過去と今とこれからと

 暗い色合いの木材から、ほのかに香る木の匂いが気持ちを落ち着ける。大きな窓からは、ブラインドが掛けられているのに明るい西日が入ってきて、店内の暗さを感じさせない。むしろ、ブラインドが掛けられているおかげで、丁度良く日が入ってきている。

「はい、こちらダージリンティーとカフェオレです。牡丹ちゃん、今日もありがとうね。」

 いかにも喫茶店のマスターといったおじいさんが、アタシたちの注文したお茶を持ってきてくれた。

「マスターも、いつも美味しいお茶をありがとうございます。いただきます。」

「あっ、えと、アタシもいただきます。」

 言うタイミングを逃してしまいそうで、慌ててアタシも言う。マスターは優しく微笑んで「ごゆっくり」と言うと、カウンターへと戻っていった。

「センセーってあのマスターと知り合いなの?」

 先生は、お茶を一口飲んでからうなずいた。

「うん、ここのマスターのお孫さんが私の患者だったんだ。前に、疲れて白衣のままここに入っちゃってね、そこでマスターに話しかけられて。丁度、患者を診てない時だったから引き受けたの。」

 そう言ってまた一口、お茶を口に含む。

 先生は、誰のシンドロームでも克服させられる。けど、そのジョーカーみたいな特性の代償として、克服までにかかる時間は長くなってしまう。それを差し引いても、先生の感起師としての腕はすごい。

 ここのマスターのお孫さんだって、本来のパターンなら、アンケートや初期診察で相性を確かめてから本格的な治療に入るはずだった。

 でも、先生はそんなことしなくても誰でも克服に導けるから、その過程をすっ飛ばしていきなり治療を始められるし、克服させてきている。

「やっぱり・・・、やっぱりセンセーってすごいね。」

「どうしてそう思うの?」

 先生はわかりきったような顔で質問してきた。どうしても、アタシに言わせるつもりだ。

「だって、センセーは色んな人のシンドロームを克服させててさ。誰だってセンセーにかかれば大丈夫って思えるくらい色んな人を克服させてきたじゃん。」

 先生は、少しの間考えこむように唸ってから、アタシに向かって話し始めた。

「確かに、私の実績は、特定の層に絞られずに様々な人のシンドロームを克服させてきたことよ。でもね、真春ちゃん。私がここまで至るのに、私たち感起師が感起師としていられるのは少なくない犠牲が伴っているの。」

 先生は一息ついてお茶を飲む。アタシも、妙に緊張して乾いた口の中を潤すためにカフェオレを飲む。

「これはね、医療の世界で見たら珍しいことじゃないの。道徳や人権なんて話をされたら、ちょっとややこしいことになっちゃうけどね。」

 生き物の身体というのは、何が起こるかわからない。治らないとされていた難病を、自分の力で治した人がいるというのは珍しいことではない。それ以上に、手に負えない難病を治せずに惜しくも亡くなっていった人たちの方がはるかに多い。そのことに対して、道徳や人権の話はしにくい。例えば、新薬やリスクの高い治療法を取らざるを得ない状況で命を落としてしまったら。極限状態の、お腹に赤ちゃんがいるお母さんが、自分の命か赤ちゃんの命かの選択を迫られたら。時に、医療というものは残酷にならないといけない。

「けどね、真春ちゃん。だからと言って、それを責め立てることは許されないの。その人の命が、他の人の命を救うから。人体の解剖だって、道徳も人権も踏みにじっている行為のはずだよ。でも、私たちはその人たちによって救われ続けているの。」

 確かに、先生の言うとおりだ。その実感が得られないからいつも忘れがちになってしまうけれど、アタシたちは誰かの命によって生かされている。

「それでさ・・・、センセーの言ってることはわかるんだけど、それが感起師とどう関係してるの?」

 先生は深呼吸をして、アタシに向き直る。

 その口からは、当たってほしくない予想と同じ言葉が紡がれた。

「その、悠誠くん、他のシンドローム末期患者さんたちはね。今の私たちの技術じゃ、奇跡でも起きない限り克服できないって言われているの。あくまでも、言われているだけだけどね。そして、その人たちは、特別カウンセリングって言うていでモニタリングされていて、他のシンドローム患者の克服のためのサンプルになっているの。早い話が、人柱ね。」

 アタシは、詰まった言葉を無理矢理に吐き出すようにして、先生の反論する。

「で、でもさ、末期患者でも克服する人は増えてきているし、数も減ってきているんでしょ?それならさ、奇跡なんて起こさなくても、いつかは・・・。」

 アタシは、先生が苦い顔をしているのに気が付いて、息を呑んだ。すごく苦しそうな顔だ。

「私はね。私は過去に、悠誠くんを観たことがあるの。私なら彼を克服させられるって思ってね。でも、ダメだったの。私は、私の実力を過大評価しすぎていた。他の名のある感起師たちもダメだったの。彼は・・・、それこそ、奇跡でも起きない限り、克服させられないと思うの。それだけ、深いところに行ってしまっているのよ。」

 何か、何か言わないと。こう考える度に、言葉が遠のいていく。先生は言葉を続ける。

「私はね、誰でも克服させられるっていう事実に驕って、自分を過大評価していたの。今でも、誰のでも克服させられるって言われると彼が過る(よぎる)わ。その都度、自分を戒めて、自分の実績に責任を持っているの。けど、真春ちゃんは自分を過小評価しているわ。今まで沢山頑張ってきたこと、私は知ってるよ。まだわからないだろうし、いきなりこうしろなんて言えないけど、今まで克服させてきた人たちのこと、考えてみて。」

 先生は言い終わると、立ち上がってカウンターへ向かった。会計を済ませたらしく、カフェのドアが開いて閉じる音がした。

「・・・。」

 アタシはしばらく、その場に座る事しか出来なかった。

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