和解の後

朝餉の頃の話である。

清明の屋敷で朝餉をご馳走になった。普段、清明と橋姫の二人で食事を摂るらしい。

本来、侍女というのは主と共に食事をすることは無いのだが清明の屋敷では一緒に摂るのが慣わしのようで、部屋には上座に清明の食事が用意され、向かいには成幸の席が用意されていた。橋姫は二人から見て横、縁側の方に自分の席を用意していた。

いつもなら清明の向かいは橋姫なのだろうが今日は成幸に気を遣って譲っていた。

いや、今日はそうではないのかもしれない。

先ほどからバツが悪そうに伏し目がちになりながらご飯をよそっていた。

盗み聞きをしていたことへの罪悪感からなのだろう。普段の気さくで明るい雰囲気から程遠いほどに大人しかった。

成幸は用意された自分のお盆の前に座る。

白米、九条ねぎの味噌汁、茗荷の乗った豆腐、漬物、あと干し鯛である。朝なのにまるで豪華な夕食のような料理が並んでいた。きっと橋姫なりのお詫びの印なのだろう。

そして、上座に座っている清明の前には、朝だというのに熱燗が用意されていた。

それを見つけた清明は、妙齢の美女とは思えないほど子供のようなニンマリとした笑みを浮かべいそいそと猪口に注いで舐めるように酒を飲んでいた。

そこへ、

「おい、成幸」

味噌汁を飲む成幸が返事をする前に清明は続けた。

「今日、お前、絶対に私を尾行するなよ。」

「…もうしない」

成幸は用意された朝餉を昨日言われた通り礼儀正しく食べていると、さきほどの話を気軽に蒸し返してくるあたり、清明の肝は太いのだろう。

その一言が原因で成幸の返答は遅かった。

「そうか、ならいい。橋姫も今日は外に出るなよ」

清明は続いて、橋姫の方に視線を向けた。

「…はい」

今まさに白米を掬った箸が口に入ろうとしていた際にかけられた言葉に、ただでさえ落ちている肩をさらにしゅんとさせ、身を縮こまらせていた。

「………。」

「………。」

「…………。」

沈黙。

沈黙である。黙々と朝餉の時間が過ぎていく。一口一口がやけに小さく感じるほど長く感じた。耳を澄まさなくても表の通りを歩く人の声が聞こえてくるほどに静かだった。

「あー、お前たち? もしかして私が怒っていると思っていないか?」

そして、珍しいことに誰よりも早く口火を切ったのは清明だった。

「違うのか?」

「違うんですか?」

「…二人して心外だな。今日は、物部邸に行って文字通りの鬼退治をせねばならないからな。幸いここには結界が張ってある。この様子なら橋姫は大丈夫だろうな。後は、成幸が来なければいいだけの話なのだ」

それにしても清明は、不慣れな感じに説明する。普段はしないのだろう。言葉が拙く、まるで搾り出すようにたどたどしかった。

物部邸。その名前に成幸はすぐに思い当たる。

物部は清明と同じく公家である。しかも、帝とは血縁関係もあり清明と比べても遥かに権力を持っている。あれだけの名家に足を運ぶことが出来るのは数が少ないだろう。

「分かりました。本日は、清明様が戻られるまで屋敷からは出ません」

「うむ、それでいい。で、成幸はどうだ?」

「俺も、行かない。これから自宅に戻って一眠りする。昨日は寝ておらんからな」

「そうか、安心したぞ。お前の吉兆の方角は西が凶であるからな」

「む…」

成幸は今、為雅の屋敷に世話になっているのである。為雅の屋敷は清明の屋敷から西の方角であった。

「あ、それでは今日は一緒に屋敷におられますか? お布団用意しますよ?」

「い、いや、結構です…。自分の布団で無いと寝れないんだ」

「なんだぁ? ここは童貞の臭いがぷんぷんするなぁ。そんなことではいつぞやみたく夜這いに行けないぞ?」

「え、成幸様。行ったことあるんですか?」

「いえ、ありません!」

「そうですよね。行った挙句に、未だに童貞なら。成幸様はただの役“立たず”すものね」

「おいおい、橋姫。あまりいじめてやるなよー。まぁ、昨日、私の裸を見てもあの様子ではもしかすれば男色家かもしれんからなー。」

ははは、と邪悪な笑みを浮かべる。

「どうしてだろうか。このままでは俺はこの屋敷にいる限りずっといじられそうな気がするんだが…。」

「ええ、そうですね。私、成幸様が来てくださって本当に良かったです。反応が初々しくてとても素敵です」

橋姫はこの後見れそうもないほどに今日一番の溢れんばかりの笑みを浮かべる。清明が怒っていないことを知り、胸のつっかかりが取れ、溜飲が下がったのだろう。

「素直に喜べません…。」

しかし、その分の皺寄せがどうやらこちらに来たような気がする。

「橋姫は口撃が上手いからなぁ。以前、為雅が門の前にいた時もそれはもう悲惨なほどに言葉を浴びせて泣かせて帰ったほどだ」

無念、為雅殿…。

成幸は心の中で、合掌しながら干し鯛に箸を通した。



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