12:それぞれの想い【1】


 何故、月を目指すのか。


 コロナに理由を問われた時、アリスはどう答えるべきか、しばし逡巡した。

 果たして『審判』のことを、彼女たちに伝えるか否か。

 元の時代において『審判』についての情報は、一部の人間しか知らない機密事項として扱われていた。下手にその内容が市井に広まろうものなら、未曽有の大混乱がもたらされることが確実視されていたからだ。

 そしれそれは、永き時を経たこの時代においても、きっと変わらない。

 事と次第によっては混乱が起きるだけに止まらず、悪質な流言を広める存在と断ぜられ、アリス自身が厳しい立場に置かれる可能性すらあった。

 よってアリスの取るべき選択としては、適当な理由をつけて誤魔化すことが最善であるはずだった。

 だが――


「――世界を救うため、です」


 気付けば、アリスはそう口にしていた。

 驚いた顔をするローリエたちに対して、自身もまた心の内で驚きながら、アリスは努めて平静に自らの知っている限りの顛末を語る。


 『審判』による世界の滅亡と、自らが誕生した経緯。

 かつて果たせなかった使命と、その時を超えた再試行。

 そして――この時代における、災厄の可能性。


 全てを語り終えた後、アリスは彼女たちの反応を待った。

 災厄の存在を知り、恐怖し、絶望するだろうか。はたまた、根拠もない不穏な虚言を弄する者として、アリスのことを忌避するだろうか。

 そうした拒絶反応が起こることを予測し、覚悟していたアリスだったが、


「アリスちゃんの使命……にも手伝わせてくれないかな?」


 彼女にかけられた言葉は、恐怖に怯えた叫びでも、忌避による罵声でもなく。

 全てを受け止めた上での、協力の申し出だった。


「え……?」


 思わず、声が漏れる。

 ローリエのみならず、先程まで動揺していたはずのコロナとミミィまで、アリスのことを真摯な眼差しで見つめていた。

 まるで、初めからその方向で話が纏まっていたかのように。


「みなさん、どうして……?」


 アリスの呟きに、ローリエが少し照れくさそうに答える。


「えっと……実は昨日、アリスちゃんをうちまで運んでくる時にね。みんなで話してたんだ、アリスちゃんのこと」

「私のこと、ですか?」

「ええ。簡単に言えば、アンタの扱いをどうするかって相談ね」

「その時は深い事情までは知りませんでしたけど、アリスさん、何か『訳あり』みたいでしたから」


 聞けば、三人は昨日からアリスの今後を心配していたらしかった。


 強い力を持ってはいるが、亜人についての知識が皆無で、ちょっと魔法を見ただけで気絶してしまったアリス。

 見た目十歳・実年齢三歳で、大人びた雰囲気ながら子供らしさも見え隠れする、この世界の常識に疎いアリス。


 そんな、一人にしておくと色々と危うそうな彼女を、果たしてこのまま放っておいていいのだろうかと。


「それでね、アリスちゃんのこと、ボクたちが何か手助け出来ることはないかなって」

「まぁ、乗りかかった舟だし、アンタには脱出の案内をしてくれた恩もあることだしね」

「なので、明日になったら詳しい事情をアリスさんから聞いてみよう、という話になったのですよ」


「ローリエ、コロナ、ミミィ……!」


 アリスはローリエたちの真意を聞き、動力炉の辺りがじんわりと暖かくなる感覚を覚える。

 そして同時に、本来であれば秘匿すべきであった『審判』の情報について、どうして半ば無意識のうちに彼女たちに教えてしまったのか、その理由が漠然とわかったような気がした。


「それで、どうかな? もちろん、アリスちゃんさえ良ければなんだけど……」

「……はいっ! ぜひっ、ぜひ、お願いしたいですっ!」


 飛びつかんばかりの勢いで、ローリエに迫るアリス。

 『審判』について語っていた時とは対照的な、感情を露わにした等身大の少女の姿。

 そんな年齢相応とも言える彼女の様子を、ローリエたち三人は微笑ましく思いながら見つめていた。





 話し合いの結果、出立は翌朝に決まった。


 ローリエたち三人が出ていって、宿の部屋にはコロナ一人が残される。


『――世界を救うため、です』


 途端に静かになった空間で、アリスの語った内容を脳内で反芻するコロナ。

 世界を滅ぼす災厄と、それを止める鍵を求めて月を目指す少女――まるで現実味の無い、荒唐無稽とも言える話。

 それでも、コロナは信じた。

 淡々と語られるアリスの言葉には、妄言として容易に切り捨ててしまうことを躊躇わせる、真に迫ったものがあった。


「……世界を救うなんて、お子様のクセに大それたことを言うじゃないの」


 今やおとぎ話のように語られる、かつて確かに存在した伝説の勇者。

 過去から現在に至るまで、世界を救った者として名を馳せているのは彼(女)だけである。

 そしてその最高にして最大の功績は、人類にとって生ける災厄ともいえる『魔王』の討伐。

 世界を救うとは――アリスがやろうとしているのは、つまりはそういうことだった。


 ふぅ、とため息をつき、コロナは窓の外を見遣る。

 太陽の傾きつつある空の端に、薄く霞む月が浮かんでいた。


「月に行く、ね」


 存在感の希薄な月を眺めながら、コロナは不敵に笑う。

 月に行くだなんて、それこそまるでおとぎ話だ。

 そんな目標を掲げていては、いくら伝説の勇者と同じ「世界を救う旅」だとしても、人々から応援されることは決してないだろう。

 ……なればこそ。


「……いいわ、このあたしが協力してあげようじゃない!」


 なればこそ、コロナは選んだのだ。危なっかしくて見ていられないお子様たちに、ついていく道を。

 もともと、当てのある旅でもない。なら、ローリエやミミィとともにアリスの破天荒な使命に付き合うのも悪くない。


 そしてその結果、今まで誰にも成しえなかったことを成した暁には。


「――見てなさいよ、師匠」


 彼女の望みも、叶うかもしれなかったのだ。





 遠くの山の端に、燃えるように真っ赤な夕陽が沈んでいく。

 家々には【照明ライト】の魔道具による灯が点り、通りには夕食の支度をする匂いが漂い始める。

 大人たちに叱られたのか、遊び足りない様子の子供たちが数人、名残惜しそうに家路についていった。


 夕暮れ時の空の下、村を一望できる丘の上。

 大きな木の天辺から、ミミィはそんな村の様子を眺めていた。


「はぁ……日常って、いいですよねぇ」


 眺めながら、しみじみと頷くミミィ。

 彼女はこうした何気ない日々こそが、何よりも尊く、そして得難いものだということを知っていた。


「あ、ローリエさんたち」


 そんなミミィの視界の端に、連れ立って歩くローリエとアリスの姿が映る。

 アリスはキョロキョロと辺りを興味深そうに見回しながら歩いていて、危うく障害物にぶつかりそうになる度に、ローリエが優しく引き戻していた。

 まるで仲の良い姉妹のような二人の様子に、思わずクスリと笑みがこぼれてしまう。


 こうして見ていると、アリスが普通の少女ではない――というか、そもそも人間ではないなんて、全くわからない……のだが。


 アリスが道行く子供に何かを言い、ローリエが慌ててフォローに入る姿が見えた。

 ミミィの笑みが、苦笑に変わる。


 亜人が跋扈するこの世界において、人型の生物が人間であるかどうかというのは、とても重要な意味を持つ。

 にもかかわらず、初対面の人間に向かって「自分は人間ではない」などと爆弾発言をする程度には、当のアリスはその事実について気にしていない様子だった。


 ミミィはそれを、素直に凄いと思っていた。……けれど。


「……アリスさんには、わたしたちがついていないと、です」


 その豪胆さは同時に、危険を呼ぶ可能性も孕んでいる。

 長きにわたって亜人に脅かされ続けてきたこの世界の人々は、アリスが考えているであろう以上に臆病で、且つ排他的なのだ。

 そのことをよく知っているミミィは、アリスが不用意に傷付くことがないように、旅の中で彼女をサポートするつもりでいた。


 遠くのアリスたちから目を離し、一人決意を新たにしたミミィ。

 彼女がふと空を見上げれば、黄昏に映える大きな月があった。


「……あ」


 それは、手を伸ばせば届きそうなくらい近く見えるのに、決して触れることのできないもの。


「月……」


 アリスの、ひいてはミミィたちの目指す、前人未到の大地。

 月の大地には一体、何があるのだろう。この地上では実現出来ない夢でも、月の世界でなら現実に変えられるのだろうか。


「……月まで行けば、わたしたちも、きっと……」


 囁くようなその呟きは、誰の耳にも届くことはなく。

 刻々と迫りくる宵闇の中に、吸い込まれるようにして消えていった。



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