13:それぞれの想い【2】


 夜の帳が下り、人々の大半が寝静まった後。

 唯一灯りの点ったリフェリス神殿の書斎に、彼女は訪れていた。


「失礼します。……カウラ神殿長様」

「おや、ローリエ。こんな時間に珍しいわねぇ。さ、お掛けなさいな」


 カウラは読んでいた書物を脇に片付けると、ローリエを部屋へと迎え入れる。


「あの子はどうしたの?」

「アリスちゃんなら、ボクの家で休んでます」


 昼間、ローリエはアリスと連れ立って神殿へとやって来ていた。そこで、カウラと神殿寮の子供たちにアリスを引き合わせていたのだった。


「そう。あの子が遊んでくれて、寮の子たちも喜んでいたでしょう?」

「はい、とっても。ボクが嫉妬しちゃうくらいには」

「ふふ、それは結構。そうね……とりあえず、ハーブティーでも淹れましょうか」

「……いただきます」


 ほどなくして、テーブルの上に湯気を立てるカップが二つ置かれる。

 口をつけてみると、ほのかに甘い香りが喉から鼻に抜けていった。


 向き合って座る二人の間に、穏やかな沈黙がしばし流れ。


 先に切り出したのは、カウラの方だった。


「さて……こんな夜更けにわざわざ訪ねて来てくれたんだもの。きっと何かお話があるのよね?」


 育ての親たるカウラの問いかけに、ローリエは小さく頷き、


「ボク、明日から旅に出ようと思いまして」


 カウラの目を真っすぐ見つめ、はっきりとした声でそう告げた。

 対するカウラは、ゆっくりとハーブティーを一口飲んでから、短く尋ねる。


「それは、あの子のために?」

「……はい、アリスちゃんは色々と目が離せない子ですから。ボクがついていてあげないと」

「ローリエは優しい子だものねぇ。……けど」


 くるくると指で前髪を弄りながら答えるローリエに、カウラはどこか面白がるような視線を向け、


「きっと、それだけじゃないのよね?」

「えっ、あ、えっと」


 予想外の切り返しに、返答に詰まってしまう。

 急に挙動不審になるローリエを見て、カウラはくっくと笑った。


「やっぱりね。伊達にあなたの面倒を十五年間も見ていたわけじゃないのよ」

「……あーあ、には敵わないなぁ」


 観念した風に苦笑して、ローリエは諸手を挙げた。


「さ、話してごらんなさい。とは言っても、大体見当はついてるんだけれど。大方、昨日の方たちの影響でしょう?」

「あはは……そこまでお見通しなんですね」


 全くもってカウラの言う通りだった。

 勿論、旅に出る一番の目的はアリスの使命に協力するためだ。

 ……けれど、確かにそれだけでもなくて。


 端的に言えば、ローリエは冒険者になりたかったのだ。

 それは幼少より漠然とした想いとして彼女の内に存在していたのだが、直接のきっかけは、昨日の洞窟での一件だった。

 成り行きとはいえ仲間たちとともに困難を乗り越えた経験は、十五歳の少女に鮮烈な印象を残していたのだ。

 もとより好奇心旺盛な性質たちのローリエにとって、それは冒険への想いを掻き立てるのに十分な熱量を持っていたのである。


 ……ただ、ローリエには素直にそう言い出しにくい事情があって。


「ごめんなさい、神殿長様。……ボク、本当は神官様にならなくちゃいけなかったのに、冒険者になりたいだなんて」


 ローリエは、神殿寮で育った孤児である。

 神殿寮の孤児は神殿に衣食住を保証され、神殿式の教育を無償で受けられる代わりに、将来は神官見習い等として各地の神殿で奉仕することが当然の責務であるとされていた。

 だが、立派に巣立っていった寮の兄姉たちと違って、ローリエはそうはならなかった――


 結局、十五歳を迎えて神殿寮を出ることになった日。彼女はメーヴェ村の狩人見習いとして、神殿の近くに残る道を選んだ。

 それはこの村で何かを成したいとか、そういったポジティブな気持ちからでは決してない。


 神官になれなかったのだから、せめて何か他のことで神殿長の役に立たなければならない。

 だから、自分はメーヴェ村を離れるわけにはいかない。


 育ての親の期待に背いてしまったという後ろめたさ故の、漠然とした中途半端な選択だった。


 そんな自分が今更ながら冒険者になりたいだなんて、なんだか酷い我儘を言っているようで、ローリエはとても自分からは言い出せなかったのだ。


「顔を上げなさいな、ローリエ」


 俯いてしまったローリエに、カウラは慈しむように声をかける。


「やっと、自分の気持ちに向き合えたのね」

「え……?」

「ずっと心配していたのよ。寮を出てから、どこか元気が空回りしてるみたいだったからねぇ。……だから、あなたが自分でやりたいことを見つけて、こうして伝えに来てくれて、本当に嬉しいわ」


 ローリエがひた隠しにしてきた想いを、カウラはとっくに見抜いていたのだった。

 その上で、こうしてローリエが自分で決断する時まで、待っていてくれたのだ。


「慣習など気にせず、あなたはあなたの進みたい道をお行きなさい、ローリエ。あなたが幸せになることが、私にとって何より嬉しいことなのだから」

「……っ!」


 感極まったローリエが、カウラに抱き着く。

 カウラは目を細めて、そんな彼女の頭をそっと撫でた。その昔、泣きじゃくる彼女にしていたのと同じように。


 今この時だけ、少女は幼子に戻っていた。

 窓の端から射す、やわらかな光。

 あの日と同じ月だけが、その母娘おやこのことを見守っていた。





≪ALISシステム:自己診断プログラムを実行≫


≪診断結果:データベース……異常無し≫

≪診断結果:メモリデータ……異常無し≫

≪診断結果:人工意識……異常無し≫

≪診断結果:感覚機関……異常無し≫

≪診断結果――――≫


≪自己診断プログラム完了:全項目異常無し≫


 本日幾度目かの自己診断を終え、アリスはゆっくりと目を開けた。

 瞳に映るのは、今朝も見たローリエの家の天井。顔を横に向けてみれば、ぐっすりと夢の世界なローリエが、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。


 一つのベッドに仲良く並んだアリスとローリエ。


 探査機であるアリスには人間のような睡眠は不要なのだが、夜が明けるまで椅子にでも座っていると伝えたら、問答無用で隣に寝かされたのだった。


「んん……アリスちゃん……そっち、あぶない、から……」


 隣で聞こえる寝言に、アリスの動力炉の辺りが再び温かくなる。

 長期休眠から目覚めて、一日と半分ほど。

 既知の世界とは何もかもが違ってしまったこの時代にありながら、アリスの任務はまずまずの滑り出しと言えた。

 場合によっては孤独にこの世界の探索をしなければならなかったことを考えると、ローリエたちと出会えたのは、本当に幸運なことだったのだ。


「……ありがとう。私を見つけてくれて」


 眠る彼女に向け、アリスは自身の想いをそっと呟く。


 長期休眠から目覚めたとき、アリスは言いようのない漠然とした不安感に包まれていた。


 起動シークエンスは滞りなく実行された。

 機体異常は皆無であったし、周辺環境にも問題は無かった。

 総じて完璧とも言える状態での再起動。


 ……けれど、何か。何か決定的なものが足りないような、どうしようもなく抽象的な感覚が、アリスを掴んで離さなかったのだ。


 そんなアリスに手を差し伸べてくれたのが、彼女たちだった。

 ローリエが真っ先にアリスに話しかけてくれたおかげで、アリスの感じていた不安は和らぎ、落ち着いて状況を把握することが出来た。

 その後だってそうだ。ミミィが一喝してくれたおかげで、アリスが原因で起こった諍いは血を見ずに収まったのだし、コロナが咄嗟に押し倒してくれなければ、アリスは今頃物言わぬ鉄屑と化していただろう。


 彼女たちの存在があったからこそ、アリスは今、ここにいるのだ。


 窓の隙間から吹き込んだ夜風がカーテンを揺らし、天頂から沈みつつある月が見えた。

 アリスはその全存在をかけて、災厄の発生を止めなければならない。

 彼女たちが生きるこの世界を、変わらぬ人々の営みを、滅ぼさせるわけにはいかない。

 ……そのためには。


「月に、行かないと。それが私の使命だから」



 少女が決意を新たにし、その日の夜は更けていった。

 



 生まれも育ちもバラバラな、各々に事情を抱えた四人の少女たち。

 彼女たちは一つの目標を共有しつつも、一方でそれぞれの想いを胸に秘め、夜明けの時を待っていた。


 月が山の端に体を沈め、太陽が地平に顔を覗かせて。


 旅立ちの朝が、やって来た。



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