疑念


―翌日―

布団からようやく抜け出した清明ははだけた寝巻き姿を直すことなく縁側を闊歩していた。長い黒髪は寝癖で小爆発を起こししており、薄手の寝巻きからはいまにも毀れそうな大きい乳が揺れていた。なにより身体の線が目立っていた。寝癖でうねった長い髪がかえって扇情的で、滴るような女臭さが滲み出ていた。

しかし、本人は恥らう様子もなく縁側を大股で歩き客間への障子を開けた。

「なんだー? 朝の早くから。いったい何の用だー?」

客間の中には昨日の頭でっかち源成幸がいた。

静かに下座に鎮座する姿勢は堂に入っていた。

静謐。

まるで長年修行に励んだ僧を思わせる。

その場が寺の澄んだ空気であるように清明は感じた。

「………。」

成幸はこちらに視線を向けることもなく静かに上座に用意された席を見つめていた。

…座れ、ということか。

成幸の態度を理解した清明は大股で中に入ると乱暴に、あぐらをかいて上座に座った。

「お前の望む通りに座ったぞ。で、どうした?」

「昨日の夜、お前を尾行した」

成幸はそんな清明に眼もくれずに言った。

「おいおい。いくら私が美女だからと言ってそんな変質者のようなことを…」

「羅生門にて鬼と仲良くしていたな」

清明が茶化すように言う前に、成幸は言葉を遮った。視線は真剣に清明を見眇めている。精悍な顔つきはどこか冷淡なものだった。

昨日のような浮ついた感情は一切無かった。

つまり、本気だった。

「…そこまで着いて来ていたのか。で、どうだった?」

そう言うと、成幸は頑強な顔をしたまま答えた。

「何がどうだった、だ」

「百鬼夜行を見て、だよ。どう思った?」

意地の悪そうな顔をしながら清明は成幸に問うた。強がりでも言おうものなら、昨晩の羅生門の幻影でも見せて慌てふためく様を笑ってやろうと思っていた。

「恐ろしい。素直にそう思った」

しかし、当てが外れようで清明は一度目を瞑った。

成幸はゆっくりと口を開くと言葉をつづけた。

「清明。相手は鬼や妖怪だ。何故討伐しない?」

「人間は、人であっても討伐するだろうに…」

清明は肘座に頬杖を突いていた。

成幸の視線は清明から外れない。

無駄な話は聴かない。というつもりなのだろう。

「お前はあの百鬼夜行どもに恐怖したと言うのだな? 何故だ?」

清明は胡乱な様子で立膝をついた。

「鬼や妖怪は人間に仇なす者たちだ。怖いに決まっている。お前はその害から人間を守る立場だろう」

「鬼や妖怪はみな、人間に害を与えるとは限らないよ」

「もしもその話が本当だとしても、害を与える鬼や妖怪もいるだろう。降りかかる火の粉は払わねばならない。それが陰陽寮の、牽いては朝廷の意向だ」

「権力者どもの意向、の間違いだろうに」

成幸の口上に対して、清明の軽口は止むことがなかった。

「昨日の会話で、為雅殿に蛙を投げたのはあの百鬼夜行であることは分かった。あの行動は害だろう?」

「んー、まぁ。白か黒か言えばそうなるな。命を落とさずに幸いだったな」

清明の言葉はどこか軽い。成幸は早くも業を煮たたせていた。

「清明、お前はどちらの味方だ」

「味方?」

「そうだ」

「何と何が対立しているのだ」

「決まっている。人間と妖怪だ。お前はどちらの側だと聞いているんだ」

成幸の語気が強まる。

「もし、私が妖怪だと言ったらどうするんだ」

「そのときは…」

そう言って、左側に置いていた刀を見ることも無く左手を動かす。その際、清明から視線は外さない。刀には触れないまでも、十分に伝わっていた。

源成幸という一介の文官に過ぎない男は、どこで覚えたのか剣術の腕はそれなりに立つと清明は踏んだ。

そして、決意は見て取れた。

「はぁ…お前は、人間と妖怪が敵対関係にあると思っているのか?」

清明は大きく、息を吐いて髪を掻いた。

「そうだろ。人間に害をなすのが鬼や妖怪だ」

「昨日、羅生門にいた鬼の姿をした娘がいただろう。あいつも、切り殺すべきか?」

「…鬼であるのなら」

「人でないのなら、か」

成幸の言葉に清明が被せる。

「鬼や妖怪が何故、出現するか知っているか?」

「………知らない」

知ったことではない、と言った投げやりな物言いだった。

「そうだろうな。これを機に教えておいてやる。鬼や妖怪は、素は人間の“業”だよ」

「な、に…?」

成幸は目を見開いた。

「人間の、それも強い業だ。非業の死を遂げた者は現世に未練があるから化けて出る。嫉妬に狂った女は貶めた男を呪い殺す。死んでも生に執着するばかりに転生を繰り返す者だっている。時に、貴族の中では色恋を嗜みと思っている連中も多いだろう」

そう言って、清明の長い睫毛を乗せた視線は、成幸を、成幸の背後を見ていた。それは、彼の叔父である鹿島為雅を指しているような遠い目だった。

「貴族連中を含めて、人間の感情に唆されて集まった念が、業が、作り出したのが鬼や妖怪だよ」

「………」

鬼や妖怪の素は、人間の業。

言葉を失った成幸は思い出していた。昨日、見た百鬼夜行の中には物の形をした妖怪が多かった。お椀の妖怪をはじめ、皿や割れた茶器、工具や、陶器、戸板から手足が生えたものまでいた。清明の話を鵜呑みにして考えてみれば、あれはきっと人間のそばにいたために魂が宿ったのだ。

人間の未練や感情が形になったのだ。

「少しは私への疑惑は晴れたか?」

清明はそう言って、橋姫を呼んで朝餉の用意をさせようと立ち上がった。

「…あの鬼の娘もそうなのか?」

そこに、思案顔の成幸が表を上げる。

「あぁ、あいつか。鬼姫は…。さぁな、あいつについては私にも分からん」

「おい、清明。何かを隠していないか?」

「隠さんよ、何も。私にだって分からないこともある。だが、鬼姫は人を殺す鬼とはまた違った鬼だよ」

清明は成幸が頭を抱えているのを見るとそっと歩いて客間から顔を出すと、縁側にちょこんと正座して座って聞き耳を立てている橋姫の後ろ姿を見つけた。

「おい、橋姫。出歯亀は耳年増になるぞ」

「あ、いえ、私は! 成幸様がただならぬ様子でしたので、つい…。でも、いつでも止めに入るつもりでしたから!」

慌てて立ち上がり弁明をする橋姫をよそに、清明は慣れた様子で

「はいはい、分かったから。朝餉の準備を頼む。三人分な」

橋姫は脱兎の如く、台所に引っ込んでいったのを見送ると清明は成幸に振り返った。

「成幸、お前も食べて行け。その様子では朝餉はまだだろう」

「…なぁ」

「んあ? なんだ?」

「あの鬼の少女は人を殺す鬼ではないのだな?」

「あぁ、そう言っているだろう。あいつはここが弱いからな。まぁあいつに出来るのは精々、可愛い悪戯くらいだろうさ」

ここ、そう言って清明は人差し指で頭を指した。

一昨日の蛙のようにな、と清明は続ける。

「それを聞いて安心した」

成幸はその説明に妙に納得した。

あの鬼の娘と話したことはないが様子を見ていた中で、悪い鬼に思えなかったのだ。

「おいおい、もしかして、あの娘に惚れたのか?」

「なわけあるか。俺は、次第によってはあの娘も斬るつもりだった」

「一介の刀でそんなことはできないぞ。まず刃が立たんからな。僧が清めた槍か、特殊な手法で鍛えられた刀くらいだろうよ」

と、清明は続けて。

「もう私への誤解は解けたか?」

「いや、最後だ。お前が妖怪の出自を説明したところで結局のところ安部清明は人間の側だとも言ってないだろう」

清明は、ニヤリと笑いながら笑みを殺して、寝癖のついた頭をかき上げた。

昨晩、会った様子ではこれほどまでに頭でっかちなやつとは思っていなかった。

昨日の今日で認識を改める必要がありそうだ。

こいつは、頭でっかちではなくて、超頭でっかちなのだ。

そのことに気付いてつい笑ってしまいそうになったほどだ。

「人間の側だよ」

「本当だな?」

「あぁ、本当だ」

嘘など言うものか。と清明は言った。


 

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