異変

半刻ほど前、

「痛いなぁ…」

鬼姫は苦悶の表情を浮かべた。

全身に走る激痛により、目が起きた。

成幸に駆け寄る際に油断したつもりは無かった…つもりだった。

まさかあの状態からの横薙ぎの一撃を食らうとは思っても見なかったのだ。

おかげで自分はこんな有様である。

現場はどうなっているだろうか。

成幸は、清明は無事だろうか。

想像は付かないほど吹っ飛ばされた。

おかげで背中は痛い上、視線の先の自分の右足は変な方向に折れ曲がっている。

おそらくあの一撃を受けた際にへし折れたのだろう。

大腿骨が中間で曲がってしまっている。

それでも幸運なほどに千切れることなくくっついているので視覚的にも安心した。

おそらくは鬼の身体だからだろう。

同じ鬼としてもしかすれば耐久性はあの青鬼同様にあるようだ。しかし、それでも一目見るだけで分かる。

自分は重傷である。

それというのも、

「…成幸、あんたが逃げないせいよ…」

声を出すのもやっとで、腹圧をかけて圧し出すように言葉を発した。

肋骨も痛み、身動き一つでも取ればそのまま全身がバラバラに崩れてしまうような痛みが走った。折れているのだろうか。もしかしたら肺や他の臓器も傷ついているのかもしれない。

ならば即座に治療が必要ではないか、でなければこのまま死んでしまう。

鬼である自分がよもやそのようなことを気にするとは思ってもみなかった。

そんなことを考えているとそもそも自分には心臓が無いことに気付くと鬼姫の脳裏に今しがた思い浮かんだ男の顔が横切った。

「人間のくせに…無理しちゃって」

あの一瞬、あの瞬間、すべての音が止まったような数秒の中、一秒が永遠に思えた刹那の中、まるで静止画のような緊迫した雰囲気の中、世界が止まってしまったような光景の中、誰よりも早く千花と早苗の二人に駆け出したのは陰陽師でも鬼でもない、ただの人間だった。

果たして自分が人間だとして、あの攻撃を前にして、あの局面、動けただろうか?

と、清明あたりが聞いたら酒を飲まずとも欣喜雀躍して好みそうな問いかけには興味は無かった。

そもそも、もしもなんてことは考えたことなどなかった。

元々、無かった世界に夢を馳せても、無駄というものだと思っている。

思い返せば、死の百鬼夜行の時も和泉とかいう父親似の鯰顔の娘を抱えたのは成幸だった。あの時は鬼からの攻撃で心臓を貫かれるとは思ってもいなかったのだろう。

そして今は、青鬼の一撃で跡形も無く吹き飛んだのだ。あれではいくら身体能力が上がっていてもひとたまりも無い。

あの局面、あの男は恐れなかったのか?

否、恐れたはずなのだ。でも、走った。

思わず身体が動いたとでも言うのだろう。

もしもの話は嫌いだが、自分なら動けなかったと思う。人間のように耐久性のない身体なら尚更である。

鬼姫は理解できなかった。

「ほんと、お人好しのバカね…」

しかし、思いのほか嫌とも言えない行動だった。心のどこかが温かくなるような感覚に似ている。と、柄にもなく成幸のこと考えてしまった自分がいる。これが清明あたりに知られれば笑いの種にされるだろう。

そう思って身を起こそうとすると吹き飛ばされた際、頭を切ったのか血が垂れて、両目に血が入った。

「あんなのでも私の契約者だからね…」

赤い世界の虚空を睨みながら、壁を伝い左足に力を入れて立ち上がる。身体中がギシギシと音を立てている。

「このぉぉぉっぉぉぉ!!!」

 食いしばりながら全身に力を入れ立ち上がった。

しかし、一歩、踏み出そうとして前のめりに倒れ込んだ。

もう起き上がる気力すらない。

激痛は鈍痛となっていた。

「ダメじゃん…。私」

鬼姫は二度目の死を覚悟した。

 (今の貴女では青鬼には敵わないわよ)

「誰よ…」

 耳鳴りのような声が聞こえた。

周囲に目を向けるも誰もいない。

いるはずもない、ここにいた人間はあの憎い青鬼に喰われ、殺されたのだ。

 (でも、そうね。力が足りないというのなら)

「私の…中?」

その言葉は、鬼姫の中から聞こえていた。

自分と同じ声をした、酷く冷たくて、無情な、あろうことかそれでいて無関心なようで他人事のように自分の中の何かが話かけてきた。

(代わってあげる。そのまま死なれたら私が困るもの)

嗤うように言っていた。

途端

「ぁぁぁぁぁぁっ」

身体中にドス黒い何かが血液に乗って全身を駈けずり回ってき始めた。

黒くて重い。

痛みはないものの今までそこにあったものがそのまま別なものに変えられていくような、変わってしまうような感覚に鬼姫は悲鳴をあげた。

(そんなに抵抗しないでよ。私に任せておけば全部解決してあげるわ。なんたって私は貴女なんだから)

「貴女が…私?」

何を言っているのか鬼姫には理解できなかった。

直後、視界は暗転する。

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