第112話 短気は損気ってよく言うけどまあその通りだよなって思う。
「か、上川くん……」
零れる僕を呼ぶ声は、しっとりを通り越してもはや雫が垂れている。比喩的にも、そのままの意味でも。
……そらこんな恐怖で泣かないほうがどうかしているよな。僕でもいきなりこんな状況になったら怖くてどうなるかわかったものじゃない。けど。
「……僕がどうにかするんで、栗山さんは耐えてください。大丈夫です、絶対にこれ以上何もさせないんで」
彼女にしか聞こえないような大きさでそっと呟き、体を捻って座席の背もたれに体を預けて顔をひょいと覗かせている美深と幌延を見上げる。
「それで、一体何をしに来たのかな? 上川君は。当然何か目的があってここに単騎で突入してきたと思うんだけど」
嫌味ったらしい口調で美深は僕に尋ねる。もう何もかもがニヤついていて気分が悪い。
「別に、ただ栗山さんの様子を見に来ただけなんで、彼女に何もしないのなら僕も何もしませんよ。っていうか、こんな状況になって目的もへったくれもないでしょ」
「まあ、それもそうだけどね。でも、上川君がそんなことだけにここを突き止めて、わざわざ移動してきて、それで縛られるような真似をするかなあって、自分は思うよ」
……そんなこと、だけねえ……。
頭のなかで美深の言葉を反芻し、側に横たわっている栗山さんの表情を見やる。
あんたらにとってはそんなことかもしれないけど、僕にとっては最優先事項なんだよ。
って言ってやってもいいけど、ここはクールダウンして、
「それより、暇なんで世間話でもしましょうよ。どうせ夜が明けるまで解放してくれないんでしょ? だったらお互いバチバチするより、そのほうが生産的だと僕は思いますが」
「うーん、夜が明けても正直解放してもいいか微妙な感じにはなってるんだけどねえ。君が突入してきちゃったから。まあ、どっちにしろ夜明けまでは解放はしないのは確かだし。君がそれでもいいのなら」
……よし、釣れた。
「そうそう、どうしてあなたはこんな大学に通っているんですか? 病院経営一家の息子なんですよね? どうして文学部にいるんです?」
揺さぶりの言葉を、僕は繰り出す。星置からこの病院の名前を聞いて、今目の前にいるこいつと紐づけたとき、真っ先に感じた違和はそれだった。
なら、どうしてこいつはこんな中堅私大の文学部にいるんだ、と。
「……医者の息子が文学部に進学して何がいけないんだい?」
正論ですね。いや、それはわかっている。問題はそこではない。
「病院のホームページ見ましたよ。どうやら次のトップは美深一家から違うとこから出るみたいですね」
「……何が言いたい?」
「いやあ、代々経営トップを一族で継ぐような家系が、このようなことを好ましく思っているのかなあって。……そうなった原因を作ったあなたの、家族のなかの立場はどうなのかなあって、興味があって」
「君には関係ないだろ」
……棘が刺さってるな、これは。やはり痛いところのようだ。美深の声がさっきのニヤニヤから一転、氷のように冷え切った調子になっている。
「言ったじゃないですか、暇だから世間話でもしようって。大丈夫ですよ、僕のスマホはあなたたちが持っている。録音する機器なんて持ってませんし、なんだったらボディチェックしてもらってもいいですよ? 生憎こんな状況で眠れるほど僕も神経図太くないんで、話し相手が欲しいんですよ、お願いしますって」
「……こ、この野郎……」
「なら、話題を変えましょうか。……そんなあなたが、お山の大将になった気分はどうです? 多くの手下を自由自在に動かして、今こうして二人の人間を拘束している気分はさぞ快感でしょうね?」
「だ、黙って聞いていれば……お前、自分が今どういう立場かわかっているのか?」
「わかってますよ。まあまあ。夜はまだ長いんですから。……邪魔なら殺せばいいでしょう? そんな度胸、あるか知りませんが。あなたの病院に入院している構成員の家族を殺すと脅しをかけるくらいのことするなら、あり得ない話じゃないでしょう?」
美深は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませている。奴の歯ぎしりの音が、微かに車内に響く。
「……それで、単位に苦労している学生を利用し続けた感想はいかがですか? 承認欲求は満たされましたか? これで満足ですか?」
「おまっ……いい加減にしろよっ!」
僕の煽りにとうとうネジが外れた美深は、近くにやって来て僕の顔を殴りつける。栗山さんの悲鳴と、僕のうめき声が交差した。
鼻に右ストレートをもろにくらったから普通に痛い。あ、これ鼻血出てるなあ……。
「……け、喧嘩っ早いのは色々損だと思いますよ? そんなんだと、家庭内の立場も怪しくて当然なんじゃないんですか?」
血の味がする……。そりゃあ鼻血垂らして何も押さえずに喋ったら口に入るけどさ。
まだだ。もっと揺さぶって、情報を落とさせないと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます