08:脱出へ


「ここが、緊急避難通路への入り口です」


 アリスが示したのは、小部屋近くの何の変哲もない壁だった。

 ……いや、よく見ると壁の上部に、何やら記号のようなものが描かれている。どうやら、それが目印のようだった。


「で、どうするの? あたしにはただ壁があるようにしか見えないんだけど」

「開閉操作は仮想端末パネルで行いますので」


 アリスが壁の一点に手をかざすと、空中に薄い板のような幻影が浮かび上がる。幻影を触る仕種をするアリス。しばらくして、音もなく壁が消失した。

 壁の向こう側には、緩やかな上り坂の通路が続いている。


「おおー……アリスちゃん、今のって魔法?」

「魔法? そんな非科学的なものではありません。仮想端末はれっきとしたこの研究所のシステムです」

「ひかがくてき……?」

「さぁ、行きますよ。しばらくは大丈夫ですが、施設のエネルギーが枯渇してしまえば、この経路も使えなくなってしまいます」


 アリスに急かされ、少女たちは隠された通路の先へと進む。



 小部屋までの道と同様、通路は昼間のように明るかった。

 長い長い通路を行く途中、ローリエは前を行くアリスの後ろ姿をジーっと見て、


「ねぇ、アリスちゃん」

「なんでしょう、ローリエ」

「アリスちゃんって何歳なの? 見た目は十歳くらいだけど……何だか難しいことを色々知ってるみたいだし」

「私の年齢、ですか」


 ローリエの素朴な質問に、アリスは少し考えると、ややあって、


「製造されてからの年数、という意味では最早測定不能です。長期休眠時を除く活動時間で計るなら、私は既に三年と六十五日稼働している計算になりますね」

「三年と六十五日ってことは……え、三歳?」

「は?」

「ふえ?」


 目を丸くしてアリスを見るローリエたち。

 てっきり、見た目より年上なのだとばかり思っていたら、まさかの三歳である。普通の人間ならまだまだ親の目の届くところで遊んでいる年頃だ。というか、三歳児でその身体の発育はどう考えてもおかしかった。

 ……いや、アリスが「普通の女の子」ではないであろうことは三人とも理解はしていたが。


「ちょ、ちょっとちょっと、アリスって本当に人間なの……?」

「……? 何を言っているのですか?」

「そ、そうよね。古代人はきっと発育が凄く良かったってだけで、まさか人間じゃないなんて」

「私はALIS。人型をしていますが、立派な探査機です。人間ではありません」


 焦るコロナに向け、アリスはそう平然と言ってのけた。


 瞬間、空気が凍り付く。

 この世界において、人と似た姿を有していながら人間ではない生物は、即ち亜人である。

 亜人とは人類に対する絶対的敵対者であり、排除すべき存在だ。

 殺される前に殺さなくてはならない。

 アリスが「人間ではない」と言ったのは、自らをそういう存在であると宣言する行為に等しかった。


「っ!」


 反射的に、コロナは手にした杖をアリスに向ける。

 呪文こそ唱えなかったが、いつでも魔法を放てる状態だった。


「ちょっ、こ、コロナ!?」

「そいつから離れて、ローリエ! ……アンタ、いったい何を企んでるの? あたしたちをどうする気!?」

「え……?」


 急に殺気立ったコロナに、アリスは明らかに戸惑っている様子で。


「……落ち着いて下さい、コロナ。私、何か気に障るようなことでも言ってしまいましたか?」

「とぼけないで! アンタ、今自分で人間じゃないって……!」

「人間でないことは事実ですので」

「……! アンタは――」


 まっすぐ見つめてくるアリスに、コロナが何か言おうとしたその時、


「やめてください、コロナさん。それ以上はダメです」


 氷のように冷たい声で、ミミィがそう警告した。

 熱が冷めたかのように、ハッとした表情で口をつぐむコロナ。


「アリスさん、突然ごめんなさいです」


 そんなコロナの代わりに、ミミィが謝った。


「……アリスさんはずっと眠っていたみたいなので知らなかったのかもですが、あまり人前で『人間じゃない』とは言わない方がいいですよ。亜人だと思われちゃいますので」

「亜人……は、良く分かりませんが、重要事項として記憶しておきます。ありがとうございます、ミミィ」

「いえいえ~」


 ぺこりと頭を下げるアリスを、ミミィが優しく撫でる。

 とりあえず場が収まったことにホッとしたローリエは、アリスをミミィに任せ、唇を噛んで俯くコロナの方を慰めることにした。


「コロナ、急に言われて驚いちゃったんだよね。ボクもアリスちゃんが人間じゃないって聞いてびっくりしちゃったけど……アリスちゃんはボクたちを襲ったりしないで、ちゃんと案内してくれてるんだから、そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかな」

「…………」


 俯いたまま、コロナは何も答えない。

 それでも、その表情から彼女の内心を察したローリエは、それ以上は何も言わなかった。


「……さ! 気を取り直して先に進もうよ!」


 ぱんぱんと手を叩いて、ローリエが三人に呼び掛ける。

 まだまだ通路は続いている。あまり長く立ち止まるわけにはいかないのだ。


 螺旋状に上昇する通路を、四人は無言で進んでいく。

 他愛もない話題から一触即発の状態にまでなってしまった反省からか、あえて口を開こうとするものはいない。

 まず、この場所を脱出する。それが最優先だった。

 気まずい沈黙が漂う中、ふと先頭を行くアリスが足を止め、くるりとローリエたちに振り返った。


「みなさん、ここです」


 アリスは、入ってきたところと同じように記号が描かれた扉を指差す。

 それから徐にあの幻影を呼び出して暫く触れた後、やはり音もなく壁が消え去った。


「本来であれば、ここは上層の居住区画に繋がっているはずなのですが……」


 壁の向こうを覗き込むと、そこは今までのような通路……ではなく、ローリエたちが見慣れた洞窟の風景が広がっていた。

 ローリエたちが出てきた洞窟の一画は、何やら雑多な物が多数散らばった、整理されていない倉庫のような場所だった。壁にはゴブリンの手によるものと思われる粗末な灯りが備え付けられており、その様子を見たミミィがあっと声を上げる。


「こ、ここ、わたしが捕まってた場所です!」

「えっ、それじゃあ……!」

「はい! ここからなら、きっと帰り道がわかりますです!」


 ここまでくれば、後はローリエたちとミミィが合流した場所まで向かい、そこから出口を目指せばいい。

 俄然希望が見えてきて、少女たちの間に漂っていた気まずい空気が若干緩和される。


「どうやら、私のナビゲートはお役に立てたようですね」

「うん! アリスちゃん、本当にありがとう!」

「アリスさんは命の恩人なのですっ!」


「…………」


 口々に礼を述べるローリエとミミィ。

 そんな中、コロナだけが何も言わず倉庫部屋の外を見ていた。


「ほらほら、コロナ! アリスちゃんのおかげで助かったんだから、いつまでも不貞腐れてないでさ! ちゃんとごめんなさいとありがとう、しようよ!」


 浮かれた様子でそう促すローリエ。だが、コロナは厳しい表情で外を見るのを止めない。


「……コロナ?」

「残念だけど……多分、喜ぶにはまだ早いわよ」

「コロナさん、それはどういう……?」


 どこか遠くの方で、何かが崩れる音がした。


 断続的に続く地響き。幾度かの崩落音。

 段々と大きくなり、近づいてくるそれは、まるで何かが洞窟の壁を打ち崩しながら、無理やり一直線にこちらに迫っているようで。


 ……いや、迫っているよう、ではない。迫っているのだ。


 その意味を理解したローリエたちは、さっと青ざめる。

 この洞窟でそんな芸当が出来る存在など、一つしか思い当たらなかった。


「……強大な敵性生命体反応!? これは……!」

「ああ、アンタは知らないんだっけ。……よく見ておきなさい。今から現れるのが、人類の敵――亜人よ」


 瞬間、倉庫部屋の壁が爆散した。


 辺りを覆ったもうもうとした土煙は、乱雑に振るわれた巨大な片刃剣の剣圧によって吹き払われる。


 露になった黒鉄の巨体。

 岩壁を砕きながらも、刃こぼれ一つしていない様子の片刃剣。


 ――――鉄巨人。


 その紅く爛々と輝く単眼モノアイは、ただじっと一点を――アリスの姿を凝視していたのだった。


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