五色鬼の…
「あぁー、楽しかった」
鬼姫の頭にはシロツメクサの花で模られた冠が乗せられていた。
夕方に差し掛かる頃、鬼姫は童女たちから友達の印にもらったものだった。
「本物の鬼が鬼ごっこで本気になって逃げるというのは斬新だったな」
「だって早苗ちゃんは足が速いんだから。それに千花ちゃんは竹馬が上手でしょ。それに比べて成幸はおはじき下手だったわね」
鬼姫はさきほどの遊びを一つ、一つ反芻していた。
「俺はおはじきで遊んだことがないんだ」
「負けた言い訳。見苦しいわね。楽しかったから私の裸を往来に晒したことは許してあげる」
鬼姫は機嫌が良いらしく、足取りが軽かった。
「それはどうもありがとう」
そんな鬼姫の後ろを歩いていると清明の屋敷に着いた。
「おかえりなさいませ。成幸様、鬼姫さん」
「ただいまー。清明はどこ?」
鬼姫は玄関で草履を脱ごうと腰をかけていた。橋姫は律儀にも玄関付近に着座して、出迎えてくれる。
「清明様なら香澄様と呪符を作られていますよ」
「へぇ、そうなんだー。ねぇねぇ、これ見て」
鬼姫は頭に載せていた冠を大事そうに取ると、橋姫に見せる。
「まぁシロツメクサの冠ですね、とても愛らしいです。成幸様が作られたのですか?」
「違うわよ、こいつにそんな甲斐性があるはずないもの。これはね、人間の女の子と友だちになった証なの。言わば献上品ってやつね」
覚えた言葉を使っているのか少し意味合いが違っていることを橋姫は咎めない。鬼姫は今日あったことを身振り手振りで橋姫に説明していた。
「それは大変、良いことをされましたね。では、大切に保管しておきましょう。後で鬼姫さんの籠を設けましょう」
「ありがとう!」
「なんだぁ? さっきから騒々しいな…って、それはシロツメクサの冠か。成幸からの贈り物か?」
「違うわよ。こいつじゃなくて、人間の女の子からの…」
鬼姫はさきほどした説明を一から始めようとする。
嬉しくて何度説明しても飽きないのだろう。
「へぇ…丁寧に作られているな。ん? このシロツメクサ…」
清明は橋姫から受け取ると、しげしげと見つめていると眉を顰めた。
「なに? どうしたのよ?」
今日遊んだ内容を説明することに悦に入っていたのだ。それが水を差されて面白くないのか清明の様子に、気付いた鬼姫が訝しげな表情を浮かべた。
「…邪鬼がついている」
清明は編みこまれたシロツメクサの冠の一部を摘み上げる。
成幸には掠めた空中を摘んだようにしか見えなかったが、清明が摘むとすぐに姿を現した。親指ほどの大きさをした妖怪だった。人の姿を模しているのか二足歩行の、頭が異様に大きく、身体が異様に細い。人間であるのなら間違いなく死んでいるような姿に成幸は微かに頬を引きつらせた。
目が爬虫類に似ていたのだ。
その姿に注視することなく清明は門に向けてまるで羽虫でも扱うかのように小さな邪鬼を放り投げた。
「どうせ私の妖力に引き寄せられたんでしょ」
鬼姫は特に気にすることもなく、辟易した顔をした。
「シロツメクサの根元にそれがあるということはその土地に邪鬼の源があるということだ…ふむ、どこだろうな」
清明はシロツメクサの冠をひっくり返しながら全体を凝視して、異常がないかを確認し終えると鬼姫に返すと徐に腕を組んだ。
「そういえば、清明。これを預かってきたぞ。黒色の封筒って何か理由があるのか?」
「っ、それを早く見せろバカもの」
清明はひったくるようにして、成幸が懐から取り出した黒い封筒を奪うと慣れた手つきで書状を広げた。
「…鬼姫。シロツメクサの冠を作ったのはどこだ? 橋姫、縁側で術書を読み込んでいる香澄に今あるだけ分の呪符をもらってきてくれ」
清明はその場にしゃがみ込むと指貫をたくし上げてふくらはぎを出した。走るつもりなのだ。膝よりも少し下、ふくらはぎの上で紐を結ぶともう反対側も同じようにして結んでいた。
走らなければならないほど急を要する、案件である。
直接的な言葉にはしないが、先ほどの清明の振る舞いから見れば黒い封筒というのはそれだけ緊急的な事項ということらしい。成幸は昼間、鬼姫と過ごすことですっかりと忘れていた自分の行動を恥じた。これからも清明の書簡係りを続けると言った矢先の出来事でこんな有様では書簡係り失格だと自分を叱責した。
「は、はい…、ただいま」
橋姫はすぐさま立ち上がると踵を返して、廊下の奥へと引っ込んでいく。
「ちょっと、清明、どういうことよ」
指貫を調整している清明の前に鬼姫は土足のまま仁王立ちするように立った。清明の様子に異変を感じて説明を求めていた。
「今は、現場に向かうのが先だ」
清明は立ち上がると玄関で水沓を履く。
「俺も一緒に行くよ。俺が書簡を届けるのが遅れたから」
「じゃあ、私も一緒に…」
「だめだ。危険すぎる。それに、辛いぞ」
何時になく、清明は真剣な表情をしていた。普段との落差に二人はたじろいだ。
「式神は鬼姫だけじゃない。書簡のことはそこまで気にするな。今回の鬼は本当に危険なんだ。」
「? 何故、邪気の相手が鬼と断定できるんだ?」
さきほどの邪鬼を扱う清明を見る限り、どうってことないように思えた。それに、いつもなら鬼や妖怪を邪険には扱わない清明がここまで動揺するのが謎だったのだ。
「それは…」
清明は口を滑らせたという顔をする。あれだけ思慮深い清明が口を滑らせるというのはもしかすればこれは緊急事態なのだろうか。
「あ、何か隠してる」
「清明様、香澄様より戴いてきました」
「ありがとう。では行ってくる」
「………………。」
橋姫に礼を言うと清明は鬼姫を見た。
場所を言え、という視線である。しかし、鬼姫は憮然として清明を見返した。私を連れて行かなければ教えない。そんな顔をしている。数秒にも満たない心理戦の中、珍しくも折れたのは清明だった。
「はぁ。分かった。ついてこい。ただし、お前たち絶対に前に出ずに後ろの方で隠れておけよ」
「清明…」
以前、清明が言っていた。
“私は人間の味方だよ”その台詞を思い出していた。ここで鬼姫との心理戦を長引かせても危機が迫っているのは平民である。清明が早々に折れたのはここで鬼姫と駆け引きをしているよりも人間の命を選んだのだ。成幸はそれが分かってホッとした。
「うん。分かったわ! ついてきて!」
それを聞くと深く考えていない鬼姫は我先に屋敷を飛び出した。
続いて、成幸と清明も飛び出した。
「相手は…五色鬼の一角か。くそっ、結界が解けるのが早すぎる」
清明は先導して駆ける鬼姫の後ろを走りながら呟いた。
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