10:今の世界
ちらちらとした光刺激に視覚センサーが反応し、アリスの人工意識が覚醒する。
再起動したアリスがまず目にしたのは、材木を組み上げて造られた天井だった。
「……ここは……?」
再起動直後ということで、とりあえず自らの身体を点検する。そしてエネルギー不足や機能異常がないことを確認すると、寝かされていたベッドから起き上がり、辺りをぐるりと見渡してみた。
そこは素朴なログハウスだった。カーテンの隙間から差し込む光が、吹き込む風に合わせて枕を照らしている。
開けっ放しの衣装棚から覗く、可愛らしい女物の服が数着。
こじんまりとしたテーブルの上に置かれたままの短剣。
そして、部屋の隅に片づけてある、しっかりとした造りの背嚢に簡素な革鎧。
アリスはその背嚢と革鎧に見覚えがあった。ローリエのものだ。
つまりここはローリエの家で、アリスは気絶した後、ここまで連れてこられたことになる。
と、いうことは。
(ローリエたちは、無事にあの敵性生物――鉄巨人を撃破したのですね)
アリスが気絶する直前、ローリエたちは手から物質化した光を放ったり、炎を自在に操ったりしてみせて敵を圧倒していた。あの様子から推測するに、無事そのまま倒しきったのだろう。……まぁ、それが原因でアリスは気絶してしまったので、複雑なところではあるが。
ともかく、三人が無事であろうことは、アリスにとって喜ばしいことだった。
目覚めの時から行動を共にしてきた少女たち三人は、アリスにとってこの「新たな世界」との唯一の接点だったからだ。
「ただいまーっと」
玄関の戸が開き、家の主が帰って来た。アリスはベッドから降り、彼女にぺこりと一礼する。
「おかえりなさい、ローリエ」
「あ、アリスちゃん! 良かった、目が覚めたんだね」
元気そうなアリスの姿を見て、ローリエが嬉しそうに傍へ寄る。
「はい、各機能異常ありません。それより、私がダウンした後、状況はどうなったのですか?」
「うん、それがね」
ローリエが語ったところによると……
鉄巨人を倒した後、三人が気絶したアリスを抱えて洞窟を脱出した時には、空は既に黄昏に染まっていて。
辺りが完全に闇に閉ざされる前に、三人は強行軍でこのメーヴェ村へと向かい、
村へ着くなり、ローリエは村長と神殿長に事の次第を簡潔に報告。
旅人であるコロナとミミィは村の宿屋に迎え入れられることになり。
気絶したアリスはローリエが自宅のベッドに寝かせくれた、とのことで。
そこまで聞いて、アリスは改めてローリエに向かって頭を下げた。
「安全な場所まで運んでいただいたこと、感謝いたします」
「それくらい当然だよ。アリスちゃんはボクたちの命の恩人なんだから」
はにかむローリエ。
それから彼女はアリスに体の不調等が無いかを尋ね、特に問題が無さそうだということがわかると、
「ね、もし良かったら、ちょっと一緒にお散歩しない?」
瞳をキラキラさせて、そう提案した。
「お散歩、ですか?」
「そ! アリスちゃん、長い間ずっと眠ってたんでしょ? だったら外に出て、そよ風やお日様の光を浴びながら体を動かす、っていうのもいいんじゃないかなーって」
なるほど、確かに理屈は通っている。
亜人然り魔法然り、アリスが長期休眠している間に世界は大きく変わってしまったようだった。
であるなら、外の環境が旧世界のそれとはまた違っていることも想定しなければならない。
早い内に世界の現状を知ることは、アリスの任務完遂に向けた確実な一歩となるだろう。
そう論理を組み立てたアリスは、ローリエの誘いを意義のあるものとして受け取った。
「承知いたしました。お散歩に同行します」
「オッケー! それじゃあ……ようこそ、メーヴェ村へ!」
ローリエに手を引かれ、アリスは外の世界へと飛び出した。
「……っ」
陽射しに目を細めたアリスの頬を、爽やかな薫風が撫でていった。
嗅覚を刺激する、瑞々しい草木の香り。
光に慣れた視覚に映る、澄み渡る空の青と鮮やかな木々の緑。
なだらかな斜面と棚畑。農作業に勤しむ人々の姿が、豆粒のように小さく見える。
麓へ伸びる街道沿いに並ぶ家々。子供たちが数人、笑いながら駆けていく。
広場に集まった行商人を相手に、真剣な表情で交渉している女性たち。
遠くの山の方で吠える猟犬。それを呼ぶ狩人たちの大声が、風に乗って聞こえてきた。
「ああ――」
恐ろしい亜人が跋扈し、人間が魔法を使えるほどに様変わりしてしまった世界。
今度は何が出るのかと身構えていたアリスを出迎えたのは、そんな何てこともない、今も昔も変わらない人々の生活の営みだった。
当人たちからしてみれば、それは繰り返す日常の一ページに過ぎないのかもしれない。
だが、かつて滅んでしまった世界を知る彼女にとっては。
「アリスちゃん? どうしたの?」
思わず立ち止まってしまったアリスに、ローリエが不思議そうな顔をして振り返る。
「……いえ、何でもありません。ただ」
「ただ?」
「素敵なところだと思いました」
そんなアリスの言葉を聞いて、ローリエがにぱっと破顔した。
「あははっ、そうでしょ! 気に入ってくれて嬉しいな」
「あちらの方には何があるのですか?」
「あっちはねー、旅人向けのお店とかがあってね」
上機嫌なローリエの案内で、アリスは村の中を一通り見て回る。
メーヴェ村はそこまで裕福な村落ではなかった。
すぐ傍にリフェリス神殿の分社があるお陰か、旅人がやってくることはちらほらあったが、それでも大々的に観光を業に出来るほどの規模ではない。
よって村は、棚畑で採れる果実類や山で捕れる鳥獣の肉を、タラスクを始めとする近隣の都市へ卸すことで収入を確保しており、大人たちはそのための仕事に日々明け暮れていた。
その暮らしぶりは都市と比べると大分慎ましやかなものだったが……それでも、この村には確かに人々の血の通った生活が息づいていた。
「あら」
アリスたちが村を散策していると、村唯一の宿屋から、二人の見知った顔が現れた。
くたびれた黒いローブに、後ろで二つ結びにした夕陽色の髪――コロナだ。
「コロナ! おはよー、昨日はよく眠れた?」
「ええ、おかげさまでね。……アリスも、無事目が覚めたみたいじゃない」
「はい。自己診断の結果、特に異常は見られませんでした」
「じこ……相変わらずよくわかんないわねー、アンタって」
アリスの言い回しに、コロナが困ったような表情で頬を掻く。
それから、アリスの右斜め下くらいに目線を向け、
「あー、えっと。……その、昨日は悪かったわ。急に変な態度取っちゃって」
そう、バツが悪そうに謝った。
対するアリスは、きょとんとした表情で首をかしげて。
「コロナ、私は特に気にしていません。むしろ、危ないところを助けて貰って感謝しています」
「っ、そ、そんなこと! あれは、あれくらい、当然なんだから!」
「あははっ、コロナが照れてる~!」
「て、てて照れてなんてないしっ!」
からかうローリエに、赤い顔をしたコロナがきーっと牙を向く。
そんな時、
「ローリエさーん、コロナさーん、アリスさーん! おはようございます~!」
離れたところからミミィの声がした。
三人が声のした方を見てみれば、
「あっ、ミミィ! おはよー!」
相変わらずフードを被ったままのミミィが、山の方から手を振りながら駆け寄ってきた。
その背中には籠が背負われており、中には様々な野生の食材がぎっしりと詰められている。
「朝から姿が見えないと思ったら……それ、どうしたのよ?」
呆れたように尋ねるコロナ。
ミミィはよくぞ聞いてくれましたとばかりに、どーんと籠を地面に下ろして、
「えへへ、実は早朝から山の方にお散歩に行っていまして……美味しそうなものをたくさん見つけたので、お料理しようと持って帰って来たのです!」
「わぁー、ミミィすっごーい!」
「良かったら、みなさんもご一緒しませんです? このとおり、たくさんありますので!」
「いや、たくさんありすぎでしょ!? 食べきれないわよこんなに!」
コロナのツッコミが炸裂するのを横目に、アリスはミミィの持って帰ってきた食材の一つを手に取る。
土に塗れ、丸々とした形のそれを解析すると、どうやらイモの一種であるようだった。見た目どおり、栄養も豊富そうだ。
「ミミィ、これを頂いてもよろしいですか?」
「もちろんなのです! どんなお料理にしましょう?」
「いえ、調理していただかなくても大丈夫です」
「……んぅ?」
首をかしげるミミィの前で、アリスは、
「では、いただきます」
未だ土のついたままのそれに、躊躇なく
「「「えっ」」」
凍ったように固まるローリエたち。
そんな彼女たちを意に介した様子もなく、もそもそとイモを頬張り続けるアリス。
しばらく咀嚼し、ごくんと飲み込むと、
「見立てどおり、栄養価は高いようですね。これならエネルギーの補給にちょうど良さそうです。よろしければ、もう少し――――」
「待ちなさい」
次のイモに手を出そうとしたアリスの腕を、コロナがガッと掴んで止めた。
「ミミィ! アリスを宿の部屋まで連行!」
「了解なのです!」
「ローリエ! アリスに人間としての一般常識を教育するわよ!」
「イエス、マム!」
長年連れ添ったパーティもかくやといった連携で、アリスを拘束・連行する三人。
「え、あの、ちょっと待ってください。私は補給を継続したいのですが、あの」
そんなアリスの願いは聞き入れられることもなく。
キビキビと連れていかれたアリスは、ローリエたちに人間らしい振る舞いの必要性と、そのなんたるかをみっちり教え込まれるのであった。
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