羅生門の鬼

清明の後をつけながら、歩くこと二十分ほど。

場所は洛中の南方。

朱雀大路と九条通が交差する最南端に聳える大門が見えてきた。

暴風雨により半壊した傷跡がそのままに残っていた。

通称、羅生門である。

今夜は雲も少なく月が出ているとはいえ闇夜に紛れた羅生門は黒い塊に見えた。門が見える頃には成幸はある臭いに気付いていた。

鼻腔が麻痺を覚えるくらいの酸っぱさと、肉が腐った臭い。

この臭いを成幸は、わずかながらに知っていた。腐臭である。

ここには死が満ちていた。

このあたりは半年ほど前、疫病が流行ったのだ。

疫病は人から人に伝染する。

初めは何から伝染したのか分からなかった。

犬なのか鳥なのか、はたまた人か。

感染源は定かではない中、京は一時未曾有の危機に直面していた。

感染している者は隔離され、京には入れずに近くの橋の下で死んだ。

問題はそこからである。

疫病は残った死体からも伝染する。

死肉を食らう動物は縦横無尽に京に入り、それが人間に感染する。そのため貴族の中でも死人が出た。その内、どこからか火で焼くと収まるという噂が立ってからというもの。これ以上洛中に蔓延しないようにここら中心地一帯には火が放たれた。焼けた家屋はそのまま残り疫病に感染している者は野垂れ死んだり、京を追われて住処を変えたりした。

そんないわくつきの場所に好んで来る者はいない。

夜盗の集団でも足を向けないだろう。

「あいつは、ここに何をしに来たんだ…」

成幸は焼け落ちた家屋の内、残った柱に隠れていた。

そこから少し顔を出した先には清明がいた。

羅生門の敷居に腰をかけ、上階を見上げていた。成幸はそれにつられて羅生門を見上げた。暴風雨により半壊したはずの屋根の一部が焼け焦げていた。

「ん? 誰か小火でも起こしたのか」

羅生門周辺の治安の低下は人の気配を遠ざけている。その代わり、脛に傷を持つ者たちを集めているのだ。そういう者たちの中には羅生門の上階に住まう者もいる始末である。

清明はそんな天井を見上げて凝りもせずに瓶子に口を付けて呑んでいた。

「あいつ…。」

また吐くんじゃないか。

もう少しして、何もなければ。成幸はもういっそ清明を置いて帰ってしまおうと考えた。いくら橋姫の助言だとしてもこんなところにいるのは気味が悪いのである。

もしかして橋姫は清明の徘徊癖を伝えたかったのか?と、さえ思っていた。

そのとき、

「待たせたわね」

羅生門の上階から聞こえてきた。

「なぁに、いいさ。ほとんど待ってない」

清明は、夕方会ったときと同じような口調で言う。

「ふん、わざわざ本体で登場するなんてどういうつもり?」

「夜は力が溜めやすいからな。こうして、本体で動いた方が力を使わずに済む」

「ふぅん。あんた、京で一番強い陰陽師なんでしょ。そんなに温存しておく必要あるの?」

少女は訝しげに尋ねた。

「力とはいつでも温存しておかないと有事の際に使えないだろう」

清明は、言いながら瓶子の酒を一口含んだ。

「ふん。なら、ここでその有事っていうやつを起こしてあげてもいいんだけど?」

「やめとけ、やめとけ。力を使えないとは言ってないんだぞ。使わないだけだ。その気になれば、お前くらい調伏もせずに消滅するぞ」

清明の言葉に少女はやや恐怖したようにたじろいでいた。

「そ、それは困るわ…。いいわ、見逃してあげる」

「そうかい。ありがとう。そうそう昨晩は上々だったな」

「ふん、私たちにかかればあんなの楽勝よ。その気になればもっと投げられたわよ…ってどうしたの? なんだか調子悪そうだけど」

「ふっ、気にするな。己の力を過信した者が受ける報いだ」

清明は、ニヒルな笑みを浮かべていた。

酒に呑まれて吐いただけだろ。

成幸は喉まで出掛かっていたつっこみを堪えて柱に身を隠していた。

月夜の明かりは雲に遮られていて依然として相手の姿が見えなかった。

「へぇ、あっそ。で、次は何をすればいいの?」

清明の様子に気付くことなく、少女は言う。

「そうだな…。今度は戻橋を一晩で綺麗に磨き上げるというのはどうだ? きっと、みんな驚くぞ?」

…お前の吐捨物の掃除かよ。

「えー? また、そんな手間のかかること…。まぁ、驚かせられるならいいけど…」

しぶしぶ承認した少女に清明は

「あぁ、任せたぞ。鬼姫」

そう言った。

鬼の姫?

「分かったわよ。でも、そろそろ、大掛かりなこともさせてよね。あ、今度は蛙じゃなくて蛇でもいい?」

ケラケラと笑う鬼姫と呼ばれた少女の声に、清明は変わらない口調で答えた。

「それはいいじゃないか。盛大にやれ。百鬼夜行の連中と競うのはどうだ?」

その言葉に、成幸の脳内は凍りついた。

今、百鬼夜行と言ったか、清明は。

そして、出てきた言葉、鬼姫。

成幸はさっきより大きく顔を出して、よくよく見てみた。

ちょうど、そこに雲に隠れた月が顔を出し相手の姿を映し出す。

煌びやかに長く朱い髪。凶暴そうに鋭い目は髪と同じく朱色に輝いている。開けた口元から覗かせた歯並びは肉食動物を思わせる鋭さを持っていた。

白色を基調として朱い紅葉柄が施されている着物、腰には黒い鞘に納まった刀を下げていた。

「朱い…鬼?」

年齢は、自分と同じか或いは少し下のような童女からいくつか成長して少女の姿をしていた。その姿を一目でも見た者はあの姿に見惚れるだろう。

美しい、麗しい、そんな美辞麗句を並べられ、重ね合わされた鬼がいた。

一匹の、一人の鬼がいた。

鬼、あれが鬼。

成幸は自分の目を疑った。

あれが鬼なのか?

しかし、すぐに自分の疑いは晴れた。朱い髪をした少女の周囲に夥しい数の人の形をしていない妖怪が群れをなしていた。

それに他ならぬ清明が言ったのだ。

だから間違いはないだろう。


鬼とは、人間の敵である。

曰く、鬼に出会えば生きたまま首から食われる。

曰く、鬼と口を聞けば、とりつかれる。

曰く、鬼は美しく人を誑かすのが上手だ。

巷を騒がし、京の都を跳梁跋扈する百鬼夜行は皆、往々にして人間に害悪をもたらすと言われている。

そこで当然の如く、ある考えが成幸の脳裏に浮かんだ。

…人間の敵なら、何故清明は鬼を退治しない?

ああして座っているとまるで鬼の少女の仲間のような口ぶりではないか。

「それいいわね! よし、今度みんなでやろう蛇投げ。そうともなれば、早速山に蛇を取りに行かないと…その前に、橋を磨くのね。いいわ。やってやろうじゃん。うおお、燃えてきたー。」

鬼姫は男勝りな言葉を使うらしい。分かりやすいやる気を出したようで大げさに準備運動をしていた。

「はっはっは、頼もしいな。では、頼むぞ」

その様子を清明は羅生門の柱に腰掛けながら見つめていた。

瓶子に口をつけていた清明の近く足元の付近に小さな妖怪が集まりだし、それを優しく見つめる清明がいた。

たくさんの有象無象の群れの中から、お椀から足が生えた妖怪が出てくる。

「どうした? 酒が欲しいのか?」

小さな妖怪たちはくぐもったような声にもならない声を出す。

頷いたように見える。

「これは中々に良い酒だぞ。心して呑めよ」

清明は瓶子を傾け、お椀の妖怪に注ぐ。小さな妖怪たちは飛び跳ねて喜んでいた。並々と注がれたお椀の妖怪はすぐさま走り去っていく。それを追って他の妖怪たちが走っていく。

「酒なんていいものじゃないってのに、あいつらときたら本当に調子が良いんだから」

やれやれ、といった顔で鬼の少女は清明が腰掛ける柱にもたれかかる。

清明に近いようで遠い距離、数歩ほどで届く距離を保ちながら、ちらちらと清明の姿を見ていた。

「ん? お前も、飲むか?」

清明は視線に気付いたのか、鬼の少女の方を見ることなく瓶子をちらつかせる。

「やだ。もう、絶対呑まない。それ呑んだ次の日、すごい頭痛かったんだから」

「こいつを美味いと感じて呑めるようになれば、お前も大江山を棲家にしていた酒天童子くらいには強い鬼になれるというのに」

「え、そんなに強くなれんの? …って、前、あんたはそう言って飲ませたんでしょ!」

「あれ? そうだっけ?」

空笑いをした後、清明は月を肴に飲んでいた。

「そうよ。自分が言ったこと忘れないでよね」

鬼の少女は清明との距離を保ちながら腰掛ける。視線の先には、小さな妖怪たちが群れをなして走り回っていた。酔っているようで、妖怪たちは切れた凧のようにくるくると回ったり、ぶつかりあったりしながら騒いでいた。

その様子を、他愛の無い話をしながら二人の、陰陽師と鬼の少女は眺めていた。

「なんだよ、それ…」

なにしているんだよ、お前。

お前、安部清明だろ。

人間の味方だろ?

相手は、妖怪だろ。鬼だろ。何をそんなに親しげにしているんだよ。封書の中にはこいつらの討伐って書いてあったんじゃないか。それを放棄してまでこいつらの、妖怪なんかに肩入れするのかよ。

まるで頭を鈍器で殴られたようなそんな衝撃があった。

成幸は知らずに拳を固めていた。

今日は朝からいろんなことが起こっていてそのどれもが分からないことだらけだったけど、最強の陰陽師の安部清明がすべて解決するものだと思っていた。

人間を守る最後の砦、勝手にそう思っていた。

でも、違った。

成幸はその場を離れた。

ぐるぐると頭の中で考えが蠢いている中でたった一つだけ分かったことがある。

橋姫が言いづらそうに伝えたいこと、それは、


「…あいつは、鬼の味方だ」

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