成幸の判断

夕飯が終わり各々それぞれの時間を過ごしていた。

橋姫は夕飯の後片付け、鬼姫が連れていた魑魅魍魎の百鬼夜行はそれを手伝っていた。今ではもう視線が慣れたのか小皿を持って廊下を歩く小妖怪たちは皆、橋姫の言うことを聞いていた。鬼姫はと言えば筋肉痛になったのか風呂に入りにいった。そうこうしている内に香澄は研究があると言って帰宅したのだ。送っていこうにも香澄が開発した『転移』の術で瞬時に帰ったので見送ることもなく、帰ってしまった。

なので、今は正真正銘に二人きりであった。

成幸は部屋から縁側に出ると、梅の木が見える中庭の前で清明は一人酒を飲んでいた。

「隣、いいか?」

「おお、構わないぞ」

清明は成幸に気が付くと自分の隣をポンポンとたたいた。

どうやら歓迎されているようでここに座れということらしい。

その言葉に従い、腰を下ろす。静寂な空気が広がり、先ほどまでの楽しい夕餉の時間が嘘のように静かなものになった。二人の間にそれと言った会話もなく、何か話題を話すようなこともせずに納涼を楽しんでいると、

「この場所は思い出の場所だ」

清明が切り出した。

「どんな思い出なんだ?」

成幸は穏やかな口調でそう返した。

「それは多いからな、どんなと言われても率直にはとても言い表せんよ」

「そうか…。」

それはそうである。思い出がある場所というのは一つの思いだけではない。様々な思いが重なり合っているのが思いなのだ。そう思っていると。

暫くの後、

「だが、まぁ、概ね良き思い出というやつだよ」

一献の酒を飲み干した清明は思い返すように口元に笑みを浮かべて呟いた。その表情は色々な気持ちが混ざり合っていたように思える。

「聞きたいのは、死の百鬼夜行のことだろう」

「バレていたか」

成幸は自分の心を見透かされていることに驚きながら、素直に白旗を振った。

「お前は顔に出やすいからなぁ」

「それなら、早く教えてくれ」

「予想した通り女だった。私が行った時には死後一週間といった具合だったな。死の百鬼夜行の出所を探れば、羅生門傍の神社の竹林の中で白襦袢に身を包ませ、蛆を全身から吹き零しながら孤独に死んでいたよ」

さらりと清明は言う。

「悲しいな」

「あぁ、悲しいな。あぁ、なればもうどうにもならん」

「恨みを忘れることはできなかったのか」

「できなかったのだろうな」

まるでオウム返しのように清明は淡々と言う。

暫しの静寂の後、今度は清明が口を開いた。

「在り続ける、思い続けるというのはそれだけで呪いみたいなものだからな」

「呪い?」

「あぁ、『呪』という呪いだ。あの女は自分で自分を呪ったのだ」

「和泉を呪ったのではないのか?」

「あれはその延長線上だろうさ。死の百鬼夜行と契約した女は初め、男の方を呪ったのだ。何故、自分を捨ててまでして和泉に乗り換えたのか。私は和泉の顔を最後まで見なかったが、きっと和泉という娘は美しいと言う形容詞からは程遠かったのではないか?」

「まぁ、それは…」

お世辞にも美しいとは言えない顔をしていた。

例えるなら個性的、特徴的もしくは父親似ということくらいだろうか。

「父親似、つまりは鯰顔か。なら当然、男は醜女の父親の権力に惹かれて自分を捨てた、とそう思っただろうさ。実際は、男の家柄を取り込んでさらなる躍進を考えた鯰の策略だったんだがな」

「それほどまでに権力が大事か。愛する者同士の仲を引き裂くなんて…」

成幸は拳を固めて歯噛みした。

「女の呪いで娘が床に臥すのを見て、実頼は原因が男にあるとでも思ったのだろう。調べたが男はすでに京にはいない。和泉でアレだ。原因の大元である男はもう死んでいるだろう。大元の男を殺したことで次の獲物はあの親子になったわけだ。しかし、大元を殺したことで呪いの力が弱まってな。結果としては、それで和泉は死なずに済んだ。中々死なぬ和泉を見て、焦る女はとうとう自分を呪ったんだ。そして、最終的には同じ貴族に対する業を持つ連中を取り込んで群れを為し、死の百鬼夜行になった」

縁側を見つめていた清明は成幸に視線を戻すと、左胸に視線を這わせた。

「お前の胸を貫いた鬼がいただろう」

清明の言葉に成幸は思い出した。

「あぁ、あの大きな鬼か」

「あれが女の成れの果てだよ」

「そんな…」

「恐ろしいか? 人間の、貴族の業とはそういうものだよ」

清明は黙って酒を飲んだ。飲み干したといってよかった。

「それよりも驚くべきは蛆女が死の百鬼夜行を召喚するほどまでに呪ったということだよ。未練、呪い、そんなもので人間を殺せてしまうのが鬼や妖怪だ」

清明は貴族を蔑視している。

会ってからというもの言葉の端々から思ってはいたが、今日にして言えば、好意すら持っているように思えてならない。

在り続ける、というのはそれだけ呪いみたいなものなんだ。

そう言った言葉はまるで愛おしそうに言い放ったのだ。

「…だから、鬼や妖怪が生まれるんだな」 

「んあ?」

「どうして鬼ができるか、だよ。教えてくれただろう」

しばらくの静寂の後、

「私が言ったこと、覚えていたのか」

「だとすれば、鬼姫もその…未練があるんだろ」

「あぁ、あるだろうな」

「どんな?」

そう訊ねると、清明は瓶子から猪口に注ぐと酒を一気に飲み干して口を開いた。

「さぁな」

「清明でも分からんのか?」

「あぁ、私にだって分からんものはある。だが、色んなことが分かったぞ」

「もちろん、鬼姫のことだよな?」

「あぁ。あいつは鬼である以前の記憶が無い」

「記憶が無い?」

「うむ。鬼姫と契約した際に記憶の濁流みたいものが私に流れてきたわけだが、その中にあるのは私と出会ってからのことしかなかった。それよりも前のことは見られなかったんだ」

「…俺も、見た気がする」

成幸は、夢の中、自分がまだ昏睡している時に見た夢を思い出していた。確かに、あれは覚えのない光景ばかりであった。

「お前は曲がりなりにも契約者だからな。契約の線に乗って流れていったんだろう。おそらく私と見たものは同じだ」

「あれが、鬼姫の記憶…でも、あれは記憶と呼べる代物だったのか?」

あれはただ清明と過ごした時間を回想していただけである。

「ふむ…未練のある者が鬼や妖怪として生まれ変わるわけだが、どうにもそれが無いみたいでな。これを踏まえると、どういうことが想像できる?」

「未練が無いのに、鬼になったとか?」

「ほう、中々筋が良い」

清明は振り向くと慧眼を輝かせたように成幸を見た。

「でも、それはおかしいんだよな。未練が無いなら鬼にはならないだろう」

「それがそうでもないんだよ。未練があろうがなかろうが鬼になる場合もある」

「そんなことがあるのか」

「鬼姫が生まれながらにして、純粋たる鬼の場合だ。それなら最初から鬼だろう」

「そんなことって…」

鬼は人間の業により生み出された存在であるというのなら、生まれながらにして鬼として生まれた鬼姫はどうやって生まれたのだ…?

「まぁ、当然だ。一概に人の業と呪いで生まれたモノが全て鬼といわれるわけではない、鬼という種族は確かに存在する。やつらは人の業で生み出された鬼とは違って遥かに特殊な連中だがな」

「???」

「なぁに、もしもそうなったとしても私が何とかするさ。この命に代えてもな」

いつもよりも神妙に語る清明はどこか浮世離れしていた。元々、外見が美人だというものあるのかもしれない。月夜の光を浴びる清明は御伽話に出てくる竹から生まれた絶世の美女にも匹敵すると成幸は思った。

「それで、お前は今後どうするのだ?」

「どうするって…」

「書簡係りを続けるのは分かった。では、次は何をする?」

その問いの答えを成幸はすぐには出てこなかった。今まで生きてきた生活からかけ離れた数日間の為、頭が理解をしていないというのが本音だった。分かったこと分からないことが脳内で目まぐるしく変化していた。

そうこうして出した答えはちょうど清明が口に含んだ酒を成幸の顔目掛けて吹かせるには十分だった。

「そうだな…。とりあえずは鬼姫と仲良くなろうと思う」


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