第113話 とりあえず人と学歴、学部について話すときは繊細なくらい注意するが吉。安易に馬鹿にしてはいけません。

「……これはあくまで僕の憶測なんですが。あなた、親に学費出してもらえてないでしょ」

 口に鉄の味を感じながら、絞り出すように僕は口撃を続ける。

 返り血がついた右の拳をティッシュで拭っている美深は、その声に唖然として持っていたそれを落とす。

「文学部なんて世間から見れば馬鹿にされやすい学部ナンバーワンですからね。何の役に立つ、社会に何も還元しない、とかとか。まあそれの議論は置いておいて。医者の一家というまさに社会に直接わかりやすく貢献している医学部出身の方が多いあなたの家で、抽象的な、将来何になるかもわからない『あそ文学部』に進学すれば、いい反応はされないでしょうね?」

 わなわなと肩が震えはじめている。どこまでも単純なやつだ。それでいて回線がショートするとすぐ暴力に訴えるあたり栗山さんより迷惑な奴だな。

「……だから、あなたは年間百万円近くの学費を自力で捻出する必要があった。奨学金を使ったとしてもどうせ足しになるだけだし、バイトをしたって一学生がまともに働いて稼げる額なんてそれこそ百万円程度。それにあなたみたいな性格からしてバイトが続くとも思えませんし。学費だけでなく他に必要な経費は色々ありますしね。携帯代、教科書代、服に娯楽に色々と。とてもじゃないけどお金が足りない。……腐っても医者一家の一人息子ですからね、きっと頭の回転は速かったんですね。こういうビジネスを始めたわけだ。一体それでいくら稼いだかは知りませんが、まあ大層な趣味をお持ちのようで。どうですか? 図星ですか? 金を泳がせて見つけた仲間は素晴らしいですか?」

 後ろに控えている幌延の顔を一瞥し、そこまで言い切ると、怒りに顔を真っ赤にした美深はポケットから何やら怪しい粉末の入った包みを取り出し僕の目の前にちらつかせた。

「……それ以上言ってみろ、二度と話せなくしてやるからな」

「どうせ入院している患者を殺すなんてできるわけないんですよね? そんな医療過誤なんか起こしてどこからか漏れたらあなたの家は崩壊しますからね。第一、家に嫌われているあなたに協力してくれる病院関係者っているんですか? どうせはったりだったんですよね?」

 ただ僕の憶測を話しているに過ぎないのに、美深はわかりやすい反応を見せてくれる。

 こいつは「学生相談室にいい思い出がない」と僕と会ったときに言った。

 学生相談室に行く用事なんて大枠は決まっている。学費・単位・学内でのトラブル。この三つだろう。

 単位に問題はなさそうな美深が相談室に行くとしたら、学費の心配か、喧嘩っ早い性格が災いしたトラブルかの二択。学費かなあって思ってギャンブル気味に突っ込んでみたらボロボロ情報を零してくれるからやりやすいったらありゃしない。

「その粉末が何なのかはわかりませんが、いいですよ? 僕に飲ませるなら飲ませればいい。そうすればあなたは誘拐犯から暴行犯にランクアップだ。いや、もう暴行はしてますか。じゃあ、殺人犯ですか? たかがあなたのみみっちいプライドのために僕を殺して一生を棒に振りますか? そんな度胸があなたにあるはずがない。……あるなら、そもそもこんな家庭の問題を他人に巻き込んだりしない」

「……もういい」

「弱いことを否定する気は更々ないですよ。強く生きるなんて簡単にできるわけじゃないし、僕だってそうだし。……でも、それを他人を巻き込む形で弱さを発揮しないでくださいよ。……弱い人間にたかるのは、強い人間なんかじゃない。それ以上に、弱さを誤魔化そうとしている人間だ」

「もういいって言っているだろ!」

 大声をあげ手にしている包みを開けようとする美深。その瞬間、僕は車の外から複数の物音がしたのを把握した。コツコツと靴がアスファルトを叩く、そんな音。

 ……ようやく、か。これで時間稼ぎも終了、だ。団体の秘密も掴めたし、捕まったあとの言い逃れはできないだろう。

「いいよ、そこまで言うならやってやるよ、命乞いをするなら──」

「……あなた馬鹿なんですか?」

「は?」

 途端、車のドアがノックされる。その音に驚いたように、美深と幌延は振り返る。

「僕がでも思ったんですか?」

「ど、どういうことだよ」

「ある程度覚悟はしてここに来てますが、火に飛び入る夏の虫になる趣味はないですって」

「……ま、まさか」

「幌延さん、不用意にもほどがありますよ。僕の目の前で『栗山さんに無理やり酒を飲ませ、両手を後ろで縛ってスマホを奪って車に乗せた』ことを認めたら。そんなことしたら。……僕の仲間が、録音して、警察に通報しちゃいますよ?」

「き、貴様……!」

 そして、美深がうろたえている隙を見て僕は目一杯空気を吸い込んで、

「助けてください! 中で閉じ込められてます!」

 外にいるであろう援軍に、僕は今までで一番の大きい声を向けた。さらに車の壁を足で蹴りつけ、存在を主張する。

「……もう、ゲームオーバーですよ、あなたたちは」

 所詮ただの大学生。これ以上の抵抗は、こいつらにできるはずもない。

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