第4話 信じられない
働けばいいんでしょ、働けば、と悪態をつきながら、春子はほったらかしにしてあった洗い物を片付けてくれる。
「洗剤それね。あと、スポンジはこれ。ここにいる間、食品と備品は好きに使ってくれていいから」
「……」
「あ、でもメイク用品はダメよ、ものもらいとかうつったら嫌だから。メイク落としオイルはOK」
春子は、「好きに使っていい」と言ったものを好き放題使うような人間ではない。彼女はプライドが高い、基本的によほどのことがない限り、人の手を借りようとすることはない。今がその「よほどのこと」であるというのは、確かにそうなのだが。
「ミウってさ。潔癖症だったっけ」
「潔癖だったら、もうちょっと部屋も片付いてるでしょうね」
他人から何かをうつされる、という理不尽さが嫌いなのと、教師という職業柄、感染症は避けたいっていうだけ。決して潔癖症ではないし、むしろ春子の方がよほど綺麗好きだ。
「……貯金ね、結構あるの。明日、実家にカード類取りに行く」
「私もついていくよ」
迂闊に野に放って、万が一死なれてしまってはどうしようもない。……まあ、一度冷静になって死ぬことに恐怖を覚えてくれたのなら、大丈夫かとは思うのだが。それに明日は土曜日だった。
その日、彼女は夕飯を作ってくれた。ひじきと大豆の煮物が美味しかった。
「ハルってさ、料理上手かったよね、昔から」
「まあ、子どもの頃から母親とよく料理はしてたし」
「意外。なんか、私の中でハルってお嬢様なイメージがあるんだよね。だから、あんまり手伝いとかしなさそう」
「手伝い……っていう感覚でもなくて、どちらかというと趣味って感じ。お正月の御節とか作るのも好きだったなあ」
なんというか、「本当に育ちがいい」って、こういうことを言う気がする。お嬢様のように甘やかされて、何もできない子になってしまうより、自分の身の回りのことはしっかりできた方がいいに決まっている。
「言っとくけど、私、ハルほど生活力ないから。その辺よろしく」
「それなのに一人暮らし始めたの?」
「……コンビニって、便利じゃん」
春子が信じられない、と呟く。――この響き、懐かしいな、と思ってしまった。
私は春子によく、「信じられない」と言われていた。それはがさつで、生活力もなく、女子力も圧倒的に欠いている私に対する侮蔑と、呆れと、心配の想いが含まれた「信じられない」なのだった。
「中学時代もさ、私、ハルによく『信じられない』って言われてた気がする。珍獣でも見るような目でさ」
「珍獣はさすがにないけど、ミウの机の汚さは天下一品だったし、家庭科の調理実習も悲惨だったし。マカロニと細切りのチーズを見間違えて茹でたときは、この子、生きていけるのかなって思った」
「……あと、身だしなみね」
「当時のハル的には、校則通りのスカート丈は、『ない』」
「私的には、自分のことを名前呼びするのは『ない』」
「家族と、ミウの前だけだから良いじゃん」
「自分のことを名前呼びする人って、漏れなく自分がかわいいっていう自覚がある人だと思ってるの、私」
春子は曖昧に笑った。あながち嘘ではないのだろう。
私の中で春子は「かわいいの塊」だった。短めのスカートも、細い足も。漆黒で艶のある長い髪も、桃色の頬も。家事が得意なことも、少しぶりっ子なところも、本当に全部、ちゃんと揃った「完璧美少女」。
「セルフプロデュース力っていうの? ああいうのって、本当に、どこで身に付けるものなの? ってずっと思ってた」
「トライアンドエラーなんだろうね」
春子はどこか他人事のように呟いた。でも――春子は、本当に自分のことも、人のこともよく見ている子だった。それこそ、私のことまで。
それは、中学二年の頃の想い出。
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