9.受動的

 外に出ると、雨は止んでいた。湿気を帯びた空気が街に満ちていた。

 駅のロータリーへと続く幅広の県道では、ひっきりなしに人々が激しく行き来して、どこかへと去って行く。

 この街は、僕が暮らしている街よりもずっと都会だ。それでも夕里の高校の街の方がもっと栄えていた。大学となるとなおさらだ。夕里と同じ高校を目指そうとした時期も確かにあったけれど、学力的に厳しかったことや、そもそも勉強にほとんど興味をもてなかったこと、そして僕の周りの人達がみんな夕里の高校をまずは目指していることが、僕の意欲をことごとく削いだ。

 一緒になれない代わりに、百貨店を歩いている彼女の背中をテレビや動画に見る都会に反映させて、想像の中で膨らませた。人を嫌って、人混みを避けている一方で、都会への憧れは募る一方だった。それはきっと、廃屋が目立ちパチンコ店さえも潰れる地元の荒凉とした景色への嫌悪感に後押しされていた。

「僕の手は、握れないのかな」

 リリィについ、そんなことを聞いてしまった。リリィは目を瞬かせていた。

「夕里には何度か、お願いしたことがあったんだ。最初に会ったときも、手を引いてくれたから、それからなんか、癖になって。今でもたまに夢を見るんだ。夕里に助けてもらう夢」

 主な舞台は教室だった。何かで責められているときに、教室の扉が開くと、そこに夕里が立っている。僕の手を引いて、外へと連れて行ってくれる。

 中学生のときに夢想したのは、麦畑の外側にある国道までだった。その想像が、次第に都会の方へと変化していった。摩天楼へ向かって、夕里は跳ねるように、僕を連れて帰っていってくれる。

「助けてもらった後は、どうなるの?」

「どうにもならないよ。夢はそこで終わる。夢は所詮、夢だから」

「夢だからこそ、縋るのはやめられなかったんだね」

 リリィの言葉に、僕は深く頷いた。瞳の奥でツンと痛みを感じた。

 高校生のときも、大学生のときも、この街は夕里の通学経路の途中だった。定期券があれば負担はない。それでも、その時間は費やされる。あのさびれた百貨店にある書店は、東京のそれと比べたら言うまでもなく見劣りする。僕には大した話術もない。夕里がいくら笑っていても、本心から楽しんでいるとは、僕にはとても思えなかった。

 リリィには言わないでいるが、リリィと夕里の決定的な違いは僕との立ち位置だ。夕里は決して僕の横は歩かなかった。いつも夕里は僕の前を歩いていた。夕里が僕の隣を歩いていると、僕はいつもいたたまれなくなった。昔から、そうだ。僕は夕里と釣り合いは取れていない。僕にできることは夕里に縋りつくことだけだった。僕にはそれしか思いつかなかった。それ以外をする体力も忍耐力も足りなかった。僕がどんな風に見えるのかを忘れて、夕里が常に微笑んでくれるのをいいことに、その優しさにつけ込んでいた。

「ごめん」

 一言にまとめることはできないとわかっていながら、この言葉をもって逃げてしまいたかった。

 袖が引かれた。リリィが袖の端を摘んでいた。

 僕が触ろうとすると、リリィの身体をすり抜ける。リリィから触れるときはまだ感触がある。どういう理屈なのか、リリィに対して常に僕は受動的だった。

 ビデオ屋の黄色い看板が僕らを照らしている。リリィだということはわかっていても、伸ばされた腕と、引かれる袖の感触は夕里へと繋がっていた。鼓動が鳴る。血流が耳の奥で刻まれていく。

「ボクのことを夕里って、思ってくれていいんだよ」

 耳朶に残る声は、夕里のそれと変わらない。夕里の言葉ではないことはわかっている。それでも、惑わすには十分な響きを持っていた。

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