闇に光る白髪3



「な、なんで――もう、意味わかんない!」


 私は背後から迫り来る『のっぺらぼうの真っ黒な人』としか形容のできない集団から逃げ惑いながら叫ぶ。

 一昨日の今日でまたしてもわけのわからない襲撃だ。

 私のこれまで十七年かけて築き上げてきた常識が、ガラガラと音を立てて崩れていく。


『……』


「来るな来るな来るな来るな来るな――――!!!」

 

 ただただ、叫ぶ。

 塾帰りにたまに寄り道をする本屋さんで参考書を選んでいる時に、突然停電したかと思ったら、次の瞬間にはもう目の前にこいつらがいたのだ。


 絶叫し、発狂しながら逃げた。


 得体の知れない何かに追い回される恐怖は、体験しないとわからないだろう。

 一昨日の狼の怪物に追われたことやその後のことはどこか夢のように勝手な自己完結を済ませていただけに、今私の後ろを追ってくる謎の生命体たちのインパクトが余計にまして見える。


 言葉も発さず、走っているのに音も立てずに、疲れた様子すらみせない。

 まさにUMAや宇宙人といった類の怪物だった。

 それが、執拗に私を追い回してくるのだ――怖い。ただただ怖かった。


「ちょ――!」

 

 後ろから津波のような勢いで迫ってくる紫色の怪物の一匹に、肩に持つバッグを掴まれる。

 引っ張られたせいで体が大きく仰け反るが、ギリギリでバッグを捨てて体勢を立て直す。

 長時間の塾の授業のせいで凝り固まっていた背中が、ゴキゴキと音を立てたのを感じながら、私は再び走り始めた。


「誰か、誰か助けてよ!」

 

 一昨日の出来事を繰り返すように大声で周りに助けを求める。

 

 T市はS市に比べると都会だ。

 大通りから外れたとはいえ、住宅は隙間なく立ち並んでいるし、まだ電気のついている家も多い。きっとこれだけ騒いでいたら誰かしらは反応するはず。

 そう期待して叫び続けるが、私の叫びは虚しく夜の街に木霊するのみで、誰ひとりとして反応を見せない。


「――なんっ……で……!」

 

 まるで時が止まったかのように静かな世界で、私と怪物たちが必死にチェイスを続けている。

 しかし、私の不幸はそれだけではなかった。


「これだから走るのは……」


 私の五十メートル走のタイムは八秒一。平均か、平均よりちょっと速いくらいのタイム。

 だが、今はそれを全く出せていない。

 理由は簡単。ただただ、横腹が痛いのだ。

 先ほど少しだけと調子に乗って食べたコンビニのあんまんが中途半端に腹を満たして、そのせいで先ほどから突き刺すような痛みが私の横腹をとめどなく襲ってきていた。


『……』


 右手で左の脇腹を抑えながら後ろをちらりと振り向く。

 相変わらず勢いをゆるめず津波のようにこちらへと襲いかかってくる紫色ののっぺらぼう怪物集団。心なしか少し前に確認した時よりも数を増しているように感じる。

 

 その集団の一体一体が私をめがけて、前にいる同類を上から押さえつけ、踏み越えながら向かってくる。ホラー映画も真っ青な恐怖映像だ。


「何これ、もう意味わかんない! 意味わかんない! なんで私ばっか……女の子がいいなら他にも可愛い子いっぱいいるでしょ!」


 必死にこいつらを撒く手段を考える。

 ただ、なぜだかこいつらは他の全てを無視するかのように私のみに狙いを定めて襲いかかってくるのだ。


 今もちらりと道の端を見ると、会社終わりのサラリーマンらしき男性が事切れたかのようにばたりと倒れている。

 そうなのだ。人がいないわけではない。

 しかし、全て今の男性のように死んだように倒れているのだ。だから、人にこの怪物の群れを擦り付けようにも擦り付けられない。


「やめてよ……なんで、私ばっかりこんな目に……」


 一昨日もほとんど同じ状況だ。

 追いかけられているのが狼かのっぺらぼうの怪物か。周りに人がいるかいないか。

 一緒だ。前も捕まったらヤバいという漠然とした恐怖から逃げていた。


 今回もそうだ。

 もう今となっては周りに倒れている人など石ころにしか見えなかった。ただただ私が助かる手段を、なんとかして後ろから迫ってくる怪物たちから身を隠す手段を考える。


 考えて、考える。

 頑張れ私、私なら絶対に思いつくはずだ。頑張れ岩夏結、偏差値六十四!

 そして、考えた末に思いつく。


「そうだ、きっと今回も黒ずくめのやつが仕切ってるはず……それと直接交渉すれば……」


 脳裏をよぎるのは、一昨日も現れた『仮面をつけ、黒ずくめに赤い模様が散りばめられた常軌を逸しているとしか考えられないような、いかつい衣装をした男』。

 あいつからは確か、困ったら連絡しろと言って黒い紙をもらっていたはずだ。

 なら、あいつと話し合えばとりあえず今は助かるはず――。

 

 走りながらポケットをまさぐる。

 

 しかし、当然あるはずがない。

 なぜならほかならぬ私が「は、何この紙。何も書いてないじゃん……趣味わる」と言いながら捨てたからだ。

 思わず自分を叱咤したくなるが、今はそれどころではない。

 頭を切り替えて再び思考の海へと潜る。


「話を! とりあえず話しましょ! 私ができることなら何でもするから! とりあえずこいつらを止めてよおおおおおお!」


 じわじわと迫ってくる怪物の津波。飲まれたら絶対に死ぬ。

 そんな直感を感じながら、私は走る。ただただ走る。

 だが、いつまでたっても黒ずくめの男たちは現れず、そのボスも現れない。ただただ、無音で迫ってくる壁が迫ってくるのみ。


 ――もう、無理だ。


 諦めの感情が不意に浮かんだ。

 普段から家で腹筋くらいしか運動をしていない私の限界はもう近い。どうせすぐに追いつかれて死ぬんだ。


 一度頭に浮かんだ感情は、収まることを知らずに、次々と私の体を侵食していく。

 どうせ、私なんてやっすいプライドの皮をかぶらないと人と接することさえできない臆病者。

 死んだって誰に迷惑をかけるでもないし、誰に悲しまれるでもないだろう……。


 ネガティブに取り憑かれた私の心を奮い立たせてくれるものはもうない。疲れきった足が悲鳴を上げて、絡まった。


「――っつぁ!」


 ズザザザー! と勢いよく地面に皮膚をえぐられながら私は倒れこむ。

 だが、不思議と痛みは感じなかった。

 おそらく顔から血も出ているのだろうが、汗と混じっていてわからない。

 

 もう、惨めだった。

 

 私は最後まで格好良くなれないのだ。人に頼られていることで悦に入って、勝手に自分が偉くなったと勘違いしていた――私の本質は何も変わっていないのだ。

 

 小さい頃から泣き虫で、弱虫だった私。

 それを必死に覆い隠しながら生きてきた、他人を蹴落とすことで自分の立ち位置を高め、カースト上位の友達と絡むことで安いレッテルを張って生きてきた。

 でも、最初から最後まで私は泣き虫で弱虫なのだ。


「……っぐ、なんで。もう、意味わかんないよ……」


 今も、私の意思とは関係なく涙が溢れてくる。血も汗も流れている中で、それだけはハッキリと形を持って私を窘めてくる。


「もう、いやだよ……」


 どこまでも惨めな私は、一人で無様に死ぬ。

 そう考えると、悲しみも悔しさも不思議と沸かない。ただただ納得しているのだ。

 極悪非道な殺人鬼が死刑でその人生を終えるように、泣き虫で、仮面をかぶって威張り散らした私は、泣きながら一人で死ぬ。


 ――道理だ。


「………………助けて」


 でも、なぜだか口から出たのはそんな言葉だった。

 ――そして、それに答える声が一つ。



「ああ、任せろ」



 次の瞬間だった、迫り来る怪物の津波の真ん中に穴が穿たれたかと思うと、中を回転しながら現れる男がいた。

 

 手に収められた漆黒の刀からは禍々しい漆黒の炎を吹き出しながら、余裕を感じさせる声で現れた男。それは、一昨日も現れた私を襲ってきた連中のボスだった。

 仮面の男は回転しながら穿った穴を飛び越えてきて私の前に着地すると、漆黒の刀を肩に担ぐ。

 漆黒の刀にはうっすらと仮面から伸びる黒い糸が見えた気がした。


「お前は運がいい」


 そういった仮面の男は振り返ってこちらを見ると、仮面の左目の部分を壊し、以前のように左目を再びさらけ出す。

 吸い込まれそうなほど漆黒の瞳で私の瞳を映し出すと、すっと目を閉じる。


「なぜなら、俺が助けてやるからだ」


 そう言って、仮面の男は再び私を背にして怪物の津波へと向き直る。

 その背中は決して逞しいとは言えないのに、なぜだか大きく見えた。

 

 おかしい……。

 

 私は自分の胸のうちに湧き上がる感情を、高鳴る鼓動の意味を考える。

 先程までは死ぬことを受け入れて、驚く程冷静でいられたはずなのに、どうして今はこんなにも胸が高鳴っているのか。


 生への希望が見えて心臓が生きることを思い出したのか、それとも……。

 

 考えることをやめるために頭を振って怪物の津波を見る。真ん中に大穴を穿たれたはずなのに、うにょうにょとそれを埋めるかのように動いていく。


「なかなか悪くない。楽しめそうな連中だ」


「――あ、あの!」


 仮面の男の背に、気づけば私は叫んでいた。


「あなたは、あの怪物たちのボス……なんですか……?」


 すると、仮面の男はかけた左目の部分から除く左目を大きく見開いて、やがて笑い出す。


「ははっ、ハハハハハハ! 俺があいつらの仲間かって?」


 そう言って、仮面の男は私に再び背を向ける。


「それは、お前が感じたように受け取れよ」


 そう言って、大きく一歩を踏み込んだかと思いきや、次の瞬間には私の前からいなくなる。


「え……?」


 そして、津波に三ヶ所の漆黒の炎の穴が穿たれていた。

 間髪入れずに四箇所目。五箇所目と空いていく。

 仮面の男の姿は全く目に見えず、ただただ意味のわからない大穴が次々と生成されていく。


 そして、穴が十を超えたかとという時に、津波はボロボロと崩れて、細切れの粘液状の生物へと回帰した。

 それに呼応するかのように漆黒の炎があたりへと飛散して、花火のように飛び散っていく。


「あ……」


 しかし、不思議と熱は感じない。

 近くを舞う火花一つを手にとっても恐怖すら感じなかった。

 

 私が幻想的な炎に意識を取られていると、津波を構成していた粘液状の物体がベチョ、ベチョと汚い音を立てながら、地面へと着地。

 再びうにょうにょと蠢いて手や足、そしてのっぺらぼうの顔が形成され始めていた。


「へぇ……まだ息があるのか」

 

 突然私の背後から響いた声に、反射的に首がそちらを向いた。

 そこには仮面の男が息一つ荒げることなく立っていた。

 

 ――な、何が起こったの?

 

 私の理解は当然追いついていない。仮面の男が一歩踏み出したかと思ったその次の瞬間から津波に蜂の巣のように穴があいていき、耐え切れなくなって崩れたかと思うと、仮面の男が私の後ろに立っていた。


 偏差値六十四の私には到底理解できいものだった。


「一体なにが……?」


 私がぽつりと呟くと、仮面の男はこちらへと視線を落として、再び黒い紙を差し出してきた。


「もう一枚やるから持っとけ。お前が闇を受け入れることができたなら、いずれまた会える」


「え、それってどういう――」


 質問を言い切る前に、男の姿は消えていた。


「え……?」


 バっと周りを見渡す。だが、仮面の男の姿は周りのどこにもなく――同時に先程までもぞもぞと動いていた怪物たちの姿もなくなっていた。


「は、ははは……」


 脳の許容範囲はとっくに超えていて、ただただ何とも言えない高揚感だけが私の体を支配していた。ばたりと道路に仰向けに倒れ込むと、月がいつもより大きく見えた。


 一度目は真夜中に狼、二度目は塾帰りにのっぺらぼうのジェル状の怪物たちに追い回された。

 どちらも終わってみれば現実感のかけらもなくて、ただただ狐につままれたかのような、言葉にし難い気持ちになる。


 でも、それでも夢ではないのだ。


「――っつ……」


 この頬の痛みが、この胸の高鳴りが現実だと痛いほど教えてくれる。

 

 ――どうしてだろう。

 

 さっきまでは、いや今まではこんな感情浮かんだことすらなかったのに。さっきから頭の中を支配する仮面の男の声。

 

「助けてやる」

 

 そう言ってもらったのは人生で初めてだった。今までは、全て私一人で解決しないと思っていた。それが自分の選んだ道だと――でも、あの男はそんな私を助けてくれた。

 今にして思えば、一昨日も私を助けてくれたのだろう。


「……あ。そういえば、貰った紙……」


 そう思って体を起こすと、ちょうど横に落ちていた。

 相変わらず両面真っ黒に印刷されただけとしか思えないが、きっとこれは意味のあるものなのだ――彼が私にくれたものだから。

 

 私は先程までの恐怖も、悲しみも忘れて、ただただその無骨な黒い紙を胸に抱く。


「――ありがとう」


 感謝の言葉を口にしながらも、胸の高鳴りは全く収まらなかった。




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