第7話 そして物語の幕開く

 船旅はアルフレッドにとって初めての経験だった。

 正確に言うと、学園入学に際して一度は乗っているはず。だが、その時は意識はなかった。

 だから感覚の問題。


 船は順調にワークハロワ神殿に向けて進んでいる。明日の朝には、予定通り港に辿り着く。


 甲板に出て、ワクワクしながら揺れる波間を見つめるアルフレッド。そこへ、一人の男が近づいていく。


「アルフレッドさん、すまんが、またいいかい?」


「ああ。構わないさ。グリンオルクリア」


 話しかけてきたのは乗客、戦士職に就く若い旅人。この度、最高練度に達したため、『ジョブチェンジ』のために、神殿を目指しているそうだ。


 かざした手から、緑色の光がスーッと広がっていく。それはたちまちに、男の身体を包み込んだ。


「うん、気分スッキリ! いやぁ、次は僧侶なんてのもいいなぁ。治癒魔法がこんなに便利とは……適性、そんなにないんだけど」


「へえ、適正ねぇ」


 船酔いから解放された戦士職は陽気に語る。


 アルフレッドの治癒魔法の腕前は、すでに船中に広まっていた。フーリエが知り合いの船乗りに話したのだ。

 その人気っぷりや、船医から仕事を奪うな、と泣きながら苦情が来るほど。


 まあ治療と言えど、専ら状態異常治癒魔法で解決できるものだけ。この男の船酔いや、食べ過ぎによる腹痛。

 そもそもにおいて、船旅に危険はあまりない。海の魔物は、聖水を撒くことにより退けている。

 もっとも、天気や波が荒れるのだけは防ぎようはないが。


「そうだ、今夜の宴会どうします、アルフレッドさん?」


「宴会? 初耳だな」


「おやご存じないですか。なんでも、踊り子の一団が乗客にいたらしくて、ショーを船員が頼みに頼み込んだとか」


「それって職権濫用じゃ……」


「まあまあいいじゃないですか。アルフレッドさんもぜひ!」


 年頃の男のであるアルフレッド君も、そう言いながら興味がないわけではなかった。


 とにもかくにも。彼は早くワークハロワに到着するのを心待ちにしていた。どのジョブに着こうか。新しい生き方をが見つけられることを祈って。



          *



 一方その頃のマーフィールド勇者アカデミー。


「ではよろしく頼むぞ。何としてでも、アルフレッド・ベルファルムを連れて帰ってまいれ!」


「はっ!」


 現在フリーの冒険者として暮らす卒業生を中心に、アルフレッド捜索隊が結成された。理事会の命によって。

 事態を重く見た、理事会はアルフレッドの復学を認めた。真勇者の座に至れそうな若者を、みすみす逃すことは彼らにはできなかった。


 一般生徒には、先の巨龍を討ったのは学長と知らされている。その前に学園を追い出されたことになっているアルフレッドに対して、嘲笑し嘲る声に満ちていた。


 真相を知るのは、理事の他は一部の職員。そしてもう一人。


「学長、わたくしに一体どんなご用事でしょうか」


 レティシアが、学長室にやってきた。

 捜索隊が学園を出て、数十分後の出来事である。


「レティシア・グローベルグ。キミに、重要なミッションを頼みたい。これは、キミにしかできないことだ」


 付け加えられたセリフが、レティシアの自尊心をくすぐった。つい頬を緩めそうになるところを、一層気を引き締める。


 だが、外から見れば、どうみても嬉しさを隠しきれていなかった。


「どういうお話ですか?」


「アルフレッドを見つけ出してもらいたい」


「……どういうことです? 彼はもうこの学校を去った人間。わたくしにはもう関係のない人です」


 あえて強めの言葉を吐く。名前を耳にして浮かんでしまった幻影を打ち消すように。少しでも浮ついてしまった自分を戒めるように。


「それはそうなんだが。あの事件の真相を知るキミにしか頼めない」


「意図がわかりません」


「説明は難しい」


 議論は平行線を辿る。

 互いに睨みあったまま。ゆっくりと、部屋の中に静寂が広がり始めた。


 この場において、悪いのはどう考えても学長オリバー。目の前にいるのは一端の生徒。自らの私用で小間使いさせるなど許されない。彼女はあくまでも、学園に学びにきているのだから。


 ただ、これが以前なら、あるいはレティシアも承諾したかもしれない。この気品溢れる名家のお嬢様は、その実力を認めた者にだけ靡く。

 あの一見以来、妙にしおらしくてもうその性質は変わらない。


 やがて耐えかねたオリバーが口を開く。


「大雑把な言い方をすると、この学園のため、だ。それでは駄目だろうか」


 ピクリと、レティシアの眉毛が動く。勇者を目指す性格上、そういった大義名分には弱い。


「無論、成否にかかわらず、報酬として全科目についてS認定を与えよう」


 これは逆効果だった。そういった不正はもっとも彼女の嫌うところ。なにせ彼女は、貴族なのだから。


「このグローベルグの一人娘が、そんな甘言に惑わされるとでも? ずいぶんと安く見られたものね」


「今のは失言だった。取り下げよう」


「あんなものを見せつけられては、今のは空虚すぎる発言ではなくて」


 アルフレッドの勇姿は、本当に衝撃。あれだけの存在が同期に潜んでいたなんて、首席なんて砂上の楼閣。

 それを強く、レティシアは認識してしまった。


「なぜあの人を探し出すことが学園を救うことになるのか。それは教えてもらえませんのね?」


「ああ。ただこれは嘘でもまして誇張でもない」


 学長の真剣な表情に、レティシアは考え込んだ。

 話は一向に見えてこない。不信感は依然残ったまま。ただ、困窮は感じ取れる。


 それに、アルフレッドにはもう一度会いたいと思っていた。


「……わかりました。必ずや成し遂げますわ、グローベルグの名にかけて」


「よろしく頼む。すまない、無理を言ってしまって」


 深々と腰を折って、レティシアはくるりと身を翻す。どこまでも洗練された所作。

 颯爽と自室に向かう彼女の心には、どんどん不安が募っていく。


 学園に何が起きているのか。探し人は果たしてどこにいるのか。


 レティシア・グローベルグは、ただ真っ直ぐに前だけを見据え続けるのだった。

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