芸術祭に向けて7
時間は遡り、秋風が消えた翌日。
「――はっ! …………はぁ……はぁ」
ぞわりと背中を撫でるような恐怖感が走り、目が覚めた。
しかし、起き上がった場所はいつもどおり俺の部屋で、格好もいつもどおりパンイチ。
ゲーム機などが置かれた部屋もいつもどおり整頓されてシンプル。特に異常な点は見当たらなかった。
なのに、どこか漠然とした恐怖が心の奥から顔を出す。
「……あぁ! もう、なんだよ!」
思わず叫んでしまう。
昨日の夜からずっとこんな感じだ。
昨日、一緒に出かけて電話をしてくるといったあと、結局秋風は俺たちの前には姿を現さなかった。
文化祭の追加の買い出しはあのあと四人(俺、臼野、井上、松野)で済ませたからいいものの、突然連絡もつかなくなった秋風のせいで、なんとも後味の悪い別れ方になってしまった。
(ったく、ふざけんなよ……今日学校であったら絶対文句言ってやる)
秋風はなぜだかパタリと連絡がつかなくなっていた。
なんどもメッセージを送信したが、未だに既読すらつかない始末。
昨日の時点では臼野や井上と冗談めかして「誘拐されたんじゃね?」なんて話していたが……もしかして、この得体の知れない恐怖感はそこから派生しているものなのか?
いや、でもだとしたらそれこそ学校がアクションを起こすに違いない。
何もしていないということは何も起こっていないに違いないのだ――だから、この胸のざわつきもきっとただの俺の勘違い……勘違いに違いないんだ。
「は……休み?」
「おう、らしいわ。あいつマジふざけんなって感じだよな。昨日途中で帰ったから俺らに会いづらくなって休んでんじゃね?」
午前九時。
学校についた途端、井上が顔を歪めながら教えてくれた。
「え、お前あの後秋風に連絡とかとった?」
「いや、とってねぇって。ってかもうブロックしよかな。普通にうぜぇんだけど」
「あー……うん。そうかもな」
適当に流しながら俺は考える。
しかし、やはり胸を覆うのは漠然とした焦燥や恐怖のみ。とにかく不気味だった。
すると、そんな俺の様子を見て井上も何か気づいたのか、俺の肩をぽんと叩いて教室の奥へと歩いて行く。
「ほっとけってあんなやつ。あ、あと昨日買ったやつは教卓の下に置いといたから」
「……サンキュ」
なんとなく返してから、たまたまこっちへと歩いてきた石本さんに話しかける。
「ああ、石本さん」
「え、私!? ……な、何?」
「あのさ、今日秋風ってどうしてるかとか知らない?」
石本さんは昨日俺たちと一緒に出かけていたのだから、秋風のその後について何か知っているかもしれない。あまり親しくしているところは見かけないが、秋風も女子同士の繋がりというのがあるかもという薄い希望にかける。
石本さんはひどく動揺しながら頬を染めるが、正直そんなことは今目に入らなかった。
「き、昨日のあとのことだよね……?」
「そう。俺たちのところには結局連絡なかったからさ。石本さんのところには何も来なかった?」
「連絡は来てないけど……でも、きっと大丈夫だよ。秋風さんも、子供じゃないし」
「まあそれはそうかもだけど……なんか気になって」
「鷹山くんはなんというか……優しいね」
「え?」
石本さんは頬を染めながらこちらを見上げてくる。ひどく緊張しているようで、唇が細かく震えているのが見えた。
「友達を心配するのって、結構大変なんだと思う……だから、鷹山くんは優しいよ」
「あ、ああ……ありがとう」
突然褒められて、俺は思わず固まってしまう。
すると、そんな俺を見越したかのように石本さんが再び口を開いた。
「……でも、きっと大丈夫だよ」
「俺もそう思ってるけど……」
「鷹山くんが気にすることじゃないって……体調不良か何かじゃない、かな? 灰塚くんも多分今日来ないみたいだし」
「あーそれはそうかもな」
灰塚という名前が出た瞬間、俺の感情は怒りへと移った。
いつも気取った態度をとり続けている包帯野郎、無性に殴りたい。
脳は沸いた怒りを鎮めるべく、適当な言葉を口に言わせていた。
「そうだよな……なんかそんな気がしてきたわ。ちなみに今委員長いる?」
「い、委員長? そういえば今日見てないな……」
「え? 委員長も?」
ぞわりとまたしても何か悪寒が走る。
「うん……珍しいよね。それも無断欠席だっ、て」
「委員長も無断欠席……」
もうさっきからなんだよ。別になんもおかしくないだろ。
「あ、あの……鷹山くん? 大丈夫? 顔色が……保健室とか行ったほうが……?」
秋風が昨日消えたことも、今日秋風が無断欠席なことも、別におかしくない――ことはないが別に納得できないわけではない。あいつは遅刻気質なところだってある。
でも、委員長はどうだ?
真面目で明るくて優しくて頼りがいのある委員長が無断で遅刻なんてありえるのか?
俺の知っている委員長はそんなことしないはずだ。俺が普段から接している強くて人気者の委員長はそんなことなんてしない。
「――あ、そういや買い忘れ思い出したからちょっと買ってくるわ。T市まで行くから今日は戻れないかも!」
「え――鷹山くん!」
俺は学校を飛び出した。
別に俺が委員長のことをどうこう思っているわけではないし、秋風のことをどうも思っていないわけでもない。
でも、秋風の失踪と、委員長の無断欠席、あとついでに学校での行事準備を秤にかけたとき、俺が選ぶのは、委員長だった。
「……」
ふと、通学路を逆走中に立ち止まる。
そういえば、電話をするのを忘れていた。
委員長がもし風邪とかならお見舞いに行きたいが、何か厄介事に巻き込まれていたりしたらこっちもそれなりの準備をしないといけない。
「……」
八月の終わりとは言えまだ真夏。
照りつける日差しの中、友達一覧にお気に入りのピンを刺された委員長にライン通話をかける。
「……出ない」
――そういえば、俺はなんで学校を出たんだろう。
別に電話をするくらいなら学校でやっても良かったんじゃね?
そんな考え方をし始めると、誰に指摘されたわけでもないはずなのに、急に自分が恥ずかしくなってきた。
「……戻るか」
そうだよ。
特に目的地もなく飛び出したのはきっと外の暑さとクーラーの利いた教室との温度差のせいで俺の頭がちょっとおかしくなってただけだ。
別に俺が委員長をどうとか思っているわけではない。
俺の中でそう考えを締めくくって、再び学校に向かうべく体を反転させようとして――やめた。
そういえば、俺は何か意味のわからないことを言って教室を飛び出した気がする。
俺は何を言った?
『ちょっと買い出しに行ってくる』
そうだ、こんなことを言ってしまった。
なら、何も持たずに帰るのは逆に不自然だろう。
「……仕方ない」
――委員長のお見舞いにでも行くか。
別に俺が委員長をどうこう思っているわけではない。しかし、学校に帰るのは少し違う。
これも別に恥ずかしいとかそういうやつではない。
ただ、普段なら無断欠席なんてしない委員長が急に無断欠席なんてするから心配なだけだ。俺個人のプライドなんかは関係ない。
そう、これは仕方なくなのだ。
委員長は電話に出なかった。つまり、電話にも出られないような状態なのか、それともただ寝坊だとかそういった類のものなのかを確認しないと全員安心できないだろう。
俺の中で満足した結論を出してから、駅へと向かって歩き始めた。
午後二時頃。
アリバイ用にT市まで言って買った赤いペンキとお見舞い用のプリンを片手にS市外れにある高級住宅街をぷらぷらと歩いていくと、落ち着いた雰囲気のレンガ塀の家が見えてくる。
委員長の家は一度来たことがあったので、すんなりとたどり着く事ができた。
父親の職業柄か家自体が裕福なようで、かなり大きい家だったことをはっきりと覚えていたおかげだろう。
俺はゴクリと喉を鳴らしてから、岩夏と書かれた表札の下にあるボタンへと手を伸ばす。
インターフォンがなったのを確認してから、カメラに自分の顔と制服が映るポジションへと移動していると、すぐに応答があった。
「はーい。どちら様ですか?」
母親だろうか。かなり陽気な声が聞こえてきた。
「あ、お久しぶりです。僕は清明高校二年三組の鷹山創と言いますけれど……結さんのお見舞いにきました」
若干緊張からか言葉遣いがおかしくなってしまった。
しかし、言いたいことは伝わったようで、委員長母は柔らかい声で返事をしてくれた。
「あぁはいはい――ん?」
「え?」
「この家に結なんて子はいませんけど……」
「――は?」
再び、背中に悪寒が走った。
一瞬、家を間違えたかと思って、表札を確認しなおすも、そこには岩夏と掘られた表札がきっちりとかかっている。
「え、いや……え?」
「いえ、ですからこの家に娘なんていませんよ? 私と主人の二人暮らしです」
「いや、そんなはずは……結さんですよ? 僕と同じで清明高校の二年三組で委員長をしているあの……」
言っているうちにわかってくる。
インターフォン越しに伝わってくる相手の反応。
これは、嘘をついている反応ではなく、本心から言っているのだろう。
「いや、でも……」
「人違いなんじゃないんですか?」
委員長母の言葉に続いて、インターフォンからブツリと音が響く。
不安になってもう一度表札を確認するも、そこには岩夏と書かれている。家の外観も前に見たまま。どう見ても委員長の家だったし、委員長の母親の声も前聞いたものと一緒だった。
しかし、その母親は娘なんていないという……どういうことだ?
委員長が消えた……?
俺は自分の考えを否定するかのように勢いよく委員長に再び電話をかけなおす。
しかし、何度かけてもそれは不在着信になるのみで、既読もつかない。
「そんなこと……」
秋風の顔が再び胸の奥に蘇る。
あいつも確か今日無断欠席だって石本さんは言ってたよな……?
またしても得体の知れない恐怖感が胸に湧き上がり、すぐに秋風にも電話をかけてみる。
しかし、結果は委員長の時と同じで不在着信が増えるのみ。
「いや、そんなことって……」
秋風と委員長が同じ状況にあるとは限らない。それはわかっている。
秋風は昨日の夕方突然消えて、そこから消息不明。委員長は消息不明+親から存在を忘れられている。
状況的には委員長の方が悪い――ていうか親から忘れられるってなんだよ……。
思わず頭を抱えてしまう。
「……どういう状況なんだよこれ……意味分かんねぇ……」
疑問はただ深まるばかりで、それでも何か動かないといけないという使命感から、電車を乗り継いで今度は秋風の家を尋ねてみる。
だが、またしても得られる答えは同じだった。
「え? 紅葉なんて娘はうちにはいませんよ?」
もう、どうすればいいんだよ……。
学校に相談……信じれ貰えられるわけねぇし。警察も同じだろう――いや、でも一応言っておいた方がいいのか?
「親は存在を忘れてますけど○○さんという人が行方不明なんです!」
信じて貰えられるわけない……いや、でも一応……。
パニックになった脳はこんな数分でできることに時間をどんどん費やしてしまう。秋風の家に来たのが午後四時半くらいだったはずなのに、いつの間にか三十分も経過していた。
「とりあえず連絡はしておこう」
俺が恥をかくなんてどうでもいい。別に警察の人に変人と思われたってどうもないだろ。
それよりもクラスメイトの異常を心配すべきだ。
そう考えて、ポケットからスマホを取り出そうとしたとき、後ろからぬっと影が差した。
「え……」
バッと後ろを振り向くと、見上げるような銀髪の大男がこちらを見下ろしていた。
「――っ! いや……」
その鋭く細められた目のあまりのプレッシャーに思わず俺は尻餅をついてしまう。
持っていたプリンと、ペンキの入った小さな缶が大きな音を立てて転がった。
餌を前にした野犬のような獰猛な眼差しに睨まれた俺は、思わず体中の筋肉が縮こまってしまい立ち上がれなくなる。
腰が抜けたせいで、逃げるに逃げられない。
ただお尻を付いたままずりずりと後退していくだけだったが、すぐに大男が巨大な一歩で距離を埋めてくる。
「ひェ! な……なんなんですか!? お、お金なら出します! 出しますから!」
みっともなくそう言ってカバンを弄るも、出てこない。
逆に、そんなことをしているうちに大男はさらに距離を詰めてきて、かがみ込んだ。
顔をこちらへとぐいと近づけてきて、十数センチまで接近してくる。
しかし、大男は何も言わない。それがかえって不気味だった。
「は、あ……」
不思議とまぶたは閉じずに、涙がこぼれてきた。開いた口は塞がらずに、手にも力が入らない。
刺すような視線が俺の瞳を貫いて、延々と恐怖感を煽っていく。
ドクドクと鼓動は一秒おきに加速していき、股間が生暖かく湿っていく。
そして、そんな俺の下半身を一瞥した大男は、何を言うでもなく、もう一度俺の目へと視線を戻す。
「た、たひゅけて……」
俺がほとんど発音できていないような小さな声でそういった途端、大男の拳が飛んできて、俺はあっさりと意識を手放した。
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