4.ライブ

「それじゃ、よろしくね」

 そう言われて、アイルと別れ、僕はコンコースの入口の柱の陰に身を潜めた。スマートフォンに視線を落とし、待ち人来ずを演じながら、時折アイルを確認した。

 駅前広場のガードレールでアイルは仲間と落ち合った。ほっそりとしたその青年は、東京の方からこの地方都市までやってくる。SNSで知り合った人で、やはり名前は知らないのだと、前にアイルが笑って教えてくれた。

 駅前の開けた場所に移動して、ガードレールのそばに青年がマイクスタンドとアンプをセットする。足下には足つきの白板が置かれた。「アイル」の名前にSNSのアカウント名。片隅にはメンバー募集の告知。半年前に初めて見たときからずっと募集を続けている。アイルがマイクの前に立つのを確認して、僕は物陰から顔を出し、彼らのそばに歩み寄った。

 かき鳴らされたギターの音色に、アイルの声が重なる。人いきれの合間を縫って、僕は一定の距離を保つ。僕が立った位置が観客のおおよその最前線になる。お気に入りのアマチュアのツーピースバンドを聞いている、予備校の学生のフリをする。

 アイルの歌声が耳から入り、身体の奥に染み渡っていく。ボクには音楽の素養はないし、簡単な事しか言えないけれど、アイルの歌は好きな感触がした。


 昨年の冬に、あの人が亡くなった。その遺品の中に、アイルの写真があった。今と同じように、看板にSNSの情報があったから、興味本位でコンタクトを取った。それが半年前に、僕がアイルと直接相見えたきっかけだった。

 僕は度々、一人になりたいと思う。それでいて、時間が経つと誰かとの繋がりを保ちたくなる。そうしたとき大抵は、僕はアイルに連絡を取ってしまう。本名も、普段の彼女も知らないから、そして何より、お互いに共通の知り合いを亡くしているから、話しかけやすかった。

 とはいえ、あの人の話自体はあまりしない。しても悲しくなるだけだし、その悲しみが埋まることはないとわかりきっていたから、見えている穴にはまらないように、下らない会話をメッセージアプリで僕らは交わし合っていた。

 時折、アイルからはライブの情報が入ってくる。学校行事でも重なっていない限り、僕はその活動を観覧するようにしていた。

 アイルは僕に観客という役割を与えてくれる。僕は大人しく、その役割を受け入れる。それで十分楽しかった。気楽だったとも言える。それは何もしないより何倍もマシなことだった。


 演奏が進んでくると、篠笛の音が鳴り響いた。ポップソングの幕間に不釣り合いな、細く鋭い音。アイルが唯一、ライブのために持ち込んだものだ。違和感が大きすぎて、これをやるといつも、ほとんどの人が歩みを遅くする。余裕のありそうな人は立ち止まってスマホのカメラを構え始める。実際にSNSにアイルの画像が流れてきたのを見たことがあった。モザイク無しの無骨な晒され方を、アイルはいつも嬉々として受け入れる。

 篠笛を吹くアイルは、目を閉じている。そのまぶたの裏にはどこか別の場所が移っているのかもしれない。彼女の吐息と指先が奏でる音楽は、複雑に絡んで駅前広場に広がっていく。十分に観客が集まってきたところで、篠笛の音は止まり、アイルが最後の楽曲を手がける。アップテンポのメロディは、篠笛の静謐さと噛み合っていないけれど、その疑問を抱かせる前に駆け足で空間を埋めていく。

 路上に置かれた、ペンキの滴るドラム缶の形をしたミニチュアの缶の中に、小銭が投げられていく。青年がギターを弾きながら礼を言う。大きな声ではないのによく通る。また投げられる。重なり合う金属音がギターリフの合間に鋭く混ざる。

 あの人は、よくこのライブに顔を出してくれていた。初めて会話をしたときに、アイルが僕に教えてくれた。僕はその姿を見たことはなかったけれど、でもここで立っていたあの人のことを想像することはできる。まだ高校生だったあの人は、学校には真面目に通っていたけれど、塾に行くふりをしてこのライブを聴いていたのだろう。誰にも言わずに平然とそれをやってのけそうだと、僕は勝手に想像する。

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