12 -点と点-
暗がりの中、階段に腰掛けながら明悟は小さく溜息を吐く。
この場所は四階から更に階段を登った屋上への出口の前なのだが、出口の鍵は掛けられており非常に埃っぽくて薄暗い場所だ。昼休みを過ごす生徒達の喧騒が酷く遠くから響いてくる。
教室での昼食(松尾夫人に持たされた弁当)を早々に食べ終えた後、人目が付かない様にこの場所まで移動してきたのだ。携帯電話に送られてくる『明悟』に対してのメールなどを確認するため、学友に視られては拙い。
明悟は携帯を確認する前に、階段の下・眼下の踊り場を注視しながら両肩を回しながら肩の凝りを解した。この高校に居る間は全神経を研ぎ澄ませて女子高生の振りをしている。どうにか気を抜く時間を作らないと身が持たない。それは同時に、齢七十二の老人が思春期の少女の演技をしているという奇矯な現状を冷静に見つめ直して自己嫌悪に陥る時間でもあるのだが。
そして、いつもの様に改めて自己嫌悪を頭の端に押し込め、自身のスマートフォンを見遣る。
送られてきていたメールは2件。
一つは自身の秘書からだ。意識不明の女性が発見された事件についての詳細を掻い摘んだ内容。女性が発見された場所や女性のプロフィール、そして身体検査の結果などが調べられている。女性は未だに意識が戻っておらず、検査により脳機能の低下だけが確認されている状態である。意識が戻るかどうかも不明らしい。女性がそうなった原因、つまりドッペルゲンガーに襲われたかどうかは現在調査中だ。目撃情報や周辺の店舗の監視カメラの映像を集めるとの事。魔素体警戒レベル1の地域には電柱にモニタリングポストなど取り付けられてはいないだろう。……それ程目新しい情報がある訳では無かった。まだ事件発覚から半日しか経っていない。まだまだ捜査が始まって間もない段階なのだろう。事件の経過報告より目を引いたのは追記の方である。
追記:調査結果の報告の件で小岩井様が今日午後5時にお宅に居らっしゃるそうです。
……そしてもう一つのメールはその
原田結良。
明悟は心の中でその名前を噛みしめるように反芻する。
……明悟がその渦中の人物・原田結良を初めて見掛けたのは高校入学の日、校舎への入り口の前に掲げられた掲示板に張られたクラス割りを確認していた時だ。新しい生活への希望に満ちた少年少女達の歓声歓談が弾ける様に湧き立つ中、自身の名前を見つけ視線を降ろした時ふと、妙な気配を感じ取った。何気無く辺りを見渡すと、掲示板を見上げる真剣な表情と学生同士で笑い合う表情瞬く隙間に彼女が立っていた。
制服の真新しさから入学生である事は間違い無い。明悟(薙乃)ほど背は高くないが小柄というほど低くは無い、身体の線は細いが痩せていると言うよりもしなやかに引き締まっている。スレンダーで身体の芯がしっかりしている綺麗な立ち姿。髪型は肩よりやや短いショートヘアーで快活な印象を与える。そしてその表情は、何故か絶望感すら漂う程に唖然とした表情をしている。世界の終わりを見せつけられ、自分はそれをただ待つしかないと打ちのめされたような表情、口が半開きになり生気を吸い取られたような顔で大凡入学式のクラス割り発表の場では似つかわしくないその表情の少女と明悟は今、目が合ってしまっていた。何故そんな表情をしているのか? と疑問に思う以前に明悟は、目の前で起こっている事の意味が解らず茫然としていた。
「鶴城さん、わたし達同じクラスだよ!」
隣に居た小野佳奈恵の言葉に弾かれる様に/思わず逃げるように振り向いた。小野は嬉し気な眩しい笑顔で掲示板を指し示す。祝いの日に相応しい笑顔。
明悟もその事実を確認し二・三言葉を交わした後、先程の少女が居た方向を一瞥した。が、しかしそこには先程の少女は居なくなっていた。
……その後も、その少女の姿はしばしば見掛ける。名前は原田結良、別のクラスの一年生。入学早々に陸上部に入部したらしく、下校時にグラウンドで筋トレや練習をしている姿を観察した事がある。肉体を駆動させる真摯な表情と時折同級生や先輩に見せる屈託の無い笑顔、部活動に真剣に取り組む普通の女子高生にしか見えない。入学式の時に目にした虚脱と絶望に満ちた表情はそこからは一切読み取れなかった。入学式での表情は何かに見間違いだと思いたくなる程に学園生活を謳歌しているように見えた。
しかし、明悟には何か引っ掛かるものがあった。
……探偵の真似事ではないが、目一杯自然な流れを装って、以前昼休みの席で原田結良の話題を出してみた事がある。部活動と言えばそう言えば、陸上部の一年生に印象的な女の子を見掛けたね。
「それは多分原田さんだね。ほぉ~、そこに目を付けてくるか鶴城さん」
予想外に茅原が喰い付いてきた。
「やっぱり可愛い女の子は注目集めるよな~。しかし入学早々にそこをチェックするとか鶴城さんの審美眼、侮れないな」
「いや……、可愛いから注目した訳では。いや、可愛かったが」
自分すら気付いていない深層心理を指摘された気分になって明悟は少し物怖じした。
「……女子が可愛い女子に注目するというのはあまり起こり得ないと思うのだけど?」
「えーそう? わたし未だに鶴城さんと話しする時ちょっとドキドキするよ?」
「それは……、面と向かって言われると照れるな……」
……そういう冗談は冗談でも一瞬『素』が出そうになるから辞めてもらいたいものだ。
「わたしも可愛い女の子の事知りたい。どんな人なの?」
明悟と茅原のやり取りをくすくす笑いながら訊いていた小野が二人に尋ねる。
よし来た! と言いつつ始められた話だが、茅原は特別原田結良と仲が良い訳では無いと最初の自己申告で明かされた。原田結良と茅原は同じ中学校の卒業生で中学生の頃から彼女は陸上部に所属していたらしい。性格は利発で明るく、機転の利く感じの良い子、との評価。興味深いのは中学一年の後半くらいまで休学していたという点、元々魔素体大禍の被災地域の出身らしく、怪我(か何か)で自宅療養をしていたらしい。
微かな引っ掛かりが明確な輪郭を持って明悟の前に対峙してきたのはある日の休み時間に樫井良治から原田結良について訊かれた時だ。鶴城さんって、原田結良って子と知り合いだったりする?
「いいや? 名前は訊いた事があるけどね」
「そうなのか……」
樫井は明悟の返答にいまひとつ納得がいっていないような物憂げな表情をする。
「どうして私にそんな質問を?」
「その原田に訊かれたんだよ、鶴城さんってどんな人? って。その時の原田の訊き方が何か思い詰めてるって言うか、ちょっと普通じゃない感じだったから気になってさ……」
「……その原田さんと君は仲が良いのか?」
「いや、同じ中学だし部活も同じ運動系でたまに話をする機会が有ってって程度なんだけどさ」
そう言えば樫井はサッカー部だったか。……樫井の応対にほんの微かな『照れ』が見て取れたが、ここは気にしない事にする。
「悪いな、原田さんに関して心当たりはちょっと思い付かないよ」
心当たりはある。ただ余りにも入り組んだ話過ぎて樫井に明かせる様なものでは無い。
「その、もし原田の方から鶴城さんに話し掛けて来るようだったら、仲良くしてやって欲しいんだ。スゲー良い奴だからさ。あと、その時はオレが詮索してるのバラしたのは秘密な」
「ああ、心得たよ」
樫井は良い笑顔で謝罪するポーズを作る。気遣いが出来る男らしい。
……樫井はクラス内の女子から特別視というか、格好良いと思われている部分がどうもあるらしい。見た目の癖の無さや邪気無くスマートに女子と接する事が出来る点やサッカー部部員というステータスがそう評価させているのだろうか。自分が男だからか、明悟にはそういう点がいまひとつピンと来ない。ただ、小野や茅原が樫井と会話している時は、意識的なのか無意識なのか本当に一割増ぐらい普段より可愛くなっているので驚かされる。そのような少女達の露骨な態度の変化を見てしまう時、明悟は密かに強い疎外感を覚える。無論、男共にもそういう部分は多分に有る故、それについて不快に思うのは身勝手以外の何者でも無いのだろうが。
閑話休題、原田結良の件について続けよう。
原田結良は鶴城薙乃の存在を意識している。厳密には鶴城栄美と同じ苗字を名乗っている点と、年齢が違うとは言え栄美の面影を残したその容姿を。
『シェイプシフター・ソリディファイ』、国内外の魔素体関連の情報が集まるウェブサイト。一般人にもその存在が浸透するウェブサイトで明悟もしばしば目にしている(というか魔素体関連の仕事に関わっている人間ならほぼ全員目にしているだろう)。有志により日々更新されていく魔素体関連のデータ、(一般に公開されている範囲の)魔素体の研究成果や魔素体関連の事件、魔素体を取り上げたメディアや書籍の情報など多岐に渡る情報が集合・統合されている。特に、先の魔素体大禍で死亡し、その素性が明らかにされた6名のシフト・ファイターのデータが樫井良治曰く『若干引くレベルの情報量』で掲載されている。一時期はシフト・ファイターのかなり込み入った個人情報まで掲載されており行政側から厳重注意を受けたらしく情報量はかなり減ったそうだが、それでも各シフト・ファイターの人となりを容易に想像させる程度の内容はある。
そして死亡した6名以外のシフト・ファイター、現在も東京での活動が確認されている3名を含むこれまでに国内で確認された他25名についての情報も断片的にだが掲載されている。ただし、死亡が確認された6人――自衛隊との共同戦線において死亡し、シェイプ・シフトが解除されたシフト・ファイターとは違い個人情報についてデータが無い。飽くまで断片的な情報、姿や背格好、活動していた地域や使用していた能力(特殊能力と思しきもの)にとどまる。
そう、そして鶴城栄美についても掲載されているのだ。
無論、栄美の個人情報は一切掲載されていない、『シェイプシフター・ソリディファイ』のウェブサイトに『鶴城栄美』の名は何処にも載っていない。しかし、目撃情報や偶然撮影された画像映像の断片から、青いドレスのようなコスチュームを着て特殊能力で造り出したと思しき武器を使って戦う10歳前後の少女が居たという事が確認されている。サイト内では『蒼の魔法少女』などと呼称され、主に愛知県南部・南東部で活動が確認されていたと書かれている。現在は行方不明という一文が解説文の締め括りとして用いられている。
恐らく、この『蒼の魔法少女』と称されるシフト・ファイターが鶴城栄美と見て間違いないだろう。そして『蒼の魔法少女』の解説文には興味深い一文が存在する。
「『蒼の魔法少女』はよく似たデザインの赤い色のコスチュームを着た、通称『紅の魔法少女』とペアで行動していた」という部分だ。
紅の魔法少女。その人物の存在もサイト内で紹介されているが情報量に関しては『蒼の魔法少女』とほぼ同じ、『蒼の魔法少女』と共に行動しており、現在は行方不明。……栄美は独りで戦っていた訳では無く、誰か仲間が居た事が示唆される。栄美に近しいもう一人のシフト・ファイターの存在について長らく、ただの誇張による与太話なのか自身が未だ知り得ぬ事実の一側面なのか結論を付けあぐねていた。その手掛かりの大部分が魔素体浸透域の奥に置き去りにされたまま手の付け様が無かった状態だった。
入学式の最中刹那に見せた原田結良の悲痛な表情が、乱雑に破壊されたパズルを組み立てる重要なピースになるように思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます