められている。応えない訳にはいかなかった。明悟は注意深く自身の笑顔を意識しながらその手を掴み、指を絡め合う。絹に指を滑らせるよりもずっと柔らかく淡い感触が、指を伝う。


「うん、先週振り」

「ふふ、薙乃さんの手、ちょっと冷たい」

 さざめく様な笑い声と共に、長過ぎも短過ぎもしないタイミングで明悟の手を放す原田。


「……体温測定だったのか。確かにはら、……結良さんの体温の方が温かく感じたな」


「あ、言い直した」


「……ああ、うっかりした」


「名前で呼び辛いなら、好きな風に呼んでくれてもいいよ?」


「いや、折角頂いた許可だからね、名前で呼ばせてもらうよ、結良さん」


 ……原田、改め結良から「名前で呼んでほしい」という要請を受けたのは先週の木曜日、多那橋駅の喫茶店での呼び出しでの事だ。鶴城栄美と鶴城薙乃を区別するために結良は明悟の事を『薙乃』と名前呼びしていたのだが、結良の方から「自分だけ名前で呼んでいて図々しい気がする。良ければわたしの事も名前で呼んでほしい」と言われたのだ。女子高生・鶴城薙乃としての明悟は学友達を名前で呼んだ事は無かった。……『同年代の学友』と距離感が巧く取れなくなるのではないかという懸念があって意図して避けていた部分が無意識下であったと思う。今も『原田を結良と呼ばねばならない』という緊張感を微かに抱いてしまう。


「……そう言えば部活動、水曜日から再開するらしいね」

「うん、そうだよ」

 明悟は先程学友達から耳にした話題を振ってみた。結良は屈託無く頷いた。


「部活の皆と最近ちゃんと顔を合わせてなかったから、割りと楽しみ~」

 柔らかな笑顔を浮かべながら結良は口にする。いっそ眩しい程である。


「陸上部ではどういう練習をやるものなのかな?」

「う~ん、まぁ、今は基礎練中心かな。あと体験がてらに色んな競技をやらせてもらっている」

「基礎レン、というのは……、ああ、基礎の練習か」

「あっ、うんうんそう、基礎の練習」

 ある意味専門用語だよねコレ、ごめん、と結良は自分の発言に驚いたように口にする。


「……素直に本心を明かすと、陸上競技の魅力がちょっとよくわからないんだ」

「うん?」

「テレビで陸上競技を見ていると確かに興奮させられるのだけど、実際に走る側のモチベーションというか、陸上競技を始める動機付けという物がイメージ出来ないんだ」


 実はこれは、割と若い頃から密かに明悟の胸中に有った疑問なのだが、訊き方によっては陸上競技の悪口になってしまっているのではないかと口にした後で思ってしまった。やはり、結良との距離感が掴み辛くなっているのだろうか?


「……うん、わかる」

 完全に明悟の予想に反して、結良は力強く首肯する。


「ただ走ってるだけの部活動をやってる人の気持ちが理解出来ないって気持ち、凄くよくわかる!」

「いや、それを君が言うのは、何か間違ってないかい?」

 明悟が苦笑いしながらそう言うと、結良はくすくすと楽しげに笑った。……所謂『ボケ』というヤツだったのだろうか?


「んー、ぶっちゃけ惰性でやっちゃってる部分もあるから、そうだなぁ……」

 ……今度は、少し考えて真面目に答えようとしているらしい事が何となく雰囲気でわかった。


「中学の時はほぼ短距離走をやってたんだけどね、短距離走のスタートする瞬間が好きなの」


「スタートする瞬間?」


「好きっていうか、奥が深いっていうか。スタートの合図のピストルの音が鳴るまでぎりぎりまで身体を張り詰めらせて集中して、ぱんって音と同時に身体を跳ね出して走り出す。ピストルの音に一瞬でも素早く反応するために、身体の動かし方と、あと心の置き方みたいなものを前以て決めておくの。どういう風に心の集中力を高めれば素早く反応できるかとか、反応した瞬間身体をどう動かせばいいかとか」


「素早くスタートが出来るように予め自分自身を最適化しておくわけか」


「おお、最適化って言い方格好良い。いいな、それ」


「はは、中々職人気質なんだな」


 陸上の、短距離走の魅力を語る原田結良。その話の内容に明悟は素直に感心していたが、それと同時に明悟は、結良の言葉や仕草ひとつひとつから微細でも何か異常は無いものかと密かに観察していた。週末に多那橋の町を探索して回っていたという彼女の心の中にあるわだかまりの様な何かが見て取れないだろうかと。


 先週木曜日の喫茶店での会合、栄美に関する話以外にも様々な話をした。主に結良が話を展開してゆく形で、共通の知り合い(主に樫井良治)について、教師について、部活について、碧川高校独自の慣習について、駅ビルのデパートの商店について、テレビ番組について、魔素体大禍前に行った東京旅行について、新哉市の川辺で遊ぶ仮面の子供たちについて、大都市化する浜松市について、漠然とした将来について……。女の子の高速展開するお喋りに明悟は、楽し気に寛いだ態度で神経を研ぎ澄ませ頭を高速回転させて付いて行った。女子高生としての自分自身を顧みながら神経を擦り減らし疲労感を押し殺しながらの会話だったが、結良に違和感を与えずに何とか乗り切れたと思う。……そして当然だが、その日の結良との会話の中からは結良が『紅の魔法少女』であると示唆される物は一切無かった。


 今日の結良の態度から、結良は『薙乃』に対して確かな信頼感を持って接している事はハッキリと感じ取れる。しかし、溌剌とした魅力的な表情を振り撒く彼女には確実に秘密がある。それが明悟に、言い知れない不安を与えるのだ。


「そうだ薙乃さん、ダメ元でお願いなんだけど」

「ん、何かな?」


「陸上部のマネージャーとか、興味ない?」

「マネージャー……、か……」


 結良の突然の提案に、明悟は思わず息を飲んでしまった。


「うん、薙乃さん激しい運動が出来ないって訊いたから、まぁ……選択肢の一つとして?」

 明悟の只ならぬ反応を察し、結良もやや遠慮がちになっている。やんわりと断りたい。


「……私には自信が無いかな。かなり大変そうな印象を受けるだけど」

「うん、勧誘しといてなんだけど、傍で見ていて物凄く大変そう」


 脈が無い事を早々に察した結良は路線変更をし、運動部のマネージャーがどんな仕事をしているか、運動部のマネージャーを結良が如何にリスペクトしているかという方向に話が進んだ。……今、改めて気付いたのだが、高校で知り合いになった人物ほぼ全員に部活の勧誘をされている気がする。樫井良治にさえも冗談半分でサッカー部のマネージャーに勧誘してきた(無論断った)。まだ高校生活が始まって間もない今、誰も彼も旅の道連れを求めているのだろう。勧誘される度に断ってしまうのが申し訳無い様に思い始めていた。いっそどこかの部活に席を入れてしまった方が良いのでは? とさえ明悟は思い始めていた。



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