5.夕里の喪失
古い記憶では幼稚園児の頃から、僕は彼女を見かけていた。同じ学区の中にいたから、その気になればいくらでも話せたけれど、きっかけがなかったから、中学生になるまで声も知らなかった。
孤立していた僕を夕里はかばってくれた。その関係性で僕の中学校生活は三分の一ほど埋まった。夕里の方が二歳上だから、三分の二はまた孤立して、連絡を恐々取り合いながら、息を潜めてひっそりと生きた。高校は夕里とは別だったけれど、度々彼女と会って、彼女の住む街を歩いた。僕を貶す人がいない時間は、つかの間の平和だった。
昨年の冬に、都内の大学に通う女学生がマンションから飛び降りたという事件が起きた。現場となった部屋がその女学生の元担任教師だというのが、そもそもの注目の原因だった。その女学生が夕里だとわかると、好奇の矛先が僕へと向けられた。被害者である夕里と僕との関係をわざわざ吹聴した人がいたのだ。興味本位の質問に僕が返答に
僕の父親は、かつて教師だった。とある教え子と卒業したあとにも個人的に連絡を取り合い、関係を持つ寸前にまでなった。
「まるで催眠術師の血筋だな」
教え子が父親を最後までかばっていたことと、夕里が僕を守っていたことが、重ね合わせて侮辱されるようになった。そこまではまだ耐えられた。僕が貶されるのはいくらでも構わなかった。
「その人は洗脳が解けても、性欲は減らなかったわけだ。かわいそうに」
もしも僕が大多数の人たちと同調して、事件の纏う淫靡な雰囲気を雑に野次っていたならば、状況は今ほど悪くなかったのかもしれない。けれど僕にはどうしてもそのような言い方ができなかった。夕里を悪く言うことは僕の信条に反していた。考えるよりも先に手が伸びて、上手いことを言ったつもりでいるクラスメイトに突っかかり、他の奴らに苦笑いで取り押さえられていた。
噂では、夕里は実らなかった恋に絶望して死んだことになっていた。そのような凡俗な決心を夕里が下すとは思いたくなかった。
その想いが、嫉妬心の入り交じった
状況の改善への目処もたたないまま、僕は全て心の内側に抱え込んだ。抵抗することもやめた。毎日のようにやってくる罵倒の嵐を耐え抜いて、日々を送るようにしていた。
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