第114話 久しぶりに平和なシーンで僕も安心。日常っていいですね。

 観念した美深と幌延は車のドアを開け、すぐに警官二人に拘束された。もう一人の警官も車内で拘束されていた僕らを発見し、無事生還した。

 まあ、もろ鼻血出したままの状態だったから、救急車を呼ばれて僕はまた病院のお世話になることに。栗山さんも念のため搬送された。

 美深のパンチはなかなかに鋭いものだったみたいで、検査の結果、鼻の骨が骨折していることが発覚した。幸い、顔の形に変形をきたすレベルではなかったので、特別な治療は必要にはならなかった。というか、治療が必要だろうがなんだろうが、僕は被害者だから一銭も出さなくていいだろうからなんでもいいけどね、もう。

 栗山さんも異常はなかったようで、すぐに警察署に移動して事情聴取を受けたようだ。その間も僕は鼻の検査をしていたから詳しいことは知らないけど。

 僕も僕とて一日経ってから署にお話をしに行った。

 美深と幌延はほとんど洗いざらい全部を供述したようで、この様子ならあの団体もすぐに崩壊するだろうととりあえず安心した。


 ……とまあ、星置の相談から始まったオレンジジュース騒動は、ひとつの決着を迎えたのだった──けど。

 パチン!

 と、僕の一人暮らし先の部屋では、そんな気持ちのいい音が響き渡った。

「よ、よっくんのバカ!」

 右手を大きく振って僕の頬を叩いた幼馴染は、怒りに声を震わせながらも目に涙を浮かべている。

 警察署から家に戻るなり、家にいつの間にか来ていた綾に僕はビンタされた。

「わ、わざと自分を囮にして証拠を作らせるなんて、そんな、危ないこと……! 何かあったらどうするつもりだったんですか!」

「……それが一番早いかなあって」

「早さの問題じゃないです! やっぱり、よっくんのことだからこういうことするかもって思ったけど……無理にでもついて行けばよかったです……!」

「いや、全力で止めるから」

 やがて、胸にこつんと手を当てて、それを支え手に綾は顔を埋める。

「あと少しで、よっくん本当に死んでいたんですよ⁉ 飲まされそうになった粉末、場合によっては死まで至るものだったって」

 ……そうなんだ。それはまあ……命拾いをしたというか。

「春のときといい、よっくんは自分の身体を雑に扱いすぎです! もっと……もっと……自分が誰かに大切にされていることを考えてください……!」

 視線を見せないまま、彼女は右手でポカポカ僕の体を叩く。子供っぽく、年下らしく。

 僕はそんな綾の艶やかな後ろ髪をそっと撫でて、

「……ごめんって、ただ……栗山さんがあんな目に遭ってるってわかったらもうどうしようもなくて」

「……もう、絶対にこんなことしないって約束してください」

 そっと服に埋めていた目を僕に向け、綾はそう言う。

「……こんなこと二回も経験したくないよ」

「だとしてもですっ!」

「もう、しないよ……したくないって、こんなこと」

「本当ですよ」

「うん」

「本当の本当ですからね?」

「わかったって」

 僕の答えに納得したのか、綾は僕の体から頭を離し、ぐちゃぐちゃになった顔を持っていたハンカチで拭っている。

 ……あちゃあ、シャツが綾の涙とか鼻水で……。これも自業自得なんでいいんだけど。

「……じゃあ、私からのお説教はこれで終わりです。古瀬さんとか、島松さんとか星置さんとか色々文句を言いたい人もいるでしょうけど、その人たちの分まで怒っていいからと言われてきたので少し強めに言いました。……あとは、もう好きにしてください」

 綾はそれだけ言うとそそくさと玄関に向かってドアを開く。

「……来ているなら入ればいいじゃないですか、栗山さん」

「はっ……? 来ているの?」

 向こう側からした彼女の声に慌てて僕は振り向く。

「……へ、へへー、来ちゃった、上川くん」

 久しぶりというわけではないはずなのに。どこか懐かしくも思えてしまう栗山さんの声。いつも通りの、少し緩みを帯びた、緊張感の欠片もない声。

 どこか居心地が悪そうに視線をあちらこちらに飛ばしつつも、栗山さんは僕の家に上がり込む。それと入れ替わりで、綾は「それじゃあ」と言い帰っていった。

 なんだかんだで会うのはそれこそ車のなか以来だ。

 それはまあ気まずくもなる、か……。

 夏の暑さがひた走る部屋のなか、沈黙を破ったのは栗山さんのほうだった。

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