プロローグ2
いち早く、相棒の存在に気づいたのは狼の怪物だった。
さすがは野生の勘。未だに数十メートル離れており、直視はできないはず。
それでも耳が二度小刻みに動いたかと思うと、勢いよく立ち上がり、バッチリ未だに見えない僕と視線を絡めてきた。
まあ、僕の魔力反応を感じ取っただけなんだろうが。
怪物はそれぞれ魔力に反応する器官が人間よりもはるかに敏感だから、気づかれるのは仕方ない。
『ガウッ』
そして、こちらに向かってひと吠え。
『あ?なんだと?』
男達にはどうやらそれだけで伝わったらしい。すぐに狼の視線の先、未だ見えない僕らの方へと視線をやる。
『ガウッ! ガウッバウッ!』
視認できるまで残り十五メートル。
すると、狼は完全に僕を捉えたのかその存在を主たちに知らせるために大声で鳴き始めた。
男たちの間にも緊張感が走る。
少女を殴っていた男も、その手を止めて、未だ見えぬ僕たちの方へと視線を飛ばした。
――だが、それじゃあ遅すぎる。
『こっちだ。愚図ども』
そう言って、僕たちは狼が見ていた方向の真後ろ。
気を失った少女がもたれかかる家の屋上に舞い降りた。
あまりの速度に、完全に僕たちを見失った男たちは、辺りをキョロキョロと見渡し、やがて僕たちを発見すると、あんぐりと口を開けた。
「ほぅ……悪くない反応だ」
相棒が仮面の下で口を大きく割く。
それから一瞬遅れて男たちが驚きの声を上げた。
『てめぇ……誰だ! ……っ! 『ホワイト』!? どうやってここがわかった!』
思わず心の中で舌打ちが漏れる。
相棒はこいつらの言葉が理解できていないので、僕がいつも同時翻訳をしているのだが、それには相棒の耳に僕の一部を挿入しないといけない。折角仮面の形状を決めたのに、またしても変形しないといけないのだ。
面倒くさく思いながらも、仮面の固定具からイヤホンをひとつ作って相棒の耳に装着した。
『うるせぇな……なんで俺がお前の話なんぞ聞かなきゃいけねぇんだよ』
『何っ!?』
『――まあまてよ。おい、『ホワイト』! プラホミル語を話してるってことはあんたもこっち側の世界の人間なんだろ?なら、協力しよう。もしあれだったらこの女を先にあげてもいいぜ?』
先程まで少女を傷つけることを恐れていた男が、飄々とした装いで僕たちへと協力を持ちかけてくる。ちらりと相棒が少女へと視線をやると、痛みのせいからか気を失いそうな様子でぐったりと倒れ込んでいた。
顔はあちこちが切れ、腫れ上がっており、もとの少女の顔からはかなりかけ離れた無残なものへと変わっている。
非常に胸糞悪いものだった。
『はっ……ふざけるなよ? 協力? 反吐が出る』
『あぁ!?』
『お前らみたいな意地汚いやつらには、そんな綺麗な言葉よりも、漆黒の炎の方がお似合いだぜ』
そう言って、パチンと相棒は指を鳴らす――刹那。
相棒の指の先の空間が陽炎のように揺らめいたかと思いきや、こちらを見上げていた男たちと狼は、漆黒の炎に包まれた。
『ぐあああああぁ!』
男たちの悲鳴が闇と共鳴して、木霊する。しかし、辺り一面男たち自らが張った遮音結界のせいで誰にも知られることもない。
完璧なまでに冷酷で非常な殺し方だった。
二秒もしないうちに男たちは灰すらも闇に喰らい尽くされて絶命する。
(あの狼、ちょっと格好良かったからペットにしたかった……)
相変わらず相棒は格好よく決められないことを考えているらしく、マスクから除く左目も少し寂しそうなものになっていた。
口では気取ったセリフばかり吐いているのに、いつもこれだ。
とてもキャラがぶれている。
『今宵もまた、闇に焼かれて逝ったか……』
やかましいわ。
ツッコミしたくなるのをこらえながら、相棒のキメ顔を堪能する。ため息しかこぼれない。
「さて、ゼロ。じゃあ最後の仕事をするぞ」
もういつものことなのでわかっているが、ここまでしないと満足できない相棒の性格を、誰か改善して欲しい。
これから始まる最後の仕事というものが、僕が最も面倒に思う、相棒の自己満足タイムだ。
*
「ぉぃ」
声が、聞こえた。
――男の人の声。
――硬いようで、どこか優しい声。
「おい」
私はこの声をどこかで知っている。
どこで聞いたんだろう。わからない……ただ、なんとなく気になった答えは、胸の奥にひっかかって出てくることはない。
「おい、起きろって」
「……え?」
「ああ、起きたか。大丈夫か?」
掠れた視界のせいで、誰かがいるのはわかるが誰かかはわからない。目をこすって瞬きを繰り返していると、徐々に視界がクリアになっていき、やがて視界に映るそれが何なのかを理解した。
「――っっっ!?!?!?」
雪兎のような白髪に真っ黒な仮面、黒を基調とした、ところどころ赤で絵の具をぶちまけたかのように雑な模様が入った趣味の悪いシャツにズボン。割れた仮面から除く左目は、全てを飲み込むようなほどの純黒だった。
――さっきのやつらのボスだ……。
そういえば、私はさっきから狼の怪物に追われて、それでそいつらの飼い主みたいなやつに犯されそうに――そこまで脳裏に記憶がよぎったとき、私は思わず目の前の仮面の男を突き飛ばそうとしていた。
「きゃっ!」
しかし、男は何でもないかのようにそれを躱して、「元気そうだな」と呟くと立ち上がる。
「傷は大丈夫か?」
「き、傷……? あ、あれ? 痛くない――っていうか、傷が……」
消えていた。
さっきまであれだけボコボコに殴られていたはずの私の頬は、腫れてすらおらず、切れたはずの口の中からも血の味はしなかった。
「闇の住人の俺が傷を治すなんてあまりしたくないが……今回はサービスにしといてやる。闇がお前の切れた血管を埋め、漏れた血液も喰らい尽くしたはずだ」
な、何を言ってるの……?
私の記憶にある先ほどまでの自分と今の自分が大きくかけ離れている異常事態と、目の前の男の突拍子もない発言、あとついでに奇抜すぎる趣味の悪い服装、それとついでに男の全身から感じるオーラのような寒気に驚いていると、男は、なにか胸元から真っ黒なプレートを取り出して、こちらへと渡してきた。
「もし何かあったらそこに連絡しろ。気が向いたら助けてやる」
男はそう言って、ふわりと飛び上がって、近くの電柱の上へと着地する。
「!?!?!?!?」
その意味のわからない身のこなしと跳躍力に一気に脳が圧迫されたかのような錯覚を覚えてしまう。
瞬時に、夢という単語が頭をよぎった。
これが夢だとしたならば全て合点がいく。
殴られたはずの傷がないのも、さっきの男たちが忽然と姿を消したのも、仮面の男がありえない跳躍力を発揮したのも、全て夢なら違和感などない。
「――え」
でも、だとしたらおかしい。
今の私は寝巻きのままだし、汗を吸った寝巻きはびっしょりと湿っている。その気持ちの悪い感触は明らかに現実と同じだった。
いや、でもこんなリアルな夢って……。
私が軽いパニックに陥っていると、電柱の上に立った仮面の男が、思い出したかのようにこちらを見下ろして、口を開いた。
「あんたは闇に染まれるのか?」
「え?」
「いや、何でもない……」
そう儚げに呟いた喪服に赤い鮮血が飛び散ったような装いの彼は、後ろで怪しく光る満月と相まって、御伽噺に出てくるドラキュラを連想させるかのように不気味かつ妖艶なものだった。
なるほど、数秒前まで気味の悪いと思えた服装も、今は彼の放つ独特な雰囲気と絶妙にマッチしていると言えなくもない。
割れた仮面から除く瞳はどこまでも冷たいものだったが、その声は少し柔らかさを含んでいて、どうにも憎めない。
そして、仮面の男はそれだけ言い残してから、指を鳴らし――消えた。
音ひとつ立てず、それこそ本当に御伽話のように一部の残滓すら残さずに忽然と姿を消したのだ。
もう、わけがわからなかった。
とめどなく溢れる疑問は脳を次々と圧迫していき、やがて――整理することを諦めた。
「あ……漏れちゃった……」
清明高校二年三組委員長、岩夏結、高二にして野外で始めて尿を漏らした瞬間だった。
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