戻橋 夜


「ふぇっくしょいっ」

あの後、成幸は自宅には帰らずに清明の屋敷の門を見張るために近くの草むらに隠れていた。

「今宵というのは何時か聞いておけば良かった」

門を出てからすでに三時間が経過する頃だった。

周囲は最近出没する百鬼夜行が原因なのか静まりかえっていた。

成幸は少なからず心細さを抱いていた。

そもそも、『枝』を持っている清明にこんなところで隠れるのは意味があるのかどうか分からなかったが橋姫の様子からだとこうしておけば大丈夫だという。

『ああ見えて清明様は今、力を失っていますから』

その言葉が脳裏をかすめた。

「力を失ってもなお、『枝』とか『模』とか使えるんだよな。それってすごいことじゃないのか…。」

では、力を失う前はどれほど凄かったのだろう。というか、何か力を失うようなことをしたのだろうか。

そんなことを考えていると

ギィィィ

「動いた」

成幸はずっとこの場所にいたので夜目が利くようになっていた。

清明の屋敷の門に視線を向けると清明が一人で出てくるところだった。

夕方頃に見た白い狩衣姿。手には瓶子を持っていた。

「あいつ、まだ飲んでいるのか」

あの後のことは分からなかったが、恐らく橋姫さんに諌められたはずだと予想していたのだが懲りずに瓶子を持っているあたり、のらりくらりとやり過ごしたのだろうか。

「って、あいつどこへ行くつもりだ…?」

清明の後を追うと、ふらふらとした足取りで南へ向かっていた。

「こんな夜にどうしたんだ…?屋敷から出ないって橋姫さんが言っていたよな」

成幸は朝からの出来事を思い返してみたものの何がなんだか分からないことだらけだということに頭を抱えた。

「では、あれも『模』なのか? …やめだ。きっとあの清明を追えば理由が分かるんだろ…。というか、分かるのか?」

視線の先には千鳥足の清明が南の方へ歩いている。

その姿は紛うことなき酔っ払いである。

その時、清明は、一旦戻橋の前で立ち止まると静かに佇んでいた。

その瞳にはどこか哀愁帯びたものがあった。

「戻橋に何かあるのか?」

「っ、…。っ、………っ。」

泣いている?

清明は、戻橋の欄干を優しく撫でるように手をやり、その目から大粒の涙が溢れて頬を伝っていた。何かを堪えようとしていたのか肩を震わせて嗚咽を漏らしていた。

やはり戻橋には何か思い入れがあるのか。夜中に屋敷を抜け出してまで何かをしようというのだ。先ほどまで疑っていたが橋姫の話は信用に値することだった。だとすればきっとあの涙は力を失った理由に関係しているのだろうか。

「っ!」

成幸は居た堪れなくなった。

夕方の橋姫ではないが後ろから抱きしめたい気持ちになった。

そんな弱々しい背中をしている。

橋姫の伝えたいことが何にせよ。男として、あのような背中を見せられては放ってはおけない。

成幸は、駆け出そうとして物陰から―

「せいめっ」

「おええっ…」

と言いい

「飲みすぎた。気持ち悪い…。」

清明は橋の下に向けて、盛大に吐いていた。

「……………」

あぁ、さっきの言葉を訂正しよう。

やはり力を失ったのは戻橋とは何も関係が無い。

橋姫の言いたいことは分からないがどうせたいしたこともないのかもしれない。

「あー、けっこう吐いたな。おえっ。まだ気持ち悪い。もう帰りたいなぁ…。」

屋敷を出てまだ数分ほどしか歩いていないのに、既に泣き言を吐く清明はしばらくその場で息を整えているとまた歩き出した。おなかを摩り、若干前かがみになっていた。

完全に酔っ払いの風体である。

「あれが、京で一番の陰陽師の姿かよ…って、帰るんじゃないのか。あれだけ吐いたのに一体どこへ行くつもりだ」

成幸は、百年の恋も冷めるような気持ちになりながらも後を追うことにした。


       

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