召喚!

―翌日―

「久しいな。成幸よ。息災であったか?」

「はい、為雅殿。ご心配をおかけしました」

数日振りに邸内を歩く成幸は隣を歩く為雅に頭を下げた。

「お前が天文博士のところに行ってからというもの、早や七日が経とうとしていたからな。陰陽寮や式部省にも顔を出さないところから、死んだのではないかと噂が立っていたところだぞ」

「ははは、そんなまさか」

実は一度死にました。とは言わないでおく。というか言えない。もし言ったところで、分かってもらえないことは先刻承知だった。なにせ自分でもあまり理解していないのだ。自分は一度死んで鬼の少女の心臓を移されて復活しましたなどと言っても、為雅を納得させることができるだけの説明も専門知識も無いのだ。

いっそのこと胸の傷でも見せればまだ説得力があるだろうか。

そんなこと言い辛そうにして考えているうちに、為雅は別な話を振った。

「…ところで、成幸? お前は今、天文博士の屋敷に世話になっているというのは真か?」

そういえば、昏睡している間に橋姫が為雅の屋敷に荷物を取りに行ったとかなんとか。

「はい、一昨日よりお世話になっています」

為雅はそれを知っているのだろう。何せ、自分の屋敷である。成幸が帰ってこないことを不審に思っていたことだろう。

「…よくやった!」

為雅は大きな声で叫んだ。周囲が奇異の視線で見つめてくる。

「ちょ、声が大きいですよ」

「いやいやいや、大儀である。まさか、あの天文博士に取り入れるとは…。お前はこの廷内の時の人になれるぞ!」

為雅は、大げさに高笑いをしていた。

「いや、大げさですよ。俺なんて全然…」

現に、役には立っていない。足を引っ張ったというのが本音である。

「いやいや、本当に無事で何より。で、どうであった?」

「は?」

思いがけぬ言葉に成幸は素っ頓狂な声をあげた。何がどうであったのかをまるで見当が付かなかった。

「は? ではない。天文博士だ。どうだ? やはり才女であったか?」

「はぁ、そうですね。酒を飲むと乱れます」

「乱れる!? それは真か」

「えぇ、嘘ではありません。昨晩も盛大に酒を浴びせられました」

あれは厳密には吹きかけられたという。霧状の酒が目に入って熱くて痛い思いをしたのだ。すぐに目を洗ったから大事には至らなかったものの後の掃除をする橋姫からはしばらくの間、飲酒禁止令が出されていた。

「清明殿は酒乱であらせられるか…今度、飲みにでも誘ってみるか」

「外では酒は飲まないと言っておりましたよ」

自分の屋敷内で飲む酒が一番美味いと言っていた。さらにこうも言っていた。『模』が酒を飲んでも味が私には伝わってこない。紙だから、染みれば術が解けるので飲食はしない。と

しかも、何より清明は能力が低下しているために容易な外出は避けているのだ。

「なに、そうか…残念である。そうそう、新たに書簡が届いているのだ」

為雅は懐から黒い密書を取り出していた。

「これを清明殿に渡してくれ。陰陽寮からである」

「はい、確かに承りました」

「そうしていると書簡係りが様になっているな。どうだ? 少しは慣れたか?」

「いえ、全然。何をするにも驚きの連続ですよ」

「それは良いことだ。何分、入寮したての頃のお前はどこか不器用面を抱えていたからな。今の方が幾分年相応に見えるぞ」

「為雅殿、まるで良い叔父のようですよ?」

「ばかもの、私は良い叔父なのだ。おっと、そろそろ仕事に戻るとするか。ではな、成幸」

「はい、それではお仕事がんばってください」

為雅と別れ朝廷を後にして、歩いていると

「そうだ」

あることを思いついた。確か、昨日、香澄が言っていたことを思い出した。

「『主従の契約を結んだ術師は式神をいつでも召喚できる』か…」

香澄曰く、本来の主従関係は清明と鬼姫ということになるのだろうが特例として成幸にも鬼姫が召喚できるということだったのだ。

つまり今、成幸が式神である鬼姫を召喚すれば出現するということなのだ。

「よし、やってみるか」

召喚をすればきっと鬼姫はぶつくさと不満を漏らすだろうがお互いを知る良い機会である。

成幸はいつぞや清明がしていたように右手の人指し指と中指で手刀を作ると口元に寄せて詠唱を唱えた。

「出でよ、我が式神」

その言葉に呼応するように心臓が熱くなるのを感じた。心臓が鼓動を早めて脈動が激しくなるのを感じた。成幸の周囲は白い光が立ちこめた。

「ま、眩しいっ」

あまりの眩しさに思わず目を閉じた。

「ふんふーん」

鬼姫の声である。召喚に成功した。

そう思って目を開くと目の前には鬼の少女が現れていた。

何より全裸であった。

いつも着物に隠されて見ることが無かったのだが意外とふくよかな乳房が視線に飛び込んだ。余分な脂肪が無いと言ったことを訂正せねばならないと成幸は思った。

鬼姫は身体を洗っていたのか、ところどころ泡だらけである。

「って、あれ…私、風呂に入って…」

普段は結い上げていた朱い髪を下ろして、外見より幾つか幼く見える少女は白と朱を基調とした着物を脱いでおり文字通り一糸纏わぬ姿で往来に登場してしまった。

突然の召喚に成幸がいることも忘れて呆然としていた。

「え、…え? どうして?」

きょろきょろと周囲を見渡している。ここは朝廷の前の大路である。大勢の人が行き交うために皆奇異な目で見ていた。

「ちょ、え…私、裸じゃん!?」

鬼姫は恥ずかしそうにその場にしゃがみ込み、腕で局部を隠していた。何がどうなっているのか理解できていないようで、混乱している。

「わ、悪いっ…」

「成幸? あ、もしかして、召喚したの!? うそ、マジで…ほんと信じられないんだけど!」

抗議めいた視線を投げかけてくる。本来なら胸倉を掴まれて、殴られても文句は言えない状況ではあるものの、腕で局部を隠しているために掴みかかろうにもそれができないでいた。

「ごめんってば」

「こっち見ないでよ、変態! スケベ! 心臓泥棒!」

恥ずかしさと怒りで辛抱できなかったのか謝罪の言葉を口にする成幸を力無く足蹴にする。泡のおかげで局部は隠されているが鬼姫の繰り出す蹴りの勢いで泡がどんどん飛んで減っていっていた。

「分かったから、蹴るなよ。見えちゃうだろ!

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