14  -黄昏の老人達-




「……やぁ、しばらくぶり」


 しばらく原田結良の資料を眺めていると屋敷の奥から駒木が現れた。今、駒木は資材倉庫の地下のドームで昨日捕獲した魔犬を分析していた筈だ。村尾夫人か秘書が連絡したのだろう。


「よぉ……。てかなんだよこれ、死に損ないの同窓会みたいになってんじゃねぇか」

 小岩井がそうぼやくと駒木は小さく苦笑いした。


「気を利かせて美女にでも変身してきてくれよ、爺むさい」


 小岩井が顎で明悟を指し示しながらふざけた事を言うと駒木はくつくつと笑い、


「僕にはそんな機能は無いよ」と返した。


「明悟以外の奴を美女に変える技術はまだまだ遠い未来になるって訳か……」


「いや、そんな技術を開発する予定は今のところ全く無いからね……。そもそも僕が美女に変身したとしても中身は僕なんだよ? それ、嬉しいのかい?」

 小岩井の戯言に駒木は苦笑いしながらもっともな疑問を呈する。


「ジジイ相手にするより精神衛生上好ましいだろうが。ここに居るのが明悟じゃなくて薙乃嬢ちゃんなら申し訳程度には場が華やいで心穏やかになるじゃねぇか」

「あー……、うん、それは否定できないね」

 だが小岩井の意見に駒木はあっさりと同意する。明悟は「何を言っているんだお前らは……」と心底呆れながら毒付く。


「しかし景科はいつもこの屋敷に居るのか? いや、屋敷っつうか裏の『秘密基地』に」


「いいや、いつもじゃないよ。蒲香の前線基地にも顔を出す事があるし、まぁ、本業もまだやってるからね」

「本業? 大学教授は辞めてんだろ? そもそも大学が浸透域に浸かって」

「アカデミックな場での活動は民俗学の一側面に過ぎないよ」


 小岩井は理解したのかしていないのかよくわからないようなトーンで「ほう……」と返答する。……実際、駒木の『アカデミックな場以外での民俗学』が昨日の魔犬捕縛に一役買ってしまっているのだが。そこまで細かい話を小岩井に明かすつもりは無い。


「はぁ、お前も手広くやってんだな」

 小岩井は話を仕切り直すように感心してみせる。


「数奇な人生と言えば明悟程じゃないがお前も大概だよな。民俗学研究しててドッペルゲンガーとか犬の化け物の研究をする事になるなんて思いもしなかっただろ?」

「……まぁね。いやでも、妖怪研究って民俗学研究では一番の人気分野だよ?」

「……あー、そっか、そういう見方も出来る、のか? いやいや、全く別物じゃねぇのか? 物理的に干渉してくる怪物と民俗学世界の住人は次元が違うだろ」

 そう言われると駒木は「『民俗学世界の住人』って面白い表現だね」と言いながらくすくすと笑う。


「相互干渉するという点ではその君が言う民俗学世界の住人と基底現実は決して別次元では無いんだけどね。現実にある事象や現象が言い伝えという形で後世まで残っていくという事はしばしばあるんだよ」

「アレだな、童話が猛獣だの人攫いだのの警句だった、みたいな話」

「そういう側面もある、かな?

んー、あとあれだね、魔素の性質を初めて訊いた時、それが呪術やまじないの関連物の様にしか思えなくてね。興味を持って手を出し始めて今に至る、という訳なんだよ」


「……数奇っていうか、業だな」


「業だね」


「……私も民俗学者と膝を突き合わせて仕事をする日が来るとは思わなかったな」

「しかも片方は女子高生の格好をしてんだろ?」

 明悟の言葉に小岩井が茶々を入れると、駒木は小さくはははと笑った。


「……まぁオレは、『新世界覇権』を担うお二人に期待しつつほそぼそと人探し家業を続けさせてもらうぜ」

「『新世界覇権』か……」

 明悟は、小岩井の妙にへりくだった言い方に対して少し険しい表情を作った。


「魔素体がどうして発生するのかも未だに不明だというのに気が早いものだな」

「人類が魔犬やドッペルゲンガーに勝てるかどうかも微妙なのにねぇ……」

「おいおい弱気だな専門家!?」

 軍需産業の会長と民俗学者のネガティブな反応に小岩井はわざとらしく驚いてみせた。


「戦争が終わってもいない時期にその先の事を考えるというのは余りに楽観的過ぎるだろう」


「あー、無責任な未来予想で盛り上がりたいっていう世間様の需要なんだろ? 悲惨な過去を掘り起こし続けているより幾らか前向きなんじゃねぇの?」


 小岩井は自分の意見を世間の声にすり替えた、という訳では無く、そもそも明悟や駒木の様な魔素体関連研究の出資者・研究者をひっくるめて『新世界覇権の担い手』と呼ぶ風潮が経済界やテレビの報道で散見され、世間一般の共通認識となりつつある。


 魔素体大禍により全世界の都市がインフラ・システムの再構成を行わざるを得なくなっている。打ち捨てられた都市と社会基盤は魔素体の出現を防止或いは制御が出来るようになったとしても元に戻る事は無い。寧ろ、魔素体大禍を乗り切り、新たな力(技術や立場)を得た者達による新たな世界観が築かれるだろうと予想されている。


 世界中の国や企業は今、魔素研究に躍起になっている。世間に広く開示される研究データもある反面、あらゆる組織が表に出せない『秘密の研究』を行っているハズだという事を誰もが根拠も無く信じている。魔素体の出現を完全に制御出来る日がやがて来たとしても、人々は最早魔素の存在を無視する事は出来ない。その時に、魔素体研究や関連事業に対するより強い優位性を持った国なり企業が『次の時代』に対してイニシアチブを手にする事になるだろうという予測は誰もが同意する所であり、その優位性を手にした者が『新世界覇権の担い手』である。


 魔素を使い、表に出せないような非人道的な研究を国や大企業がしているという状況証拠すらない根も葉もない噂を一般市民からテレビのコメンテーターまでが訳知り顔で話している様子を見ると「何を根拠に」と一蹴し一笑に付すのが正しい対応なのだろうが、実際に明悟及びIKセキュリティはそういう研究をしてしまっているのだから笑えない。無論、表向きにも藍慧グループの企業群が魔素の研究を行っている事は公にしているし、その研究成果、乱反射集約センサースペクター・タッチなどを開発し世に発表している。秘密の研究、老人(会長)を女子高生(シフト・ファイター)に変身させ高校に通わせているなどという非人道的な実験は――断罪と贖罪が必要になるその日まで、決して表に出すつもりは無い。しかし、魔素研究をしつつ乱反射集約センサースペクター・タッチ無人戦闘ロボットカサジゾウの開発を行うという姿は、『世間』が思い描く通りの『新世界覇権の担い手』のそれであり、現在の藍慧重工代表取締である明悟の息子・鶴城誠一(せいいち)は『新世界覇権の担い手』を目指している事を露骨過ぎない程度にアピールしつつ経営を行っている。その姿はキナ臭くダーティではあるが、それ以上に未来を諦めず、ポジティブで先進的な姿勢を内外に知らしめているのだ。明悟もその息子の方針に全面的に便乗し、親子二代の不断の姿勢をヒト・モノ・カネ・情報を効率良く動かす際に利用している。娘の死の悲しみと怒りを力に変え、それすらイメージ作りに利用してしまう不屈かつクレバーな一族、世間の鶴城誠一及び鶴城明悟に対する評価はそんな所ではないだろうか?


「……用件も済んだし、そろそろ帰るよ」


 空になった湯呑と小皿が乗ったお盆を持ち上げつつ、小岩井が徐に立ち上がった。


「そうか」


「お前らも忙しそうだしな」


「……」


 昨日魔犬を捕まえて来た事は小岩井には一切明かしていないが、今日の明悟と駒木の態度で何かを察したのだろうか? 何気無い一言が何かを勘繰っているように感じられて明悟は思わず閉口してしまう。実際、小岩井にはそういう勘が鋭い所があった。元探偵というのも伊達では無い。


 タイミング良く縁側に現れた村尾夫人に小岩井は「ああ、ごちそうさまでした」と言いながらお盆を渡す。


「あっ、はい、どうも」

「いやぁねぇ、自分は職業柄いろんな場所でお茶を出される事が多いんですがね、可南子さん(村尾夫人の名前。小岩井、いつ訊いたんだ?)が淹れたお茶がダントツにおいしいんですよ」

「あは、そんな、いやだわぁ」

「ウチの若い奴らにも見習わせたいくらいですよ」

「もう、お上手」

「ウチの若い奴らの指導を頼みたいくらいだよ。どうですかね、比較的イケメンな奴らをチョイスしますんで、しごいてやって下さいよ」

「あはは、そんな、困ってしまうわぁ」


 ……よくやるよ。


 明悟は視界から村尾夫の方を探したが、どこにも居ない。買い出しか何かで外に出ているのだろう、少しホッとした。


 ひとしきりフランクなコミュニケーションに花を咲かせた後、「んじゃ、帰るわ」と言いながら屋敷の奥へと入って行った。屋敷の裏口から車のガレージに出るのだ。駒木も見送るために小岩井の後を追う。


「あっ、お預かりします」

 明悟も封筒を持ちつつ立ち上がり後を追おうとした時、秘書が歩み寄って来てその小岩井の仕事成果に手を伸ばす。そのまま明悟は秘書に封筒を渡した。


 秘書に封筒を渡す直前、封筒の中で微動する束の重み、栄美と原田結良の姿を映した写真の束の重みを感じた。新世界覇権の担い手、新しい時代をいつか迎えたとしても、この写真の中の世界へは決して辿り着けないのだろう。誰もがそれを理解しているからこそ、否応なく前に進むしかないのだ。




 小岩井を見送った後、明悟と駒木、そして秘書は資材倉庫の地下、巨大ドームに来ていた。


 四方をダークグレーの壁に囲まれ、天井からは巨大な照明器具が複数吊り下げられている。ドーム内には2つの小屋が立てられている。ひとつは一面だけガラス張りになった重厚な鉄板による正六面体。もう一つはその正六面体からかなり離れた位置、ガラス張りになった面と向かい合う様に立つ長方形のプレハブ小屋のような建物。二つの入れ物の下部からは無数のコードが伸びお互いが接続されている。


「今朝の10時頃にサンプルから微弱な振動が確認されましたが現在は振動は停止し、収束率も、多少振れ幅が激しくなってはいますが安定しています」


 プレハブ小屋の中、複数のモニターや関連機器が鎮座するそこに入った明悟に対して、研究チームのリーダーの曳山が挨拶もそこそこに説明を始める。恰幅の良い男だが今は心なしか疲弊してやつれている様に見える。しかし眼付きと表情は逆にぎらぎらと活力が溢れていた。


「この地面……、土が盛ってあるのか?」


 明悟はモニターのひとつを凝視しながら疑問を口にした。


 モニターに映っている映像は正六面体の建物の内側、昨日捕獲した直立して両腕を広げた魔犬の姿だ。昨日同様、へのへのもへじの藁の生首が鎮座したままになっている。直立する案山子もどきの魔犬の足元には何故か土が敷き詰められている。しかも濃い色合いからしてどうも腐葉土が混ぜてあるらしいと明悟にも見て取れた。


「案山子の頭部の、本体に対する支配力を高める必要があったんだよ」

 明悟の質問に答えたのは駒木だった。


「このドームに入ってから胴体の方が案山子としての指向性を無視して勝手に動き出そうとしたんだ。そこで案山子としての役割を補強するために魔犬の足元に土を敷き詰めた。畑に見立てている訳だね。案山子が畑に立っているのは道理だろ?」


 ……そんな安易なひと手間で上手くいってしまうのか? 明悟は密かに戸惑った。まじない染みている。いや、そもそもプランの出発点がまじない染みているので解法としては妥当なのだろうが。


「……しかし、案山子としての指向性を補強し過ぎるというのは拙くは無いのか? 純粋な魔犬では無くなるのだろ?」


「まぁ、諸刃の剣だねぇ……」

 駒木は真剣なのだろうけれどどこか気の抜けた言葉で応える。


「はい。収束率の振れ幅は一般的な魔犬ものよりも激しいままですし、これから安定していくのかより不安定になるのかも現状不明です」

 曳山は淡々としているが、やはり仄かに興奮気味に言い添える。


「収束率が安定しなくなると、魔犬は消え去るのか?」

「或いは、案山子の頭部の影響力が強くなり過ぎて魔素体に込められた思惟が魔犬を形成から案山子を形成に完全に書き換わる可能性が有ります」

「それはそれで研究材料としては役立ちそうだけどねぇ」

「ええ、まぁ」

「待ってくれ、こちらが第一に知りたいのは魔犬の正体だ。消えられたり案山子になられたりしたら困るぞ」


 ……魔素の収束率というのは魔素の状態を観測するための指標のひとつだ。魔素はそれに込められた思惟、そしてそれの周りに存在する人間の思考で性質を変化させる。魔犬とドッペルゲンガーはそれぞれ大量の魔素が何らかの思惟によって集合し犬やヒトの形を取っているものと思われるのだが、それらの怪物の表面は黒い煙のようになっていたり白い表皮の上でまだら模様を作りだしていていまひとつハッキリしない、ぼやけた印象を与える。これは魔素体の内部の明確な思惟と魔素体外部の無数の非指向的な微弱な思惟の狭間に揺れて収縮と拡散を繰り返しているからだと考えられている。ある意味、魔素の性質が最も如実に表れている状態とも言える。そしてこの状態の魔素は外部からの刺激に対して均一の反応を示さない。それは魔犬やドッペルゲンガーを視覚的に観測しようとした時点で察せられる事で、魔素体が反射する光の波長が一定にならないため身体の輪郭がぼやけ、色合いすら常に変化している様に見えてしまうのだ。


 音波や光をランダムに反射する魔素と魔素体。しかし逆説的に、音や光が跳ね返るパターンがランダムか否かを測定できれば対象物が魔素体か否かが判別できるのではないかという考え方が出来る。そして、どの程度の幅でランダムなのかを測定できれば魔素体の質や状態をカテゴライズできる可能性が現れる。その理屈を元にIKセキュリティの研究部門によって開発されたのが乱反射集約センサースペクター・タッチである。魔素体警戒レベルの高い地域や魔素体浸透域に設置されたモニタリングポストのセンサー部の呼称で本社製品の対魔犬用無人戦闘ロボット(要するにカサジゾウ)にも装備されている。まずカメラによって景色の中で動体を検知し、その動体に対して音波や各種電磁波を断続的に照射。それらの反射の観測結果の『ズレ』から対象の動体が魔素体か否かを全自動で判別するシステムである。そして、そのズレがどの程度のものなのか数値化して表したものが『収束率』である。収束率が高ければ魔素体は表面すら拡散していない強固な性質を有しており、収束率が一定の数値を下回れば魔素体の思惟は形態を保つ事が出来なくなり雲散霧消する。これは、周囲の人間の思考によって性質を変化させる魔素を普遍的に捉える手掛かりの一つとして広く注目される事になる。


 因みに、シフト・ファイター鶴城薙乃を乱反射集約センサースペクター・タッチで測定した場合、収束率は100%を指し示す。全く拡散していない、つまり計器上では普通の人間と変わらない事を示す。これはシフト・ファイターに変身する際、鶴城薙乃の肉体を形作るための魔素の収縮が魔犬やドッペルゲンガーのそれとは比較にならない程強固だからだと考えられている。魔素体の正体を解明しようとする過程で浮かび上がったシフト・ファイターの新たな異常性である。ただし、薙乃の能力により強化された携行武器の表面は収束率の低下がみられ、能力による状態の変化とその際の魔素の振る舞いの比較・関連付けがIKセキュリティにおける魔素研究の大きな助けになっていた。


「サンプルの魔素が魔犬の形態を保っていられる時間はそう長くは無いでしょう」


「……それまでに魔犬の正体、構成する思念の立脚点は発見できるのか?」


「そこはもぐら叩きというか、運の問題になるからねぇ……」


「それにどの様に魔犬の構成思惟に干渉するのか、その方法も探らねばなりません。ただこれは前回『案山子の頭部』を製作した際の過程が有る程度参考になると考えられます」


「より緩いレベルでの思惟への干渉、まるで対話するかのような方法、って所かな?」


 頭部を失った魔犬の遺骸を案山子の材料に変えた藁製の頭部、それの製造過程については明悟も関わっている。……最初に行われたのは会議室での『講義』である。部屋の奥に設置されたホワイトボードとプロジェクターから映像を投影するためのスクリーンと向かい合う様に並べられた机と椅子に研究者達と明悟、現場或いはロボット操作で参加するスタッフ達まで集められ着席させられ、雁首揃えた関係者達の眼前に駒木が歩み出て案山子の歴史について語り出すのだ。その成り立ちや語源、そもそもの機能や農作業の補助器具としての派生物、神の依代としての側面など民俗学的な見地の話など。大学の講義よろしく駒木は案山子についての知識を参加者達に徹底的に叩き込んだ(講義中舟を漕ぐ者が続出したがその都度駒木は起こし、やんわりと注意した)。

 それらが済むと一同は会議室から地下ドームに移動し、密閉された容器に例の案山子の頭部と指向性を失った魔素(拡散したドッペルゲンガーから回収したもの)を詰め込んだ物と対峙させられた。そこに用意してあったレコーダーから先程の駒木の講義が再生され(ただし前日に録音したものらしい)、講義の参加者達に先程学んだ事を思い返し、脳波として案山子の頭部に送る様強要される。この案山子の頭部にはもう一つ仕掛けが施されており、駒木の講義が録画されたDVDディスクが埋め込まれており、更にその中には魔素がシフト・ファイターの意志により性質を変化させる過程(薙乃の『武器を識る者ウェポン・マスタリー』によって武器の性質が変化する過程)を記録した研究データと寄生植物である冬虫夏草の画像と解説が収録されている。


 駒木曰くこれらは、長い歴史を超えてきた案山子の頭部により強力な思念を固着させるための行為、言うなれば儀式の真似事らしい。古来からの儀式・祭事において御神体に対して祈りを捧げる行為は安全や豊穣を願う念を固着させるプロセスと言えなくも無い。元大学教授の講義を案山子の頭部の前で思い出しながら念じるという試みは、古来の祭事を先鋭的かつシンプルな形に落とし込んだ物らしい。……作戦前に意思統一をしつつ結束を高めるレクリエーションにしては内容がシュール過ぎるんじゃないのか? と参加していた時の明悟は投げやりな気持ちを持っていたのだが、結果はモニター内の磔の魔犬。駒木の思惑通り事が運んでしまった。


「うってつけの依代が丁度良く手に入ったというのもあるけれど、基本的には魔犬の安定した収束に頼った方法だからね。この方法では案山子の頭部から魔素でイチから胴体を構成するのは無理だからね」


 魔犬を新哉市に持ち替える途中、トラックの中で駒木は明悟に解説する。


「しかし魔犬はそれを成立させている。恐らく何の依代も無く犬と怪物に可変する『魔犬』を大量に作りだして長時間維持させている。消化器系の様なものまで付与して『食事』を行う事で魔素の収束率を安定させて各個体に自活させるなんていうとんでもない事まで成功させている。同じ魔素体でも僕らがやった事とは雲泥の差だよ」


 明悟達が案山子の頭部に脳波を送ったり講義を訊かせたりしたのと同じような方法で、魔犬にもその魔素に思惟を固着させている方法が有るはずだというのが駒木以下研究チームの仮説だ。そしてもし固着されているなら、それは一体どういう内容なのかというのを調べるのが今回の捕獲の目的である。確かに、粒となり浮遊し人間の思念で性質を変化させてしまう魔素と、魔素の塊であるにも拘らず犬の形を形成している魔素体では絶対的な差異がある。浮遊している魔素と収束している魔素との間には決定的な違いが有るはずなのだ。


 ……しかしこの理屈でのアプローチは、実はドッペルゲンガーに対しては悉く失敗している。仮面を被った人間をコピーしたドッペルゲンガーは糸の切れた操り人形のように動かなくなるし、まだ変身していないバニラ状態のドッペルゲンガーもやや難易度は高くなるとは言え変身されずに(人間が向かい合わなくとも)捕獲する事は出来なくはない。ドッペルゲンガーに込められた思惟を引き出すべく様々なアプローチが行われたがどれも反応はネガティブ。というか、ドッペルゲンガーは外部からの刺激にほとんど反応を示さない。傷付けられても逃げる素振りすら示さず、辺りを見渡しながらふらふら歩きまわるだけだ。ただ人間を見つけた時だけ、そちらに顔を向け変身をするのだ。


 研究チームは、魔犬はドッペルゲンガーと違い外部からの様々な刺激にそれこそ動物の様に反応するので、機能が簡潔過ぎるドッペルゲンガーよりも思惟に対して敏感である可能性は高いと考えている。どちらにしても、魔犬を捕獲できたケースは今回が初である。如何なる結果が出るにしてもそれはそれで価値ある一歩であろう。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る