第85話 すぐ近くに危険が潜んでいるのが大学。怪しいヤツには近づくな。

 いつか古瀬さんと話をするのに使った0号館。五限が終わる時間となるともはや一階の喫茶も人の数はまばらで、別にわざわざ上に行く必要はないかもしれないとも思ったけど、念には念をということで、最上階の五階まで上がる。

 エレベーターホールすぐの、ベンチに座る。

「ありがとうございます、時間貰えて」

「いえ……」

 どこか居心地が悪そうに彼はベンチに小さく座っている。

「よかったら、何か飲みます? 今日のお礼ということで」

 僕は近くにある自販機を眺めながら、そんな彼に聞く。

 一瞬その申し出に彼はパッと顔を輝かせたけど、すぐにブンブンと首を振って、

「いえ、とんでもないです……お気になさらず」

 そう固辞する。

 …………。でも嬉しそうな顔したんだよなあ。やっぱり苦学生とか? こっちもいきなり話しかけて時間貰っているわけだし飲み物一本くらい奢る義理はあるかとは思うんだよなあ……。

「あ、やべ、間違えてコーラ買っちゃった。あー、僕あまり炭酸飲まないんですよねー、このままだと無駄になっちゃうなー」

 と、棒演技にもほどがある台詞を僕は呟き、取り出し口から出てきた500ミリリットルのコーラをニコッと微笑みながら彼に差し向けた。

「っ、そ、それなら……」

 彼も僕の行動の意図を量ってくれたようで、何も言わずにコーラを受け取った。少しして、炭酸が抜ける心地よい音が辺りに響き渡る。

 ま、コーラ飲めるんだけどね、僕。あまり飲まないだけで。嘘は言ってない。

 彼がコーラを一口飲んでいるのを見て安心した僕は、続けてお茶を購入。

「それで……ああ、そうだ、失礼ですけど、お名前伺ってもいいですか?」

 彼のいるベンチに戻り、まず最低限聞いておかないといけないことを尋ねる。

「あっ……心理学専攻二年の、苗穂なえぼです」

「で、苗穂さん。……この間の日曜日、教科書を買った後、別室に行ったと思うんですけど……そこで何を話されたか、教えてもらえたりします?」

 極力悪い印象を与えないよう、努めて柔らかい口調になるようにする。ここで間違えると、引き出せるものも引き出せなくなってしまう。

「……一言で言うなら、やばいもの買わされそうになった、ってことですかね」

「やばいもの?」

「はい。……同じタイミングで教室にいたら知っているかもしれませんが、俺、結構時間割がえぐくて……学費もバイト代と奨学金とでどうにかしている状況で、あまり勉強する時間もなくて、ものは試しってことで、あのフリーマーケットに行って薦められるがまま教科書や参考書買いましたけど……あの後、教室にいた人に『これを読めばフル単は楽勝だ、買わない理由はない、さあ』ってしつこくセールスされて……。わけがわからないぺらぺらの冊子に一万円ですよ? 買えるわけがないですって、そこでようやく『あ、やばい』って思って教室から出ようとしたんですけど」

 ……もう明らかにアウトな案件じゃないですか……。これだけでもなんとかなりそう。まあ、証拠がないと言われたらそれまでなんだけども。

「いきなりガタイのいい男に囲まれて、買わないならここの紙に名前と学部学年、学籍番号や電話番号とか書けって。もう完全にまずい奴らだって思って、たまたま窓越しに大学の職員が歩いているのが見えたので大声出して、慌てて逃げたんです」

 苦いものを食べさせられたかのようにそう話す苗穂君。

 彼はどうやら運がよかったみたいだ。きっとタイミングが悪かったら、あちらさんに個人情報を掴まれるわけだったから。

 これは……予想通り危ない。

「悪いことは言いません、あいつらと関わるのはやめたほうがいいです、何してくるかわかりません」

 そして、訴えるように彼は僕に忠告してくる。当事者だから、説得力はある。

「……まあ、僕も関わる気は更々ないから大丈夫だよ。ありがとう、話聞かせてくれて。もう多分こんなことはしないと思うから。ごめんね、いきなり呼び止めちゃって」

 ベンチを立ち上がり、僕は彼にペコリと頭を下げる。

「じゃあ、僕はもう行くよ、今日はありがとう」

 ちょうどやって来たエレベーターに乗り、下に降りようとする。

「いえ、全然……」

 ドアが閉まる。

「ふぅ……。やばい団体ってことはわかった。あとはそれを証明するのと、篠路君が関わっているかどうか、だね」

 そして……。

「ご機嫌斜めの野良猫をどうにかしなきゃ……なんだけど」

 スマホのロック画面、通知センターに並んでいるのは「むすー」とか「おそーい」とかそんな言葉が並んだ栗山さんからのラインだった。

懐きすぎでは? 野良猫さん……。エサの時間だからって急かさないでくださいよ……。

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