10.花は咲く
突然ざわめきが聞こえて、僕はリリィから目を逸らした。
触手が二本、高く登っていた。交互にねじれて絡み合い、締めつけ合っている。その肉のあちこちに小さな刃が伸び、ムカデの足のように波打っている。刃の先が相手を引っ掻き、赤黒い血を撒き散らしていた。
触手の根本では、スーツの男たちが睨み合っていた。険悪なムードを怒声で悪化させている。ぶつかったか、因縁をつけられたのか、原因はわからなかったし、すでにどうでもよくなっている雰囲気ではあった。話している言葉は形をなさなくなって、見る間に身体が崩れ始れていく。綻んだ皮膚は空気中に霧散して、剥き出しの肉塊が勢い良く相手を鞭打った。
「誰の背中にも触手があるってことは、誰かが誰かを加害しうるってことだよ」
騒動を見つめながら、リリィが言った。
「みんなが無視できることを、君は感じてしまう。君は優しすぎるからね」
「それが、この景色の正解?」
「そう思うのは君の自由」
そういいながら、リリィは僕と向き合った。
「なんにせよ、ボクは君にそれを与えた」
例によって、僕の手にはダガーがすでにあった。
「それが君のとっての触手の代わりだ。恐れることはないよ。ここは世界の真実だ。自然な意志に従えば、ヒトはヒトをひたすら殺す。どう、君。あれは醜い? 殺したい?」
「それは、醜いよ。でも」
言葉につまる。
僕は何を言おうとしたのだろう。
「君は彼らとは違うんだよ」
その声に、僕の息は止まった。
「君はあいつらとは違うんだよ」
中学校の校舎裏で、夕里は僕の手を握っていた。力の籠もったその手のひらに、熱を感じた。脈動していた。僕ごと巻き込んで。
「私が保証してあげる。だから勝手に死なないで、諦めないで、足掻いてよ。苦しみながら耐え抜いて」
夕里は声が大きいわけでもないし、目つきがするどいわけでもない。しかしその言葉は身体の内側にするりと入り込んでいく。いつでもそうだった。
「苦しみ抜いた命の上には大きな花が咲くんだよ。それを私はいっぱい愛でてあげたいの」
そして夕里は、僕を立たせてくれたのだった。
僕が前に出たときは、化け物たちはとっくに人の姿を捨てていた。
グロテスクなオブジェに僕は声をかけて、向いた瞳を引き裂いた。引き絞られたカエルのような声が空気中に張り裂けた。まったく醜い存在だった。僕の前にはいて欲しくなかった。人間だとかヒトだとかどうでもよくて、彼らを消すことが僕の使命だった。それは僕の望みでもあり、そんなことを考えている間にダガーは気持ちよく振られ続けた。
力の限りに腕を振り、触手を切り落とす。呻き声が肌を撫でる。通りすがりの小さい化け物は無視して、とにかく暴れている二人に注力した。
真っ暗な地面の上に、やがて肉塊は横たわった。呼吸はあるから生きている。動かなければ興味はない。しな垂れた触手の束は次第に縮んで溶けていく。
赤い月が遠くなる。視界が眩んでいく。胸のうちは充実していた。薄れゆく意識の中で、僕は深く呼吸を続けていた。
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