第4話

 姉の話をしよう。


 姉弟と言うのは半強制的な長年の関係を持つ相手を指す。すなわち、好きだろうが嫌いだろうが「家族」と言った枠の中にいるんだからいざと言うときは頼りあいなさい——というやつだ。

 血のつながりなんてものを普段から意識して生きている人間はいないだろう。自分とほぼ同一の遺伝子内容の人間が近くにいるというのは改めて考えるとすこぶる気持ちが悪い。世の双子は、どういう折り合いのつけ方をしているのだろう。


「優佳ちゃん優佳ちゃん」


 次女の萌奈美もなみには、僕が女の子に見えるらしい。小学生時分、好んで自分のおさがりを僕に着させていた張本人である。高校生になりそれなりには身長も伸び筋肉もついてきたと自負しているが、萌奈美にはその点は関係ないらしかった。

 萌奈美にとっては、自分が長女の穂乃花ほのかにされてきたことを「してあげたい」と思うことがアイデンティティの始まりであり、それには僕が「男である」という認識は不要で、もっと言えば邪魔だった。

 

 そんなわけもあって、萌奈美はたびたび僕にスカートやワンピースを着させようとしてくる。もちろんこんな性格のせいもあって学校へは行っておらず、それによりさらに性癖は湾曲していき、僕ばかりが被害者になるわけである。「こんな性格」だからこそ学校へ行くべきだとは思うが、そのあたりは世間と僕の認識にずれがあるらしく、難しいらしかった。


 父や母はそのこと——学校へ行かないことに関して寛容だし、こうである以上意識せずとも萌奈美を特別意識してしまうところがあるようで、最悪の場合、僕は両親から「女装をしてくれ」と頼まれることさえあった。

 

 もちろん他人にこんな話をできるわけもなく、また、萌奈美に騒がれても面倒になるのはわかるから、僕はそれを受け入れる。萌奈美は「他者」でもないし「友人」でもなく「家族」だから、すべてを許容する以外に選択肢はない——と思い込ませるのが「血のつながり」なのだろう。

 

 一方で穂乃花はこのあたりに関しては「無関心」だった。すでに仕事に就き一人暮らしを始めているせいもあるだろう。彼女はすでにこの家族とは他人のふりをしている。

 萌奈美のことも穂乃花のことも等しく姉と思っているものの、その立ち居振る舞いに差がありすぎて、同列に並べて比較することはできない。そもそも好きだ嫌いだと順位をつける必要がないのが「家族」なのかもしれないが、この辺りは世間の風潮的に考えざるを得ず、僕もしばしば頭をかすめる論争を、なるべく見ないふりをしつつも、どうしても無視はできないでいる。


 今日も萌奈美はネット通販で買った「優佳に似合うだろう服」を眼前にパタパタと広げる。


「優佳ちゃん、お姉ちゃんが買ってあげたよ」


 化粧も覚えず、ということは身なりにも気を払わないまま、すっかり二十歳になった萌奈美は、不健康のせいで腕がトイレットペーパーの芯くらいの細さしかなかった。あるいは中身もそうかもしれない。


 女の子に間違えられるほど女の子らしい遺伝子はあるわけだから、萌奈美もそれなりにすればそれなりにはなるはずだ——と思いはするが、別に改善を強制するつもりはない。

 年齢の通り女子大生然とした格好へ大変身! そしたらなんだか周りのみんながじっと見てきて——私ってもしかして変? え! 違うの!? モテてるの!? ——なんていかにも漫画的過ぎて、現実味がないし、実際、ない。

 そんなことをして無理やり変わらせたところでそれは萌奈美の幸せに直結するかわからないし、彼女が現状通り、僕に女の子の格好させることで一時的にも幸せを得られるならば、僕はそれに逆らう理由もなく、別に両親に頼まれなくても継続するだろうなあとなんとなく思っている。


 家族はあるいは呪いの枠組みであって、——反発しあう遺伝子ならばともかく、流れに任せるこの僕の持つ遺伝子と同じ一族なのだから、現状は然るべきものである。


 あまり肉付きのよくない両足は、ストッキングを履くと遠目に、女性の足に見える。

 背中のファスナーを上げられると、いくら家族とは言え、へんな感じがする。

 ウィッグを被って鏡に向かうと、——なるほど、今でも女の子に見える。


 自分で自分の姿を「女の子」だと思い込んでいると、不思議な感じがする。僕は当然僕のことを男性だと思っているし、男性だからこそA子に恋をしている——という言い方は語弊があるが、男性的視点で、すなわち性欲を伴ってA子を好きでいるわけだけれど、鏡に映る「女の子」も同時に、僕なのである。

 男女の双子だと、こういう感覚なのかもしれない。


 こうして僕は人格が乖離していき、男性としての僕と女性としての僕が——などという展開にはならないが、少なからず客観的視点はこうした経緯から持っているのかもしれないと思わなくもない。すなわちこれも、ゲシュタルト崩壊の一種である。


 ピンクのワンピースは、確かにかわいかった。

 できれば自分ではなくて、A子が着ているのを見たかった——悔しがるのもおかしな話か。


 ある程度着せ替え人形を楽しむと、萌奈美は満足して眠った。全く、子どもである。

 

 僕はスウェットに着替えて自室に戻った。

 宿題を早めに済ませてしまおうと教科書を広げると間もなく、スマフォが鳴動する。穂乃花だった。


「どうしたの」

「久しぶりの姉に対してそんな感じなの、お前」

「いつ話してもこんな感じでしょ」

「優佳はそうか」


 懐かしそうに笑ってくれれば多少は和みもするだろうに、穂乃花は特に思うところもなさそうに言ってから、


「私結婚することにしたわ」


 と続けた。


「ほえー。おめでと」

「そんだけ?」

「え、そんだけ」

「つまんないやつ」

「あ、つまんないはやめて。ちょっとトラウマ」

「つまんな」


 それから穂乃花は夫となる彼氏のことを少し語った。会社の同期で、去年から交際していたらしい。全然家に帰ってこないから、全然知らなかった。結婚の決め手は「できたから」らしかったが、特に驚きもなかった。「ほえー」である。なんなら、「何が?」と聞いてみてもよかったかもしれない。


「本当にお前は何というか、昔から、そうだな」

「えー、お互いさまじゃない?」

「まあそうか」


 幼馴染と言うには幼すぎて、腐れ縁と言うには腐りすぎている「家族」という関係は、なかなか距離感が難しい。この場合の難しいは、「却って」という枕詞が付く。近すぎて、なじみすぎていて、難しいのだ。


「まあ、優佳には伝えときたかったから。そんだけ」

「そう」

「挨拶は行かないからさ。式もしないし」


 なんで? とはわざわざ問わなかったし、別に、うれしく思うこともなかった。

 本来、家族ならそれくらいのことは伝えるのが「当たり前」だ。

 それに、なぜ僕にだけ伝えたかなど、言われなくても理解できてしまうのだ。

 でも、僕じゃなくて萌奈美に連絡してくれていれば、なにか変わったかもな——なんて。


「初義兄にいちゃんだったのになあ」

「お前がおじさんになったらまた連絡するよ」

「ほい」

「ま、お前もうまく生きろよ。姉ちゃんからはそれだけ」

「うい」


 


 ——姉の話をしよう。


「え、いい。別に。興味ないし。それより最近豆腐がやばいの。見るたびドキドキするの。なんであんなに安定しそうな立方体してるのにやわらかいの? 崩れそうっていうかほとんどパックから出した段階で崩れちゃうじゃん。もろすぎる。守ってあげたい」


 ——また今度。

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