第95話 できないことはむやみにやらない。それを選択するのもまた勇気。

「それに……どうやらもうここを出たほうがいいみたいですよ、先輩」

 口から空気をひとつ吐き出し、彼はテーブルにスマホを伏せて置く。

「ど、どうして……?」

「見られているみたいです。俺らのこと。監視されていたってわけですね。先輩たちも下手なことすると、俺に巻き込まれますよ。だから、もう俺のことはいいんで、とりあえず今日は帰ってください」

 彼の告げた言葉に、僕と星置は顔を見合わせる。

 仕方なく、といったふうに僕らは席を立ちあがり、五百円玉を二人して置いてその場を立ち去った。


「……どうする。上川」

 京王線のホーム、各駅停車を待つなか、星置は険しい表情を浮かべていた。日中の下りホームということもあり、人は全くと言っていいほどいない。

「どうするもこうするも……もう手を引いたほうがいいと思う」

 人命が懸かってしまっている。僕らが変に相手を刺激して、何かあったときに責任を取れるのか。

 もう、これがボーダーラインなのではないか。

 僕らが動くことはせず、もう、その手のプロの任せたほうが安全だ。

「……で、でもそれじゃあ」

 しかし星置はまだ諦められないみたいだ。

「言ったよね。最初に。手に負えなくなったら即刻やめるって。……これ以上は、危険だ。なんだったら、僕やお前だって、奴らに把握されたかもしれないんだ。もう、素人が動き回る案件じゃないよ」

「そっ、それはそうだけど……」

 なおも彼は食い下がる。……本気を出しているのか。女とオレンジジュースのためなら本気になる男。

「……とりあえず、今持っている情報だけでも持って行って、大学に懸け合ってみるのが精一杯だよ。週明けにでも色々揃えて、行ってみる」

「…………」

 僕が一定の譲歩を見せたことにより星置は黙り込んでしまう。これ以上粘ることは無意味と悟ったのだろう。

「……勘違いしないでもらいたいのはさ。僕は『優しい』わけではないから。自分の責任の範囲でできることをやるだけだから。……だから、もう僕がこれ以上動けることはない」

「わ、わかったよ……」

 そこまで話したところで各駅停車の京王八王子行がやって来た。僕らはそれに乗り込み、家路へとついた。


 アパートに着くと、ふと目線にぴょこぴょこと跳ねるツインテールが入り込む。

 ……今日も来ているんですね。

「あ、上川くんー、おかえりー。待ってたよー」

 しかし、このときばかりは栗山さんの底抜けの明るさってやつに助けられるかもしれない。

「おかえりってなんですかおかえりって。ここは栗山さんの家じゃないですよ?」

「えー、でも四年生になってからもう家より上川くんの家にいる時間のほうが長いよー?」

 ……うん、聞き流そう。今更突っ込んでもしょうがない気がする。

「ねえねえ、それよりさっ、スーパーでラムネ買ったんだ、飲もうよー」

 彼女は持っていたレジ袋のなかからガサゴソと瓶をふたつ出しては、目もとを緩ませる。

「飲むのはいいですけど、冷やさなくていいんですか?」

「あ、それもそうだねー」

 鍵を開けて家に入る。とことこと栗山さんは僕の後に続いて、当たり前のように冷蔵庫に今見せたラムネをしまう。

「じゃあ、一時間くらいしたら飲もう?」

 えへへーとだらしなく笑みを作った表情を見て、僕は一瞬の安心を感じていた。

 そして、迫るテストと、やらなければいけない事案の後処理に考えを移し、僕はすぐに机に向かった。


 篠路君には同情はする。でも、僕にできるのは同情までだ。できもしないのにそれ以上のことをしようとして、さらに状況を悪化させるくらいなら。

 僕は仮に「冷たい奴」だと思われても手を引く。

 ……どれくらいのことを書けば信用してくれるだろうか、大学は。一応写真と販売しているもののデータは取っている。

 ただ、危ない団体ってことのきちんとした証拠が揃っていない。話を聞いただけだ。

 ……でも、出たとこ勝負するしか、ないか……。

 それで動いてくれないのなら、お金は高くつくだろうけど、星置には本職の探偵さんでも雇ってもらおう。

 そのほうが、安全で確実だ。

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