第8話

 この世で起こることはすべて必然である、という考え方がある。ビデオテープのように、冒頭からスタートし一定の速度で進んでいき、終わった瞬間に自動で巻き戻る。それからデッキから吐き出されて、僕たちの認識の奥にいる何者かに押し込まれて、また冒頭からスタートする——の繰り返し。

 

 つまり、我々が偶発的に起こったと感じている日常のすべての事象はあらかじめ決められていたことで、なおかつ、経験するのも一度目ではない——という妄想だ。

 しかし結局のところどんな必然も、必然として理解できない以上偶然であり、何度目の経験だろうと、蓄積されない経験値には価値もない。と、言うのが僕の持論だった。


 ところが蓄積される経験値も人生の中には当然のように存在し、偶然と言うよりは必然と言ったほうがしっくりくる事柄も、あるにはある。


「告白された」


 石ころを蹴飛ばして路地裏を歩いていると、A子はつまらなそうに言った。

 A子は対物性愛の価値観を持つ人間だったけれど、世の中の大半の人間はそうではない。そうではない——と明言すると彼女を否定しているようにも聞こえるが、その意味合いは含んでいない。

 また、A子は一般的に「すごくかわいい」わけではなかったけれど、僕や神田さんのように、その価値を見出せる人間は一定数いる。


 だから僕はこの、告白されたというA子からの告白に対して「まさかあ」と思うこともないし、「マジで!?」と驚くこともないし、「おお同士よ」と泣き崩れることもない。


「そうか」

「うん」


 ましてや、告白をしてきた相手と言うのに、残念と言うべきか、心当たりもあった。

 

 中学生のころ、A子はバドミントン部に所属していた。幼少期はテニスをやっていたこともあるらしかったが、テニス部ではなくバドミントン部を選んだのは、「あの形状がかわいい」という、シャトルに対する彼女の価値観である。

 中学のバドミントン部は男女混合で、すなわちA子には男女問わず先輩も後輩もいた。そのころはほとんど他人と言っていい間柄だったから、僕はこの時期の彼女の交友関係に明るくないが、一人だけ、名前も顔も知っている男がいる。


 僕たちの一つ年下の後輩で、新見くん、という男だ。

 制汗スプレーのCM俳優よろしく、さわやかに汗を掻いて冗談みたいにそれを拭く奴だった。


 新見くんは良くも悪くもよく目立つ人間だった。身長が中学生時分で180センチを超えていたのが主な要因だが、バドミントンの成績もよく、僕たちが卒業する前には生徒会長にも選任されていた。

 そういう、言ってしまえば僕とは全くの真逆を行く人間が、同じようにA子に恋をしているのは不思議なことだったが、彼の場合、素直すぎるがゆえに毎度嫌な顔をされて振られている。


 以前A子に対して「人間との恋愛には興味ないの?」と聞いてみたことがあった。自分がその地位に成り上がれる期待や自信をもって聞いたわけではなく、純粋な興味だった。

 A子は「それなりの人が現れれば」とだけ言った。現状僕も新見くんも神田さんも、「それなり」に該当しないらしい。いや、新見くん以外はその立候補もしていないのだから、少し話が変わってくるが。


「LINEなんか教えるんじゃなかった」


 毎日律義に連絡を寄越してきて、かといってがっつきすぎない新見くんの文面は、ともするとすべての文字が「好きです」に見えそうだった。これは僕が、新見くんの恋心を知っているから感じることだろうが、もしかしたら前回の再生分のデータが少し残っているのかもしれない。

 彼は少なからずここ一~二年、A子に対する求愛を続けている。学年も違い接点もないから、「新見、彼女できたってよ」と言った話を聞くわけもないのだが、A子からの情報を聞く限りそうらしい。


「うっとうしい」


 一方のA子は、恋愛に忙しい。今は少し肌寒い時期になって、文字通り手袋に「一目ぼれ」した彼女は、それでもそれなりに律義に、恋人と手を離して新見くんへの返事を書いてやっているようだった。


「どうすんの?」

「どうもしない」


 実際、告白されれば都度断っているわけだから、これ以上A子に何かをする余地はない。「近づかないで」「連絡しないで」と言うほどに新見くんを嫌いなわけでもなく、別になくなったらなくなったで寂しくもない連絡も、あって困るものでもない。

 そういうスタンスだから、若干の不安材料になりはしているものの、この一~二年がそうであったように、新見くんに彼女の隣を奪われる心配はしていない。


「付き合っちゃえば?」


 後ろからかかった声に驚いて振り向くと、両手をポケットに突っ込んで、ぶっきらぼうに倉持が立っていた。どうも二人は、ボール磨きの一件からよく話をするようになっていた。


「きも。盗み聞くなよ」

「俺は歩いてただけ。聞こえただけ」

「言い訳がまたきもい」

「うるさ」


「A子は倉持とは違う恋愛観を持ってるんだから、そんなこと軽々しく言うなよ」

 なるべく平静を装ってつっけんどんに言い放つと、倉持は少し意外そうな顔をして僕を見た。

 彼に対して、A子のことが好きである、と明言したことはないし、匂わせたこともない。もしそれでも彼が気付いているというのなら、この何度目かの再生に今までの残滓があって、すなわち、僕とA子のそう言った未来が確約されるという意味になるわけだが、そういう様子も全くなかった。


「確かに。ごめ」

「謝らなくていいよ気持ち悪い」

「そんなにいちいち気持ち悪くなるのも大変そうだな」

「女子は大変なんだよバーカ」


「倉持はこういう時どうしてんの?」

 僕よりよっぽど恋愛経験を持っているわけだから、こういうことは先駆者に問うのが早道だ。

 倉持は少しも悩まないまま、

「とりあえず付き合ってる」

 とだけ言った。


「付き合ってどうすんの?」

「付き合ってどうするってそりゃ、デートしたりするでしょ」

「普通に?」

「普通に」

「ほえー」

「なんだよ」

 ぐりぐりと脇腹に拳を当てられる。


「なんでもそうじゃない? 付き合い方が変わらないとわからないことなんてよくあるでしょ。それまでは微妙に思えてたところがよく見えたりもするし、逆もある。関係が変われば考えも変わるもんだよ」


「それで続いた子は?」


 もっともらしく言う倉持に問うと、

「いない」

 と言って彼は笑った。


 改札で別れてから、僕とA子は特に話をするでもなく電車を待っていた。上り方面のホームで倉持はすでに誰か友人を見つけたらしく破顔している。そういえば部活はどうしたんだろう。と考えてみたが、すぐに興味はアイスの自販機に移行する。どうして上り方面だけあるんだ、ずるい。今は寒いからいらないけれど。

 電車が滑り込んできて、示し合わせるでもなく立ち上がってそれに乗り込む。電車は来たら乗るもんだ。流れに乗っているほうが便利なのだから。


「うーわ」


 スマフォを見て落胆のため息を吐いたA子のほうを向くと、何も言わずにその画面を見せてくる。

 新見くんから、「来年からも先輩と同じ学校通います!」と元気満点のメッセージが来ていた。

 そういえば去年の今頃は、僕も親を含めて三者面談を行っていた。新見くんは内申も問題ないだろうし、来年の頭には推薦入試のために一度こちらにやってくるだろう。

 僕はどうしてこの学校を選んだのだったっけ、と少しぼんやりとした頭で考える。どちらかと言えばスポーツ校だったけれど、こうして帰宅部である。かといって、成績の面で言えばもっとしっくりくる学校はほかにもあった。ブレザーがよかったと言っても、最近は学ランのほうが珍しい。家から近いわけでもなく、誰か先輩を追いかけてきたわけでもない。


 あるいはこれは必然か。


 隣を見ると、A子は不機嫌をあらわに腕を組んで目をつむっていた。その両手には手袋がしっかりとはまっていて、どうやら脇に差し込んでいるらしかった。

 変わった愛情表現をする人だ——と思ってから、僕もよっぽどかもしれない、と一人、自嘲する。


 まあ、悪いとは思わないけれど。

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