屋敷に戻った清明が語るのは…

「今回のこと、本当にすまないことをした」

夕方頃、清明は帰ってくるなり頭を下げた。

外見はいつもの白色の狩衣ではなく頭には烏帽子を乗せてちゃんとした衣冠服姿であった。口にはうっすらと紅を差しており、背筋を伸ばした何とも涼やかな井出立ちで、見る者の目にいつまでも留めておきたいと思わせる美しい姿だった。

その姿を成幸は思い出していた。

安部清明に会う初日のことである。

もう一つ、その姿をしているということは、天文博士として朝廷に召喚されたことは容易に想像できた。

「清明様…」

言い訳をすることもなく粛々と頭を垂れる清明を橋姫は見つめて、そして、清明の謝罪の先を見た。

成幸がいる。事態をまだ掴んでいないのか。目をパチクリとさせていた。

まだ布団に入っているものの、昼間に鬼姫に引き起こされてからは上半身を起こせるようになっていた。

「俺の方こそすまない。足手まといにしかならなかったみたいで」

「…成幸のおかげで和泉は死なずに済んだ。あのままでは私は和泉を守り切ることは出来なかったと思う」

清明は後悔しているのだろう。

視線は低く、表情にも憂いの色が帯びていた。

「…清明ほどの実力者でも苦戦を強いられることがあるんだな」

「………」

成幸はほんの少し茶化すように言うと、清明はしばらく静かになった。いつもの大口を叩くようなことはせずに粛々としている様子に今、自分が言ったことが清明を傷つけてしまったのではないかと焦っていると。

清明の口から搾り出すように頼りない声が響いてきた。

「…私の身体は弱っている。と、聞いたことがあるだろう?」

「あぁ…、だから屋敷から出ないとか」

屋敷から出る時、橋姫が言っていたのを思い出す。

「事実だよ。私の身体は弱っている。厳密には私の能力といった方がしっくりくるな」

「そうなのか…。でも、最強の陰陽師なんだろう?」

「あぁ、それは変わりないとは思うがな。騙し騙しやっているところもあるが、概ね私が人間が統治する現世を代表する陰陽師には変わりないだろうさ」

「じゃあ、何故…」

「今の私はあることに常に力を行使している状態だからな。他に回せないんだ」

「常に力を行使している…?」

成幸の言葉に清明はこくりと頷いてみせる。

「いつかは話そうと思うが…、今はまだ話せないが、今の私はそこまで術を使えないんだ」

「だから、苦戦していたんだな…。そういえば、あの群生した鬼はどうなったんだ?」

「…倒したわよ」

成幸の話に横槍を入れたのは他でもない鬼姫だった。

いつの間にかそこに現れていて、部屋の敷居部分に座っていた。背中を向けて縁側のほうを向いている。

「…清明が?」

「違うわよ、私よ。私。私が、倒したの。すごいでしょ? まぁ、あんな雑魚ならちょちょいのちょいって感じよね。私がちょっと本気を出したらあんなもんよ」

鬼姫は身振り手振りで説明していた。空中に飛んでいる虫を手で払うような素振りをする。依然としてこちらを見ないのは彼女なりの距離感なのだろう。

「式神の契約をしたからな。術者の能力が反映して強くなるのさ」

「ちょ、それじゃあ私が実は弱いみたいじゃない!」

「出会った当初、小妖怪の暖簾たちにも勝てなかっただろう」

「それを言う!? あれは秘密にするって約束でしょ!」

鬼姫はその言葉に慌てて立ち上がり言い訳を繰り広げていた。その様子を見守るように笑顔を浮かべる橋姫、顔に苦笑の色を混ぜた成幸は清明に訊ねた。

「契約をすれば鬼も人間も強くなるのか?」

「あぁ、そうだ。式神になった鬼や妖怪は自動的に契約者の力が流れていくからな。この場合、鬼姫は私の能力を引き継いだことになる。また式神の強さがある程度、術者にも反映されるからな。あの時、必要なのは生命を維持するための生命力だったんだ」

淡々と説明する清明は、どこか飄々として言った。

まとめると、こうなるらしい。

清明と鬼姫が契約して、契約者が得る鬼姫の生命力は成幸に渡されて、鬼姫に支払われるべき対価は清明が肩代わりしているということらしかった。

「そうか…」

偶然の産物とはいえ、あの時にできる清明なりの延命措置だったということだ。

「だからって私を使う? その辺の魑魅魍魎でも良かったじゃない」

「鬼の生命力は、人間の比ではないからな。それに加えて、鬼姫の生命力は他の鬼や妖怪に比べても段違いだ。それにその辺の魑魅魍魎では契約したところで成幸を生存させるだけの生命力は無いよ」

「そ、そうなの…? ふ、ふふん。実は、すごい鬼なのね、私って…」

「あら? それって自画自賛っていうらしいですよ」

鼻がどんどん高くなる鬼姫に橋姫が横から、合いの手のごとく口をはさむ。

「私、すごい鬼だから橋姫の言っていることも許してあげる。私、すごいから」

「まぁ、鬼姫さんったら調子の良いことばかり仰って」

鬼姫の鼻が天井を突き破らんとするほどに高くなっている様子を見ながら橋姫は、クスクスと毀れる声を袖で抑えていた。

「なら、鬼姫は清明の能力をもらうというのが契約をする際の対価だったのか?」

成幸は二人の様子を見ながらも清明に話かけた。

「ん? いや、それは違う。これは契約者自体が明かしてはならないことなんだ。他が知れば、その契約を逆手に取る者も現れるからな」

「それってどういう…」

「つまりだ。契約とはその式神の本心。根幹である部分に他ならないわけだからな。その部分を他者が満たしてしまえば式神として存在できなくなる。つまりは、契約の破綻だ。そうなれば術者は今まで式神だった者に取り殺されても文句は言えないことになる。何せ、契約が解除されているわけだからな」

「式神と陰陽師は仲が悪いのか?」

「一概には言えないが…式神は本来、鬼や妖怪の側だからな。使役するというのは聞こえはいいが同属と戦わせられることもあれば、やりたくないことをさせられる場合もある。そう言った点では折り合いがつかないとこもあるだろうさ」

「そういうものなのか、思ったより難しいものだな」

「あぁ、式神とて感情はある。それに鬼姫だって今契約が切れたら、何よりもまずは心臓を奪い返すくらいのことはするだろうよ」

陰陽師と式神は独特の雇用形態が生まれているようで、契約上だけの関係といった様子なのだそうだ。

「そ、そうだったんですね…。私、そんなことも知らずに…」

「なぁに、心配いらないぞ。どっちみち橋姫には使えないさ」

「どうしてですか?」

「前にも言ったが、橋姫は式神だ。式神が式神を使うことはできない。それに元々が陰陽師ではないからな。式神契約の根幹に触れる部分の解消は陰陽師しか出来ないんだ。一般人がしたところで偶然の産物として扱われてしまう。まぁ世間一般で言うところの鬼も妖怪も一般人が成し遂げられることを要求する奴は少ないな。しかし、これにも例外がある。成幸。お前はもう違う」

「え?」

「お前は私の名義で契約したとは言え、契約者だ。だから、お前が式神の契約の解消を行うことができる。例外中の例外だけどな。本来、この方法を取る陰陽師はいないわけだが、今回の出来事はそれほどまでに稀ということだと知っていてくれ」

清明は、さらりととんでもないことを言っている気もする。それがもしも可能なら陰陽師と呼ばれる者たち全員の存在を否定しているようにも取れたからだ。

「そうなんだ…。俺は、陰陽師のことはよく分からんから。その辺りのことは清明に任せるよ。それにしても、鬼姫がそれほど強い鬼とは思わなかった」

「はぁ!? いきなりなにを言ってくれちゃってんの? 死にたいの? なら、いますぐにでもやってあげるわよ」

鬼姫は勇みよく立ち上がる。今まで褒められて鼻を高くしていた分、急に自分の評価に関して疑問視されることが気に入らなかったのか、成幸に掴みかかろうとしていたところを橋姫に宥められていた。

「まぁ、それに関しては、私も意外だった。少ししか渡さないつもりだったが残しておいた能力を全部持っていかれたわけだからな。おかげで、次の満月までは式や式神も使えない」

やれやれ、といった様に一部始終を見ていた清明は両肩を竦めた。

「次の満月…だいたい1週間ほどですか」

「あぁ、そのせいで今日は私自ら朝廷に足を運んだんだからな。推察できる通り『模』も使えない」

『模』といえば、確か清明に出会った時の術である。

朝廷で見かけたと思ったのは清明ではなく『模』の術の清明だったのだ。屋敷にいて力を温存している清明としてはこれまで公務で外出しなければならない際には『模』で出ていたのだろう。

「そういえば、朝廷、平気だったのか?」

成幸は、ふと、気になったのだ。

実物で朝廷に顔を出すというのが清明にとって何を意味するのか? 

それは偏に物部実頼が絡んでいると思ったのだ。

「物部実頼の屋敷をあれだけ破壊したからな。苦情の一つでも言われるかと思ったんだが、和泉を守りきったことで事なきを得たよ。実頼は、今回の件が自分が撒いた種だというのも効いたのだろう。肉親がああなってようやく心を入れ替えたらしくてな。これからも陰陽寮と陰陽師育成に資金提供をしてくれるそうだ」

「そうか、それは良かったな」

「おい、お人好し。お前にとっては実頼が起きていた方が都合良かったかもしれないんだぞ」

清明の説明をしみじみと聞いた成幸は納得したように胸を撫で下ろしていた。

「え、それはどうして…」

「実頼の愛娘を救ったんだ。その功績を買われて物部氏に逆玉の輿になる機会を不意にしたんだぞ。もしくはお前に対して、金一封くらいあってもおかしくないんだからな」

清明は少し意地悪そうな表情を浮かべて、成幸の表情が変化するのを楽しんでいる。

「あぁ、なんだ。そんなことか」

しかし、成幸は予想外の表情を浮かべて言った。

「そんなこととはなんだ。お前も貴族の端くれなら出世くらい望むだろう?」

「まぁ、それはそうだけど。俺には物部実頼殿のような出世欲は無い。それに、どうあれ俺は安部清明の書簡係りが案外嫌いじゃないみたいだ」

成幸は率直に心中を吐露した。

「これから先…怖い思いをたくさんするぞ? それでもいいのか?」

清明は少しだけ戸惑ったように訊ねる。

「あぁ。なにせ最強の陰陽師と強い式神がいるんだからな」

「…ふ、ふんっ。分かればいいのよ」

鬼姫は顔を背ける。

心なしか頬が赤いような気がした。

「そうか…、お前がそういうのなら問題は無いな…、今の答えが一番汗をかいた。橋姫、風呂を沸かせ」

清明は顔を背けた。

それは誰もが分かるくらいに照れていた。

「は、はい、ただいま…」

珍しいものを見たと言わんばかりに橋姫は目を大きくしていた。

成幸は橋姫の様子と赤面する清明を見比べて、これが本当に稀であることを悟り、一つの妙案を思いついた。

「もしかして、照れているのか?清明」

「そ、そんなわけないだろう」

清明はいよいよ恥ずかしいのか、立ち上がって背中を向けてしまう。

面白い、そう思った。

普段、色々とからかわれているのだ。今くらいからかい返してもいいだろう。

罰は当たらない。

そう思って何を言おうか迷っていると間髪入れずに、清明から思わぬ声が上がった。

「そういえば、風呂だがな?」

「ん? どうした」

「一緒に入るか?」

振り返りながら、清明はやや妖艶にも誘うような顔つきをしていた。

「入るか!」

「遠慮するな。私の裸はそうそう拝めるものではないぞ? それを再び拝めるんだ。中々無いと思うがな。とはいえ、童貞には少々刺激が強いかもしれんがな」

するりと肩をはだけてみせる清明の顔はどこか妖艶だった。

「勘弁してください」

今度は少しも恥らう様子のない清明の誘いに顔を真っ赤にして成幸は叫んだ。

どうやら今のは、清明の演技だったようで、またしても成幸は誑かされていたのを知ると愕然と肩を落とした。

「はっはっは、私をからかうのはまだまだ早いな」

清明は自分の腰に手をやると大げさに笑っていた。

「…そ、それなら私と入りなさいよ!」

鬼姫は顔を真っ赤にしながら立ち上がって言う。何かを決心でもしたかというほどに、勇気を振り絞ったように、肩を軽く震わせていた。

「え? 俺が鬼姫と?」

「違うわよ! このバカ。あんたはさっさと家に帰れ。心臓泥棒」

「分かったよ。俺も、できれば家に帰って一人で入りたいんだ…そういうわけで橋姫さん、俺の荷物はどこですか?」

「ええと…」

立ち上がり屋敷を後にしようとする成幸の様子にうろたえる橋姫は、清明に助け舟を求める視線を投げた。

「あぁ…成幸。言ってなかったか? 昨日を以って成幸の家はここだぞ。だいたいお前、今まで為雅の屋敷にいたらしいじゃないか。あんなところやめておけ。私の屋敷から遠いではないか」

「はぁ!? 聞いてないぞ。俺は」

「そりゃあ昨日決めたことだし、お前は昏睡していたからな」

「そんないきなり…」

「物事というのはいつでもいきなりだ。段階を経て何かが起こるなど生易しいことはない。源成幸の人生は四日前に分岐したのだ」

「…?」

「つまり、これからお前は私が守ってやるから安心して私の傍にいろ、ということだ」

清明はいつものように涼しい顔をしてさらりと大胆なことを言いのけた。

「何やら、男らしいな。まるで、結婚を申し込まれているような気にさえなるぞ」

「ほう? では、このまま結婚するか? 私は構わないぞ。むしろ、その方がだいぶ話が早くて済むな。はっはっはっ」

「あら? 清明様? デレ期が到来するのが些か早くないでしょうか? もう少し淑女たる自覚を持って順序を経ても問題無いように思えますよ」

その様子を、橋姫は口元を抑えながら笑みを浮かべて見ていた。

「ちょっと、私のこと忘れてない?」

「あぁ? お前も当然、ここに住むんだぞ。子飼いにしている百鬼夜行たちもこの屋敷を使っていい。まぁ全員入れても十分に広さだけはあるからな。橋姫の家事手伝いでもすれば置いておいてやる」

「なら、私は何をすればいいのよ?」

「そうだなぁ。今のところは…」

「さっさと風呂でも入れ、何か匂うぞ。なんだろう、ゲロの匂いがする」


清明は異臭に気づいたのか鼻を摘みながら言った。

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