芸術祭に向けて3
夜。
電灯ではなく、ロウソクの光が淡く辺りを照らす、事故物件認定の三〇三号室。
相棒は普段とは少し違った意味でそわそわとしながら衣装箪笥を引っ張り出しては部屋の中をウロウロと徘徊していた。
このシーンだけを見ると、初デートにむけて気合を入れる彼女のようだが、うちの相棒に限ってそんな浮ついたシーンなどなるはずがない。
今選んでいるのは今日の夜の活動のコスチュームだ。
「なぁ、ゼロ。衣装ってどっちのがいいと思う? こっちかな?それともこっち?」
そう言って、ネズミ型毛玉の僕に向かって二枚のシャツを突き出してくる。
一枚目は黒地に肩の部分からストンとまっすぐ細い赤のラインが引いてあり、「そのラインを引いた時に少しインクが飛び散っちゃった、てへ♪」みたいに形も場所も乱雑に赤色の水玉(便宜上)が配置されているシャツ。
二枚目は、相棒にしては珍しい白地のものだ。
だが、同じく左肩から右腰にかけて伸びる赤のラインと、そのラインに連なる子分のような適当に配置された赤色の水玉(便宜上)が飛び散っている。
うん、どっちも同じだ。
黒地の方が禍々しいとは思うが、白地だと赤が目立ってしまい大怪我を負っていしまっている人のようになっている。
結論的にはどっちを選んでも絶対に外に出ないほうがいい。
というかこんなシャツどこで買ったんだよ。僕が知ってたら絶対買わせてないのに……。
「あー、なんか白の気分だなー。いやでもちょっと赤が格好悪いなー」
お、気づいてくれたのか?
「ちょっとインクのばら撒きが甘かったよなー……よし、ちょっと追加しよ」
って買ったんじゃなくてお前が自分でやってたのかい。
だが僕の心のツッコミを盛大に無視して相棒はクローゼットから赤のペンキを――
「キュー! キュー! キュキュキューーーー!」
「ぬぉ! なんだよゼロ! 今日お前テンション高いな! 早く暴れたいのか?」
「キュ!(そうじゃなくてそのペンキを置け!)」
「よーしよし、かわいいやつだなお前は! さすが俺の相棒! よし、今日は暴れまくるぞ!」
「キュー!」
もう何を言っても相棒には伝わらないらしい。
悲しいかな相棒が僕の鳴き声を正確に聞き取ってくれるのは異世界人襲撃の時だけなのだ。
もう、この相棒捨てようかしら。
誰か五百円くらいで買い取ってくれないかな?
「よーし、じゃあシャツはこれにして、ってなると今日は白ベースで行くか? マントもいつものジャケットみたいなのよりも長いはためく感じのやつにして……お、なんか格好良くね? そっちのもありじゃね?」
もうダメだ。
うちの相棒のファッションセンスはいつからおかしくなってしまったのだろう。
そんなことを嘆いているうちに、約束の時間が近づいてきた。
「キュー」
相棒に視線を鳴き声で時間を知らせると、相棒も釣られて時計を確認する。
「――ってやべ! あと十五分しか待ち合わせまでないじゃん! え、どうしよ。黒? 白? あー悩むうううう!」
もうそれはどっちでもいいって言ってんだろ!
*
私は中野圭吾四十四歳。妻子持ち。
妻とは大学時代、研究室で出会って、そのまま流れるように大学を卒業するとともに結婚した。
長男は、妻との結婚から五年後にこの世に生を受けた。
私が当時あまり稼ぎのよい職業じゃなかったばかりに少し養育費などで不安なところはあったりもしたが、長年待ち望んだ待望の子供ということで、二人して大いに喜んだ。
そして、それから三年後、長女が生まれる。
妻は子供が出来るなら女の子がいいなと長男を身ごもった頃から言っていたので、こちらも大いに喜んだ。
私はそれを機に運転手、ドライバーへと転職する。
初めはフリーのタクシー運転手をしていたのだが、今の時代個人経営のタクシーなどそれほど大した稼ぎは得られない。
やはり、私のように大した才も持たない男が、稼ぎが悪いというちっぽけな理由で独立しようと思って成功できるような甘い世界ではないということだ。
そう思って、軽く絶望していた三十二歳の頃――私は、今の雇用主と出会った。
夜も遅いというのに、ぴちりと整ったスーツで疲れた表情など一切感じさせない真面目な面立ち。ひと目見ただけで私と違う人種だな……と感じさせられた。
そして、私はそんな”自分と違う”人からならば、今後のアドバイスを頂けるのではないかと思い、聞いてみたのだ。
「なにか、いい仕事を紹介してくれませんか?」
今も家に帰れば遊び盛りの息子と娘がいる。
個人経営のタクシー運転手なんていう不安定な生活が約束された仕事をしている以上、妻には迷惑をかけっぱなしで、それでも大した稼ぎも渡せない。こんなダメな夫に対するいい仕事。
それを教えて欲しかった。
すると、その男の人はクスリと頬を緩めて答えてくれたのだ。
「じゃあ、私のドライバーになってくれますか?」と。
それ以来、現職のGI県の県議会議員、岩夏康介の専属ドライバーとなって十四年。
数々の人を後部座席に乗せてきた。
康介さんの奥さんを乗せることもあったし、娘の結さんを乗せたことなんて数え切れない。
会食のために芸能人を迎えに行ったり、国会議員なんかも乗せてきた。
しかし、これは初めての経験だ。
「なぁ、この車っていくらぐらいするんだ?」
そう言いながら、康介さんのLEXUS UXの後部座席をベタベタと触る仮面のピエロ。
黒一色で、スマイルマークを最大限歪ませたような禍々しい仮面を装着し、黒いスキニーパンツ、と白いシャツ、そして吸い込まれそうな漆黒の大きなマントを羽織ったおそらく高校生から大学生ほどの少年。
だが、明らかに異常なのはその衣装のいたるところに赤色のペンキが乱雑に飛び散っており、趣味の悪いスプラッター映画に出てくる悪役といった印象を受けた。
奇人だ。
「さ、さぁ……いくらぐらいなんでしょうか」
私は動揺を悟らせないようにバックミラーを覗く。
奇人は振る舞いこそ高級車に憧れる中学生といった様子だが、格好のせいでそのいちいちが恐ろしく感じる。
例えば、さっきから奇人は窓ガラスの方へと首を向けている。
それはただ窓ガラスからの景色を楽しんでいるようにも見えるが、その実窓ガラスに埃がついていないかといったことを確認しているかのようだ。
そして、そこで汚れが付いている場合、私をころそうと――……思わず、生唾を飲み込んでしまう。
……ああ、康介さん。
どうしてこんなわけのわからない奇人のお迎えを私に指示したんですか? 私何かしました? もしかして前に結さんを乗せた時に寝顔を盗撮していたのがバレたのだろうか……ありえる。
康介さんは親バカで一人娘の結さんを溺愛している。
で、でも私だって結さんが小さい頃から運転手として付き合ってきたわけで……言ってみれば私も家族みたいなところだってあるのだ。
「なぁ、あんた」
「ふぇ!? あ、いえ……オホン。なんでしょうか」
「俺を呼んだやつってどんなやつなんだ?」
「……」
このガキ……。
苛立ちから思わずハンドルを強く握り直す。
お前が康介さんの客人である以上、敬語を使えとは言わないが、せめてもう少し……ふぅ、落ち着け。慌てるな私、娘の写真を思い出せ。
落ち着いた。
ちらりと再びバックミラーを覗くと、仮面のサイズがあっていないのか必死に剥がそうともがいている。私の中でも少し溜飲が下がった。
「康介さんは……本当に優しい人ですよ。奥さんや娘さん想いで、議員としても来季も当選確実とまで言われていますし。もしあなたがS市に住まれているのなら学校などの行事でも見かけたことがあるでしょう? そうやって積極的に地域のイベントなんかにも参加して下さる本当に優しい方ですよ」
最後まで説明して、再びちらりとバックミラーへと視線を移す。
すると、そこには未だにギチギチの仮面と格闘している奇人の姿があった。
――こ、この……!
落ち着け、落ち着くんだ私。康介さんに拾われるまでの日々を思い出せ……あの先の見えない恐怖に比べるとこんな苛立ちなんてたいしたことない……。
落ち着いた。
ていうかなんで仮面のサイズあってないのにつけてんだよ。取れよ。別にお前の素顔なんて興味ねぇよ。
「な……なるほどな」
すると、やっと落ち着いたのか奇人は仮面から手を離して頭を振る。
先ほどまで必死に格闘していたから締め上げがやっとフィットしたのだろうか。心なしか仮面に描かれている禍々しいスマイルも和らいだ笑顔に見えた。
「ええ、そうなんです」
やっと運転に集中できる。
そう思ってバックミラーからフロントガラスへと視線を戻すと、後ろに座っている奇人がまたしても話しかけてきた。
「で、結局どんなやつなんだ?」
中野圭吾四十四歳。
子供にも見せたことのないような顔をしながら運転を再開した。
*
「ふぅ……やっと着いたな」
そう言って相棒は車から降りて大きく息を吸った。
「やはり、闇の空気はうまい」
何を言うとるんじゃこいつは。
だが、相棒は仮面の下で最高のキメ顔を披露してくる。非常に鬱陶しい。
……ぎゅー。
(っづぁ! ま、またかよ! 俺なにも…………ぐぁ!)
と、相棒を軽く窘めていると駐車を終えた運転手がこちらの様子を伺いながら門を開いてくれた。
「あの……えーっと」
「黒王だ」
「こ、コクオウ……?」
「なにか?」
「い、いえ……コクオウ様。康介は玄関向かって右の部屋におられますので、そちらに……」
「ああ」
相棒は運転手を最後に一瞥すると、門をくぐって階段を敷地内の登る。
運転手の脳から流れてきた情報通り県議会議員というのはかなり儲かる職業のようだ。
二階建てだが、玄関の扉までも悠々とした庭があるし、それこそ専属の運転手なんて付けられている時点で相当のものなのだろう。
だが、それでも一応警戒を緩めるわけには行かない。
相棒の炙り出し式の名刺の謎を破ったということは、相棒の招待にも少なからず感づいている可能性があるのだ。
名前や運転手の脳内で、僕らを呼び出したのは委員長の父で間違いないだろう。
それなりの立場のある人間が、僕らへと接触を図ってきたとなると、騒ぎ過ぎたことに対する警告という線も薄くはない。
はっきり言って、こうして時間を指定したものの、ノコノコと顔を出すのはかなり危険な行為だった。
しかし、その危険を微塵も理解していない相棒。
奇人である。
(いやー……やっとあの名刺の仕組みに気づく人が現れたんだなー、思えば長かった……! もしかして俺のファンになってくれてるとか? 多分俺と一緒の闇の世界の住人なんだろうなー)
無駄に明るい口調でベラベラと気持ちの悪いことを考えてくれる相棒。殴りたい。
だが、悲しいことに相棒は電話の差出人が委員長の父親ということに気づいていない。
相棒の中で委員長は委員長としてしか認識されておらず、名前を把握していないというのが一点目の理由。
そして二点目は、委員長の家族の話などは常にひとりぼっちの相棒に入ってくることがなかったのだ。
なので、康介の肩書きが県議会議員だなんだと言われても、全く別世界の話で、へーとしか思っていない。委員長との関連性を見いだせないのだ。
となると、当然相棒の中では、いつ助けたのかもわからないおっさんに呼び出されたとしか考えられないはずなのだが、それでも自分の出した名刺の謎を解いたということで無性にときめいているのである。
なんというか、色々気の毒だ。
できる限り相棒に現実がバレないように立ち回ろう。
ただでさえ夜の相棒は好かれていて、昼の相棒は嫌われているというややこしい委員長との関係なのに、親に呼び出されて家にまで行っているとなると余計に話がこじれてしまう。
もちろん、相棒は助けて決めシーンをする格好いい自分というのに拘っているので、正直その後どうなるかは対して興味を持っていないのだが、それでも今から行くのが委員長の家ということになると少しは意識してしまうことがあるかもしれない。
ただでさえ面倒くさい相棒と一緒にいるのに、これ以上面倒くさくなるのはごめんだ。
僕は委員長の相棒に対する感情を面白いとは思うが、正直もっと普通でいい。
普通の恋愛感情というのには興味はあるが、時間によって好意が反転するなんて特殊な恋愛感情は望んでいないのだ。
今でこそまだギリギリバランスを取れているが、これ以上となると流石に重たい。消化しきれないのだ。
「……ふっ」
何笑ってんだこいつ。
「見ろよゼロ。この薔薇、まるで俺みたいじゃないか?」
何言ってんだこいつ。
自分が初めて呼び出されたことがそんなにも嬉しいのか、いつもの倍鬱陶しい相棒。
後ろから扉を開こうと小走りでやってくる運転手を無視して勝手に扉を開くと、玄関へと入っていく。
その際に、僕が変身した仮面と全く同じデザインの仮面へと付け替えることも忘れない。
暗いところでしか生きられない僕は、再び相棒の包帯の下へと隠れた。
(は……ちょ、このガキ――……)
後ろからとてつもない怒りの感情が向けられるが、相棒はそれにも気づかずにスイスイと玄関で靴を脱いで中に入ってしまう。
岩夏家の玄関は、暖色の照明が暖かく迎え入れてくるモダンな印象。広々とした玄関口には綺麗に揃えられた靴が何足か。どれもかなり高そうだ。
ふと、女子高生が好きそうなサンダルに相棒の目が止まる。一瞬、僕にも緊張感が走る。
まさか、こんなに早く相棒が気づいてしまうのか……?
(……これ、赤く塗ったら格好良さそうだな)
あ、大丈夫でした。
(えーっと確か入ってすぐ右……あれか)
相棒は靴を脱いで家に入ると、無駄にナンバ歩きをしながら目的の部屋の前に近づく。
「……武者震いってやつか」
ただの緊張を格好付けて表現してから、大きく深呼吸をする相棒。
仮面をつけて血まみれと見間違う衣装なので、警察から追われている犯人のようだ。
だが、やがて息が整った相棒は、ノックを三・五・一というよくわからないリズムでする。
「どうぞ」
直後、扉の奥から響いてくる優しい声。
相棒の心拍数がギュンと上がる。初のファンとの対面ということで相当緊張しているのだろう――おそらくファンではないが。
相棒は「失礼する」と言って扉を開く。
中は本当に簡素な応接室といった印象で机とソファが置かれているのみ。家具もほかにはデスクが一つあるだけで、その三つを除くとカーペットとカーテンがあるのみだった。
「お前が岩夏か?」
相棒がそう切り出すと、委員長父の眉がぴくりと動く。
委員長父は、四十代半ばから後半といった面立ちで、髪の中にもところどころ白髪が見え始めている。少し頬もたるんでいるようだ。
だが、それをさしい引いても運転手から見たときの真面目そうな印象は残っており、硬派な雰囲気をまとっていた。
(え、な、え……? いや、え……?)
しかし、相棒の格好と、その余りにも遠慮のない第一声に驚いたのか、内心ではかなり焦っているようだ。
「そうだが……君は?」
かなり気が動転している中、なんとかそれを顔に出さずに相棒へと質問を返す。
初対面で舐められないようにと努力しているのだろう。
「俺か? 俺は黒王だ」
「こ、コクオウ……さん?」
「ああ」
「……な、なるほど」
(え、コクオウ……ってなに? 国王? なわけないし……どんな漢字だ?)
流石に意味のわからない名前をいきなり言われたせいか、委員長父は思わずポカンとした表情を浮かべる。
すると、それに目ざとく反応した相棒。
(……え、何この反応。もしかして受け悪い?)
こちらはこちらで自分で考えた格好いい名前に対するレスポンスの悪さでかなり焦っている様子。
相棒としては折角の自分のファンに名乗れるということで、少し楽しみにしていたようで、なんと言えない表情になっている。
だが、さすがは県議会議員。委員長父はそれに気づくと、瞬時に自分の脳内を切り替えて、自分の前のソファへと相棒を促す。
「そうですか、コクオウさん。とりあえずおかけください。話はそれからで……」
「ああ、わかった……悪くないソファだな」
「え? え、ええ……ありがとうございます」
余計な一言を言わないと行動できないことはさておき、委員長父の態度に違和感を感じ続けている相棒。
どうも初対面での感じが思っていたのと違ったらしく、首をかしげているようだ。
(え、いや……「た、助けてくれてありがとうございました! あなた様がいなければ私は……」「ふっ……気にするな、闇が俺を呼んだだけのこと」「なんとっ! さすがは闇の王と呼ばれたお方……」みたいなのを想像してたんだけどな)
それは理想が高すぎる。
なんだよ闇の王って。呼ばれたことないだろお前。
「ま、まあとりあえずお茶でも……」
「ああ」
テーブルの上にあらかじめ用意されていたティーセットからお茶を入れる委員長父。
(え、いや……なにこいつ。は……え、こんなやつを結は好きなのか……?)
未だに混乱している委員長父。
だが、ここまで来れば理解できる。
なるほど、委員長父と相棒とで派手な食い違いがあるようだ。
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