3.アイル
『
駅間近の、線路沿いの道を歩いているときに、アイルからのメッセージが届いた。
アイルは僕の知り合いで、元々はあの人と友達だった。本名は知らないけれど、顔は知っている。僕より一つ年上の予備校生だった。
『それでまたフラフラしているんでしょ』
『よくわかりましたね』
『半年も会っていたら癖も見えてくるよ』
アイルのメッセージに思わず笑ってしまった。声が出て、慌てて口を
『今日はありますよね?』
『うん』
『良かった。夕方必ず伺います』
僕が書き込むと、スタンプマークが送られてきた。頭を下げて喜んでいる白い人間だった。目も鼻もないのに口だけはある。それで笑っているとかろうじてわかる。こんな人が実在したら、生きる上でどれだけ不便なのだろう。案外気にしないかもしれない。呼吸も出来るし、言葉も話せる。食べることも、何を口にしているのかもわからないまま、ひたすら身体を満たしていくのだろう。
駅の中にいる間も僕はスマートフォンを握っていた。メッセージは来ない。そもそも僕がアイルのスタンプにコメント返していなかった。アイルとの応答は必ずアイルからの言葉で終わる。僕が何度終わろうとしても、必ずアイルが最後を締める。そうしないと気が済まないのだろう。僕が知る、数少ないアイルの癖だった。
幅の広い川に掛かる橋を越えると、ビル群が見えてくる。景色の隙間が埋め尽くされていく。道を行き交う人々の数も多くなる。目的地の駅に降り立てばなおさらだ。僕の地元とは違い、大勢の人が歩き回り、僕を覆い隠してくれる。警官の目を気にして背筋を伸ばす必要はもうない。むしろ畏まっている方が浮いてしまう。
日が翳ってくるまでは、駅ビルの中を巡って過ごした。僕とおなじ年齢層の人はそこら中に溢れていた。僕はまるで目立っていない。人混みに紛れていると、一層呼吸がしやすくなった。学校をサボっていることを無条件で許してくれている気がした。
その予備校の校舎は、背の高いビルの一階にあった。真剣というには顔が綻びすぎている受講生の看板を後目に、自動ドアをくぐり抜ける。ロビーで僕はアイルと待ち合わせていた。
受付の女の人が僕を
透明な丸テーブルに、僕は本を開いた。来がてら買った小説だった。するすると文字が頭をぬけていく。僕の読書はいつもそんな具合だ。文字が水のように目から頭へ流れていって、概要ばかりが残る。細かいところはまったく覚えていない。あの話に似ていたとか、そんなことしか最近は思えない。それでも懲りずに、何かを期待して小説を買ってしまう。
何人もの予備校生が通り過ぎた。少し騒がしい集団がエレベーターに入って、静寂が耳に残った。
「お待たせ」
声に視線を上げる。アイルが微笑んでいた。スウェットや丈長のスカートも落ちついた色合いをしていたけれど、目を引く水色のカーディガンが、ふんわり身体を包んでいた。大きめの袖から覗く指先に教材入りのトートバッグが握られていた。
「また違う本読んでる。好きだね」
「時間潰しにちょうどいいだけですよ」
そういってしおりも挟まず本を閉じた。
「今日は最後までいてくれる?」
「はい」
答えると、アイルが満足げに頷いてくれた。
日が陰に隠れて、冷えた風が感じられた。寒暖差が激しい夕暮れだった。
暗くなるにつれて、街ゆく人は徐々に増えていく。四月だからとか、春だからとか、そんなものは理由にならない。都会にはいつも人がいる。桜の木の影さえも見えない代わりに、ピンクの電飾に照らされた、商業ビルのお膝元を歩いていく。
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