第136話 何気ないことで笑い合える大切な人との時間は、それこそ大切にするべきだと思う。

「……ふんふんふんー♪」

 乗り換えを経て、京王八王子駅から自宅へ。その間も栗山さんは僕の腕と手を離さない。

 少しぷにっとした手の感触が、大学を出たときからずっと続いている。電車に乗っていたときも。

 ……これ、どこをどう見てもいわゆるバカップルってやつなのでは……?

「上川くん」

「は、はいなんでしょう」

「……わたしの手、ぷにぷにし過ぎだよー」

 ……異性と手を繋ぐのが初めてだから、ついやってしまった……。

「す、すみません、なんか触り心地よくて……」

「むう、それってわたしが太っているって言いたいのかなー」

「いやっ、そういうつもりじゃないです──」

 やば、機嫌悪くさせた、このままだと帰ったあと色々面倒なことが起きるんじゃ。

「──あ、野良猫がお昼寝してるー」

 なんて思ったけど気のせいだった。歩道の脇に生えている並木のところに、これまた気持ちよさそうに寝ていらっしゃる猫がいた。

 それを見つけた栗山さんは、僕の手を離さないまま猫のもとへと静かに近づく。

 ……いえす、これが栗山さんだ。

 そっとしゃがんで猫をじっと見つめる栗山さん。その瞳はすごく緩みきっていて、口元からは「わー」という声がそっと漏れている。

 ……え、もしかしてこれずっと続くの? さすが野良猫と一緒にお昼寝した経験のある栗山さん。でも、当時は子供だったからいいけど、今は大学生ですからね、そんなの許しませんからね。

「……栗山さん、帰らないんですか?」

「あっ、そうだったね、帰らないとだよね。ごめんごめん」

 ……僕が声かけなかったらずっと猫眺めていたのか?

「──あ、じゃあどういうつもりで手ぷにぷにしてたの? 上川くん」

 げ。この話終わらないのかよ。

「……栗山さんの手、すべすべで触っていて気持ちよいし、ほどよく柔らかいからなんかいいんです……」

 このまま意地を張っているとろくなことになりそうにないので、少し素直になって感想を言う。

「そ、そう? えへへ……褒められちゃった」

 それに、栗山さんの身体を見たことがないから(……この言いかたもなんかなあ)、おぶった感覚の話でしかないけど、そこまで太っているってわけではない、と思う。見ていて怖くなるほど痩せているわけでもないと思うけどね。二次元のアイドルとか、こんな体重だと栄養失調だろとか思うプロフィールの子いるけど、それは絶対にないはず。

 再び機嫌が戻った栗山さんは、また原曲がわからない鼻歌を紡ぐ。

 ……まあ、いつも通りと言えば、いつも通り、か……。


 家に入って、さて今日は何をやらかしてくれるんだろうかと考えていると、

「はわわっ!」

 いきなり洗面所で手を洗っていたはずの栗山さんの悲鳴が聞こえてきた。

「どうかしたんですか?」

 部屋に荷物を置いていた僕は慌てて様子を見に行くと、

「……えへへ、水勢いよく出し過ぎて水浸しになっちゃった」

 頭から水をかぶって滴を垂らしている栗山さんが苦笑いを浮かべていた。

「……今からお風呂沸かすんで入ってください。タオルで体拭いてくださいよ」

 もう動揺しない。もはや日常の一部。

 僕はため息をついてそのまま浴室に入って浴槽を洗い始める。

「ありがとねー、上川くん」

 ごしごしとタオルと皮膚とが擦れる音を響かせながら、部屋に戻った栗山さんが調子よく返事をする。

 なんか、もう一緒にいる時間が長すぎて、一瞬本当の家族なんじゃないかと錯覚しそうにもなる。でも、それくらい、栗山さんにはいい意味でも悪い意味でも振り回される。

 ……まだ付き合いたてだし……相手は栗山さんだし……ゆっくりでいいか。

 慌てて関係を深めようとしなくてもいいのかなと、あのしまりのない笑みを想像しつつシャワーヘッドからお湯を出して洗剤の泡を落とす。

「あ、上川くん、今日の晩ご飯何がいい?」

「おわっ」

 いきなり閉めていた浴室のドアが開かれ、驚いてしまった僕は持っていたシャワーを落としてしまい、

「ははは、上川くんもびしょ濡れだー」

 ……ああもう! でもこれが日常だから仕方ないよね! って、内心逆ギレしつつ僕は無言でお湯を止めた。やっぱり、さ。

 こんな時間で、きっと十分楽しいんだから。

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