第117話 ほかにも有名な観光地はありますけどね。まあ、札幌にも温泉はあるんだよってことで。

「それで、結局どこに行くことになったんですか?」

 コップにつがれたオレンジジュースをごくごくと飲み干して、綾は僕に聞いた。

 栗山さんのオレンジジュース総攻撃から三日。僕の鼻も大した異常が出ることはなく、また、星置の後輩の篠路君も無事平穏な学生生活を取り戻したことを聞き、夏休みを過ごしていた。……といっても、家でゴロゴロしているだけだけど。

 今日栗山さんはバイトで、アパートの目の前のコンビニでせっせと労働に勤しんでいる。綾は僕の隣に座ってのんびりだらだらとした一日を過ごしている。僕も同じ。

「……札幌になりました。どうやら、栗山さんの高校時代の友達に会いに行くことにしたからそのついでにって」

 その友達とは、言うまでもなく深川先輩なんだけど。……無事再会を約束できるくらいまで関係が修復してよかったです。

 なら僕必要なくない? とも思うけどね。

「いいなあ、札幌。どこ行くんですか? 時計台? 羊ヶ丘ひつじがおか展望台? 札幌ドーム?」

 また綾はコップにオレンジジュースを注いでそれを飲み始める。言わずもがな、今綾が消費しているオレンジジュースは先日の栗山さんが使い切れなかったもの。さすがに二本全部は無理だったようで、一本ちょっとは残らせてしまったんだ。

「……定山渓じょうざんけいっていう、温泉に泊まるみたいだよ?」

「温泉? いいですね、でも札幌に温泉ってあるんですね」

「僕もあまりイメージなかったけど……。なんかその栗山さんの友達が福引かなにかで優待券持っていて、せっかく札幌来るなら使いなよってことで……」

 そのラインが来たのが、ちょうど三日前なんですけどね。タイミングがいいことで。

「なんでテンション低いんですか? よっくん」

 美味しそうにジュースを飲む彼女を見て、僕は少し吐き気を覚えてしまう。……しばらくこのオレンジ色の液体は目にもしたくない。うう、オレンジ色に染まったご飯……塩気と甘さが混ざった意味不明な漬物……ああ、思い出すだけで舌が震える。

 いや、まあ、テンションが低いのはまた別の理由なんだけど。

「……その優待券がさ、一組二名様っていうのは想像がつくでしょ?」

「はい」

「……和室二人部屋なんだよね」

「うわあ」

 あからさまな反応をしないで……。口元に手を当てるな手を。

「でも、普段から一緒に寝泊まりしているから別に問題ないんじゃないですか? むしろ既成事実作るいい機会かもしれませんよ? ここみたいに、薄い壁を気にしなくていいですし」

「おい女子高生、発言をわきまえろ」

 それに、既成事実って……。それ二十歳の男が意識する単語か? そこんところどうなんですかね……。

「それに、栗山さんは全然気にしていないというか……」

「栗山さんなら『はれ? いいよー、全然だいじょうぶだいじょうぶ、えへへー』って普通に受け流しそうですよね」

「……似てない」

「さすが、週のほとんどを彼女でもない女性と過ごす人は特徴をよくとらえてますねっ」

「綾、ほんと性格変わったな……」

「変わらなきゃやってられません。さっさとくっつけこのやろー」

 普段ですます調の彼女の口から「このやろー」と言われてしまうと余計刺さる。……辛い。

「実際でもその札幌旅行は格好のチャンスだとは思いますけどね。なかなかいませんよ? よっくんと栗山さんのようなふたり。もとい、心変わりしない栗山さんもなかなかですけど。あのいつまでも変わらない上川くん好き好きオーラは尊敬に値します」

 綾は何やらスマホをいじり始めつつ、栗山さんの変わらないところを褒めている。

 出会ったときからそれだからな……。

「しかも定山渓ってめっちゃいいところじゃないですかっ、雰囲気よくないですか? ここ」

 すると彼女は僕にスマホの画面を見せてくる。そこには、雄大な自然とそれはそれは豪華そうな料理が並んだホームページが。

「しかもスキー場もあるからシーズンならスキーもできるんですね、すごいなあ」

 今は夏だから無理だけど、確かに冬ならそういう選択肢もあったと思う。

「このロケーションで付き合えなかったらよっくんに彼女は一生できないです、私が保証しますっ」

 目をキラキラと輝かせつつ、綾は僕の膝を優しく叩く。

「……そんな保証いらないです」

「あっ、しかもプールもあるんですね、よっくんたちが泊まるホテル。これで何もないなんてことがあるんですか?」

「……栗山さんのさじ加減なんで僕にはわかりません」

 無自覚テロリストだからなあ。札幌でも何かしでかしそうだけど。不安だ。

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