8.希釈
騒音の中で目が覚めた。眠っていたわけじゃない。上の空だった僕の意識が戻って来たような感覚だった。僕は立っていたし、それまでずっと立っていたような気がしていた。赤い空の世界の記憶が残っていることだけがおかしかった。
救急車とパトカーの、赤い光が明滅している。制服姿の警官が点在していた。床には血が点々と残っていた。それは先ほどまで僕が見ていた景色よりも遥かに少ないものだった。とはいえ、現実世界では立派な大事件のようで、野次馬たちが何人も詰め寄ってきていた。アイルのライブに吸い寄せられたよりも多い人の数が、僕らを奇異の目で見つめていた。
「君、大丈夫か」
声をかけられた。制服の、四十程の男が僕の肩を掴んでいた。振り解こうと思ったが、思いの外強く握られており、叶わなかった。
痛みが肩から身体の内側に迫ってくると、吐き気が込み上げてきた。
「お、おい」
警官の顔から険しさが消える。ようやく僕を被害者と認識したようだった。
うずくまった僕に、救急隊員が近づいてくるのがわかった。顔は上げなかった。腹に熱がこもっていた。見ると少し血が流れていた。僕の体から血液が染み出してきていた。
赤い光がりと明るすぎるLEDライト。それらに照らされて、僕は担架に乗せられた。痛みはある。全身が痺れている。それでも頭の隅はどこか冷静で、周りの様子をつぶさに観察していた。
多くの人が僕をみている。写真を撮って、それを警官が諫める。常識的な配慮を声高に叫んでいる。見ているのがつらくなり、空を見つめた。すっかり暮れた黒い空は、曇っているらしく、星も見えない。
「すべては希釈されたんだ」
救急隊員に聞こえないように、小さな声で僕は言った。
僕はあの少女を周りに探したけれど、その姿はどこにも見えなかった。たとえ首の力を振り絞って周りを眺めてみても、その姿は見えないのだろう。そんな予感がした。
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