成幸の死、鬼姫は、清明は
「セ、イ、メ、イ」
まるで声にとてつもない圧力がかかっているような、下腹に響く鈍く重々しい唸り声が聞こえてきた。この重圧は死をもたらす死の百鬼夜行のものであった。
ゆえに、今回は敵と断言できた。
「よく私の名前を知っていたな。有名税ってところか」
清明の軽い口調で未だ見えぬ相手を見据えた。
「案外、敵と味方の定義なんて曖昧なところなんだがな…だがまぁ、今回は相手が悪かったよ。一応、あの親バカは陰陽寮の主な出資源だからな」
清明が今回依頼を受けた理由は野暮なものだった。
親バカと称された物部実頼の持つ権力はとても大きく、多くの部署の出資源であることを鑑みれば、依頼を受けないわけにもいかずそして失敗することも許されなかったのだ。だから清明に声がかかったのだ。今回の依頼は陰陽寮内でも極内々の者しか知らないことだった。
敵は、塀のすぐ向こうにまで迫っていた。
「数は十か? 二十か?」
清明は懐から呪符を取り出した。
今日は三十枚近く持ってきていた。一枚を作成するのに時間がかかるので眠ったのはほとんど明けた頃だった。
「これで少しくらいは楽になるか」
付け焼刃の戦力補助に少し憂慮した直後、視線の先、塀の上に黒い爪が刺さった。
大きさにして人間ほどの大きさをした黒い爪。塀の奥からはこちらを凝視する塀よりも頭ひとつ飛び出た鬼がいた。
あのどす黒い業と同じ色をした黒々とした一匹の鬼だった。
「わりとでかいな、でも一匹ってわけじゃないんだろ…?」
清明は数枚の呪符を投げた。
矛先は塀に掴んだ手だ。
呪符には『火球』と書いてある。空中に放り出された呪符は、瞬時に人間ほどの大きさの火球に変わり手に直撃する。爆音と黒煙を立てながら火球は連続して当たる、三発目にして塀に突き刺さっていた手がもげた。
「ずいぶんと耐久力が無いな、これではこんなに持ってこなくても良かったか」
清明が言うや、手が邸内に落ちる。
塀の向こうでは苦しそうなうめき声が響いている。すると、もげた手が独りでに立ち上がり五指ある右手は蠢いて、五つに分離した。
「うげ、あいつ群生型か…。やっぱ前言撤回。呪符が足りないかもしれないな」
百鬼夜行と呼ばれるからには単独ではなかった。
鬼は集団で群れを作る習性がある。なればこそ、群生というのは理に適っていた。
一匹あたりではそこまで強くなくても数を成すことでより強固な鬼として動けるのだ。
そして鬼が人間の姿を模しているのはきっと人間を襲うからだ。
「いったい何人喰らったらそこまでバカでかくなれるんだよ」
清明は心中に沸きあがる感情を吐き散らすように吐露した。
この鬼は単純計算で、両方の手足で二十本。二十体である。体内には何体いるか読めないが、つまりは今までそれ以上の人間を喰らってきたのだ。
落ちた手は分離して五指は、再び姿を変えていき、しまいには小さな人型の形になった。業の線で塗りつぶされ顔も分からない、黒い線の鬼である。知性が無いのかゆっくりとした足取りでこちらに寄ってくる。知性はなくとも明確な殺意だけは伝わってきた。
「全部倒さないと討伐できないか…」
清明は呪符を五枚取り出して放った。
それぞれ『火球』『水爆』『土塊』『金槌』『木檻』と書いてある。
一匹に一枚ずつ張り付いて発動する。豪炎で燃え散り、爆ぜた水を食らい消し飛ぶ、土に丸のみにされ、巨大な槌に押しつぶされる、木の檻が出現して格子状に細切れになって霧散した。
「残りの呪符は二十枚ほどか」
清明は巨大な死の百鬼夜行を見る。千切れた手からは黒い血が邸内に溢れていて、黒い水溜りからは大小様々な大きさをした鬼が量産されていた。
「いったい、何匹いることやら…あとは『召喚』するか」
ゆっくりとした、それでいて確かな覚悟を持って清明は攻撃の予定を組み立てている。
その瞬間、
「こるぅらぁああああああああああ」
けたたましい音で外門を蹴破る存在がいた。
気が付かないくらいの力しか持たない鬼姫の登場に清明はその音がする方を凝視してしまった。樫の木造りの分厚い門は蹴破られ何度も空中を舞い、重厚なだけに地面に着いて何回か跳ねて屋敷に突撃する。
その衝撃たるや実頼の屋敷の柱を何本もへし折っていた。
「なっ、鬼姫だと…」
何故、今?
そう思いながら清明は愕然とした。
この件に限って自分の想定外のことが起こるとは思ってもみなかったのだ。せっかく展開した人除けの結界を外門から外塀をぐるりと囲むように発動させたというのにも関わらずむざむざ壊したのだ。さらにあろうことか人の気も知らない鬼の少女は胸を張って立っていた。
清明が愕然としたのは、そのすぐ後ろに、鬼姫に追随する形で成幸が力無くたたずんでいたことだった。しかも、その様子は何やら正気ではない様子だった。
「成幸のやつ『呪』でも食らったか、というか鬼姫とどこで出会ったんだ。あのバカ」
『解』と書いてある呪符を一枚飛ばす。
素早く飛んだ呪符は成幸の胸につくと、成幸の顔には表情が戻った。
「せ、せいめい…。ここは」
キョロキョロと辺りを見渡す成幸は、この場所が物部邸であること知った。
「そうか、俺は鬼姫ってやつに…操られて…」
成幸は身体が疲労しているのか頭を抱えてその場に膝を折っていた。
鬼姫は清明の方を見ることもなく。
「案内ご苦労様。あんたもう帰っていいわよ。さぁ、女狐。どういうことか説明しなさいよ」
鬼姫は腰に手を当てて、もう片方の手、束子を持った手で、清明を指差した。
「ちっ、めんどうなことを…」
清明はその瞬間、どういう経緯で二人が出会ったのか脳裏で理解すると愚痴にならない愚痴を零し、敵を見た。邸内にはすでに数多の黒い鬼が降り立っていた。数にして七十前後。二メートルを超えるものから1メートルほどの大きさのものまでが歩いてきていた。
「圧倒的な数だな。おい、鬼姫。手を貸すか成幸を連れて逃げろ」
「何を命令しちゃっているのよ、あんたは追い詰められた方なのよ! それに、あんな気持ち悪いやつら、すぐにやっつけちゃいなさいよ。あんた強いんでしょ」
「守りながらの戦いは不利だ。お前が外門を破壊したから結界はもう役に立たない」
清明は呪符を全部取り出して鬼たち目掛けて放った。『火球』『水爆』『土塊』『金槌』『木檻』を三枚ずつ、計15枚の呪符が鬼たちを襲った。
すぐさま呪符による大爆発が巻き起こり、大きな黒煙が立ち込める。
「やった!」
「いや、あいつは群生型だから全部滅しなければならない…やっかいな相手だよ」
清明は一枚取り出し『転移』を成幸に投げた。
「うわっ」
短い驚きの声を上げて、外門にいた成幸は消え、縁側の和泉の部屋の中に現れた。
「そこから動くなよ。しめ縄の中なら安全だ」
「あ、あぁ…」
清明の声で落ち着きを取り戻したのか成幸は頷いていた。この場所では戦力外で足手まといと言っているのだ。
「群生ってあいつら全部倒すの?! 無理じゃん。あ、立ち上がった…うげっ、まだたくさんいるじゃん」
さきほどからは数が減り、数にして三十ほどの鬼がまだ消滅せずに生きていた。
「あそこまで小さくなれば、だいたい一枚あたり三匹くらいでやれるか…」
「じゃあ、やってよ」
「いや、もう持ってない」
「なによ、それ!」
「昨日はいろいろと忙しかったんだよ。って、言っている時間は無いな。これからは少しずつ持久戦でやるしかないか」
清明は懐から懐刀を取り出し、鬼たちとの距離を目測で測っていた。
「げげげ、私、いやよ!? 逃げればいいじゃない」
「聞け。親バカたちはしめ縄で守っているからここから離れることはできん。もしも逃げれば術が解ける。そうなれば和泉は助けられん」
「じゃあ、どうすんのよ」
「お前は自分の身は自分で守れ。いざとなれば成幸と和泉をつれて逃げろ。鯰顔の男の方はこの際、見捨てても構わん」
「何よ、あんなやつ…気にしちゃって」
清明の言葉に視線を落とした鬼姫は背後に迫る鬼に気付かなかった。
横薙ぎの一撃が髪を掠めた。
「あぶなっ! なにすんのよ!」
鬼姫は腰に下げた刀を抜き様に一閃して切り倒す。
胴を半分ほど切られた鬼は大量の黒い血を流しながら消滅する。すぐさま別の鬼が攻撃を繰り出すも並み外れた反射神経で回避するとすれ違い様に袈裟切りするとまるで豆腐でも切るように上半身と下半身が別離する。
「私に勝てるわけないでしょ、ってそれが分かる脳みそしてなさそうね」
消滅した鬼に豪語する鬼姫は清明の方へ目をやった。
「ふっ! やっ! たぁ!!」
迫り来る鬼の懐に入っては心臓を目掛け、刀身の短い刀を根元まで差し込む。引き抜き様に反転して背後から迫る鬼の攻撃をかわし、逆手に持った短刀で別の鬼の首を刎ねるとその場で宙返りのように跳躍して、大きめの鬼の額に向けて投げた。
その戦い方はまるで舞っているかのように思えるくらい軽やかな足取りだった。
「すごい…」
瞬く間に3匹の鬼を消滅させた清明は綺麗に着地する。
「これくらいお前もしようと思えばできるだろう」
「いや、できないし…」
刺さった短刀を抜くと大きめの鬼は声にならない苦悶の断末魔をあげて消滅していった。
清明は周囲を見渡すと小鬼の数匹が縁側を上がって今にも和泉たちがいるしめ縄の中に入ろうとしていた。
「何故、鬼が結界の中に…」
縁側にはしめ縄の結界を敷いていた。
百鬼夜行はおろか小さく分裂した小鬼ならなおのこと入れないはずなのだ。そう思い見渡すと清明は縁側の隅の支柱、先ほど清明が百鬼夜行を待って座っていた辺りに鬼姫が蹴破った門の残骸が支柱を折っていた。
その衝撃でしめ縄もたわんでしまっていた。
「そうか、外門でしめ縄の結界が壊れたのか…くそ!」
あれでは成幸を転移させた意味が無い。そう思うと、清明は即座に印を結んだ。
瞬時に清明の背後に三十ほどの火玉が現れる。それらはすぐに縁側の小鬼目掛けて飛んだ。器用に飛ぶ火玉は縁側に入った小鬼を落とすように弧を描いて真正面から当たる。後方に爆音と立ちのぼる黒煙とともに四散する小鬼たちの手足が邸内にある池に入り、黒く染まっていく。
「うげぇ。きもちわるい…。」
緊張感の無い声で鬼姫は見つめていると、黒煙の中から1匹出てきた。どうやら激昂している様子で獰猛で、甲高い雄たけびを上げていた。
「え、やったんじゃないの!?」
「くっ、やはり力が落ちているのか…」
不運にも重なり合った小鬼が衝撃を吸収してしまったのだろう。
術の威力が足りなかったと清明は後悔した。
突如、胃の方から血の味が上がってくる。そして、清明は得も知れぬ疲労感が襲った。すぐさま顔は青ざめて血の気が引いた。急激に足に力が入らなくなり前のめりに地面に崩れる。咄嗟に顔を手で庇うも震える腕にも力が入らないのかうつ伏せに倒れてしまう。
「ちょっと大丈夫?!」
鬼姫はあたふたとしながら鬼たちと清明を見比べ、なるべく清明の方へ鬼を行かせないように大立ち回りをして、叫んだ。
「私のことはいい。ヤツを止めなくては!」
そういう清明の視線の先では小鬼は和泉を襲うべく縁側を這い上がっていた。
「でも、あんた身体弱っているんでしょ…人の心配している場合!?」
清明と鬼姫の周辺に鬼が群がりだしていた。
「逃げることはできん。逃げれば和泉は死ぬ。業の線はどんどん和泉の生命力を奪っている。あの調子なら今晩が限界だ」
「で、でも…下手すればあんた死んじゃうんだよ?」
「大丈夫、私は死なないさ」
そう言った時、何者かの走る足音が聞こえた。
その足音の主は土足で縁側を駆け抜け腕には和泉を抱き上げていた。
「成幸、いつの間に…」
そしてそのまま縁側を降りて清明の方に駆けてくる。
数匹の小鬼たちはそれを見て追いかけた。
「お前は逃げろ!」
「俺が清明の言うことを聞かずに戻橋なんかに行ったから…すまない」
そう言うと成幸は和泉を抱えて邸内を走る。小鬼が鋭い爪を横薙ぎに振るも寸前で回避する。
「あいつやるじゃん」
「くそっ、そのまま門外に出ろ。お前を失えば私は…」
清明は懇願した。
立ち上がろうにも足に力が入らずに立ち上がれなかった。
後、数メートルで清明のところにたどり着こうとしていたところで、背後から素早い動きで大きめの鬼が現れ、その腕が成幸の肩を裂いた。
「っ!?」
成幸はその拍子に足がもつれて和泉を手放して転んでしまう。
すぐさま立ち上がるも和泉の前に鬼が迫っていた。あげる声も無い程に緊迫した中、成幸は腰に下げていた刀を抜いた。二メートルほどの鬼の首を目掛けて突き刺す。刀は鬼の首の奥まで到達した途中でキンッと音を立てて折れた。首からは黒い血が少ししか出ておらず、鬼は標的を和泉から成幸に変更したように向き直る。
「あ、あいつ…もしかしてヤバい?」
焦る鬼姫の言葉の直後、鬼の腕が振り下ろされる。
ぐしゃ。
肉を切り裂く時、そんな音が出るのだろう。
成幸の身体がゆっくりと崩れ落ちる。
左側の心臓から肩甲骨にかけて鬼の手が出てしまっている。その場には人間という血液が詰まった袋から、ほとんど血が毀れたような赤い水溜まりができている。
胸から飛び出た鬼の手が抜かれると堰を切ったように喀血していた。
「成幸!」
清明は腕で身体を押し上げると力の入らない足で疾駆した。数メートル走ろうとして前のめりに大きくこける。
「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
鬼姫は駆け寄り清明を起こそうとする。
「あいつの、成幸のところへ。わ、私が助けるんだ。この命にかえても!」
「ちょ、えぇ…。その前にあの鬼を倒さないと」
「成幸!…くそっ。何か手段は…」
黒い鬼は鬼姫を目掛けて攻撃を繰り出した。
「うわっ、危ないわね。私も鬼だって分からないかなー」
鬼姫は鬼の攻撃を余裕のある素早さで後退しながら回避する。迫り来る鬼をその場で一刀両断にすると、すぐさま和泉を抱えて成幸のそばに這ってでも近付こうとする清明に駆け寄った。
清明は自分の衣服に付くことも厭わずに血まみれの成幸の身体を愛おしそうに抱きかかえていた。
「まだ温かい…。まだ命がある…。これならいける…。おい、鬼姫!」
清明は叫び、自分の親指を噛んだ。
深い歯型のついた親指の腹から血が出始めていた。懐から取り出した呪符に自らの血文字を刻むと成幸の貫かれた胸に添え、身体を優しく地面に置いてその場に立ち上がると、鬼姫を抱きしめた。
「え、え、え!?」
清明は、咄嗟のことで動揺して顔を朱くしている鬼姫の左胸に右手を這わせた。
「…すまないな。これから先、私を恨め」
清明はもの悲しげな顔で、手に持ったもう一枚の呪符を、成幸の血で書かれたであろう呪符を鬼姫の胸に貼り付けた。
『契』
そうあった。
「な、なに…」
するの。
鬼姫は、その言葉を言う前に突如湧き上がる血液で上手く発音できなかった。
見れば清明の手が、呪符諸共自分の左胸にめり込んでいた。
致命傷と思わしき傷に対しては不思議と痛みは無いと聞くがその通りだった。
冷静にただ自分の胸に清明の手が入っているとしか見えなかった。
痛みは無く、しかして行き場を無くした血液は出口を求めて口から毀れ出てきていた。清明の手は本来そこに収まっているはずの臓器に到達するとそれを鷲掴みにして引っ張り出した。
その勢いでまるで糸が切れたように鬼姫は小脇に抱えた和泉を落とし、数歩後ずさり崩れ落ちた。成幸の身体が引っかかったのか奇しくも成幸に重なり合うように倒れこんだ。
二人分の血液がその場で波紋を広げていた。
清明はその光景を静かに見ながらたどたどしく歩くと鬼姫の心臓を成幸にあてがった。
突如、強く光が発光し鬼姫の視界は完全に暗転した。
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